【定義】
曹洞宗系統の禅者が、ただ黙然として坐禅する様を、臨済宗楊岐派の大慧宗杲が批判して用いた言葉。対義語は看話禅になる。本来の黙照であるが、黙は寂黙であり、照は照用である。黙々として坐禅する様子に、霊妙なる仏法の働きがあることをいう。
【内容】
中国曹洞宗の宏智正覚禅師は、この黙照の坐禅を『黙照銘』に著した(本項目にて後述)。全篇で四言七十二句二百八十八字からなる、比較的短編のものである。後に日本曹洞宗の面山瑞方禅師は、『黙照銘聞解』・『黙照銘拈古?』「謹んで宏智禅師黙照銘に和す」(『面山広録』巻10及び巻18に所収)などを記し、更に『建康普説』には「第九・黙照普説」が収録されている。つまり、一切の悟りを求めず、ただ黙々と坐する様子が、仏法の働きそのものと安住する坐禅である。
また、この曹洞宗系統の坐禅について、大慧宗杲は看話禅の立場から批判した。『大慧書(上)』に以下のようにある。
しかし、黙照禅とは人々に本来、自性清浄なる身心であることを信じる立場の坐禅であり、ただ兀兀と坐定して大悟を期待しないことを是とする。その意味では、六祖慧能−南嶽懐譲の説いた無所得無所悟の禅がもっとも徹底されたものであるといっても良い。ただし、大慧のこの批判は、宏智にではなくて、その兄弟弟子になる真歇清了に対するものとする見解もある。
一方の看話禅は、大疑団のところに大悟があるとして、古則公案を手段として己事究明を行うことが禅の極意であるとしている。もはや、この両者は同じ源流を持ちつつも、その信仰の次元で全く異なった結論に至ったものであり、優劣は付けがたい。なお、道元禅師は『正法眼蔵随聞記』巻6-24にて、坐禅と看話では、まだ看話の方が役に立つのではないかと問う懐弉禅師の質問に以下のように答えて、看話禅を批判している。
弉問うて云く、打坐と看話とならべて是れを学するに、語録公案等を見るには、百千に一つはいささか心得られざるかと覚ゆる事も出来る。坐禅は其れほどの事もなし。然れどもなほ坐禅を好むべきか。
示に云く、公案話頭を見て聊か知覚あるやうなりとも、其れは仏祖の道にとほざかる因縁なり。無所得、無所悟にして端坐して時を移さば、即ち祖道なるべし。古人も看話、祇管打坐ともに進めたれども、なほ坐をば専ら進めしなり。また話頭を以て悟リをひらきたる人有リとも、其れも坐の功によりて悟リの開くる因縁なり。
まさしき功は坐にあるべし。
なお、道元禅師は「黙照」の語を用いていないことに、注意されなくてはならない。
【江戸時代における「黙照禅」評価について】
江戸時代の宗学復古の中で、曹洞禅の特徴として「黙照禅」が評価されている。まず、独菴玄光禅師『独菴独語』(『護法集』巻1)の見解は難解で、黙照禅の誤りを指摘しているように見える。一方で、評価したのは損翁宗益禅師で、以下の言葉が伝わっている。
以上のように、損翁禅師は宏智禅師こそ、「仏祖正伝の打坐」を主張し、『黙照銘』を著したと評価している。そして、大慧宗杲による「黙照邪禅」批判に対しては、兄弟弟子となる真歇清了禅師によって『信心銘拈古』が著されたとしている。つまり、『信心銘拈古』は、黙照禅の立場から『信心銘』を拈古したという立場の主張であろう。同文献には「黙照」の語が出るわけでは無い。なお、『信心銘拈古』には、万安英種禅師撰ともされる『真歇和尚拈古鈔?』があり、積極的に「黙照邪禅」批判への反駁を行った。
これは、『拈古』への無外義遠禅師による跋文への註釈だが、大慧による批判への、寂庵(真歇清了)からの批判として位置付けるべきとの見解であるといえる。
さて、それでは「黙照禅」からの反論とはどのように行われたのだろうか。既に損翁禅師が「仏祖正伝の三昧」という宗旨を示して反論した様子を確認したが、面山瑞方禅師による反論も見ておきたい。面山禅師は『黙照銘聞解』でまず「黙・照」それぞれの漢字の意味を示しつつ、更に「法に取ては」と仏法の立場から論じれば以下の通りになるという。
以上の通り、ただ黙って坐る以前に、「入三昧」が主張されていることに注目しなくてはならない。そして、この「入三昧」とは、「この黙と照とは、道理を説く時は、二つの様なれども、こヽに安住の時は、少もわかれはせぬ、印紙同時、読時前後の義と同じ、このわかれぬ処を、三昧とも三摩地とも云ふ、兼中到の田地なり」(同上)とあるため、いわゆる分別知を完全に否定し尽くしたところでの「黙照」だと理解すべきである。つまり、無分別の境涯にあって坐するからこそ、もはやそれ以上の説示も生まれようが無い、言語道断の坐禅になると理解出来、更に面山禅師はそのありようを、「身心脱落」にまで繋げられたのである。
【『黙照銘』】
宏智正覚禅師の『黙照銘』は『宏智禅師広録』巻8(『大正蔵』48巻100頁)に所収されており、本文は以下の通りである。
黙照銘
黙々として言を忘じ、昭々として現前す。
鑑する時廓爾たり、体する処霊然たり。
霊然として独照す、照中還た妙なり。
露月星河。雪松雲嶠。
晦して弥よ明らかに、隠れて愈よ顕わる。
鶴煙に夢みて寒く、水秋を含んで遠し。
浩劫空空。相与に雷同す。
妙存黙処。功忘照中。
妙存は何の存するぞ、惺惺として昏を破る。
默照の道、離微の根。
離微を徹見すれば、金梭玉機。
正偏宛転して、明暗因り依る。
依に能所無く、底時回互す。
善見薬を飲み、塗毒の鼓を檛つ。
回互底時、殺活我に在り。
門裡に身を出し、枝頭に果を結ぶ。
黙は唯だ至言、照は唯だ普応。
応ずれども功に堕せず、言うも聴くに渉らず。
万象森羅・放光説法・彼々証明・各々問答・問答証明、恰々として相応ず。
照中黙を失す、便ち侵凌を見る。
証明問答・相応恰々。
黙中に照を失すれば、渾て剰法と成る。
黙照理円、蓮開き夢覚む。
百川海に赴き、千峯岳に向かう。
鵝の乳を択ぶが如く、蜂の花を採るが如し。
黙照至得、我が宗家に輸く。
宗家の黙照、透頂透底。
舜若多の身、母陀羅の臂。
始終一揆、変態万差。
和氏献璞、相如瑕を指さす。
当機準有り、大用勤めず。
寰中は天子、塞外は将軍。
吾家の底事、規に中り矩に中る。
諸方に伝え去って、賺挙することを要せず。
曹洞宗系統の禅者が、ただ黙然として坐禅する様を、臨済宗楊岐派の大慧宗杲が批判して用いた言葉。対義語は看話禅になる。本来の黙照であるが、黙は寂黙であり、照は照用である。黙々として坐禅する様子に、霊妙なる仏法の働きがあることをいう。
【内容】
中国曹洞宗の宏智正覚禅師は、この黙照の坐禅を『黙照銘』に著した(本項目にて後述)。全篇で四言七十二句二百八十八字からなる、比較的短編のものである。後に日本曹洞宗の面山瑞方禅師は、『黙照銘聞解』・『黙照銘拈古?』「謹んで宏智禅師黙照銘に和す」(『面山広録』巻10及び巻18に所収)などを記し、更に『建康普説』には「第九・黙照普説」が収録されている。つまり、一切の悟りを求めず、ただ黙々と坐する様子が、仏法の働きそのものと安住する坐禅である。
また、この曹洞宗系統の坐禅について、大慧宗杲は看話禅の立場から批判した。『大慧書(上)』に以下のようにある。
近年以来、一種の邪師があって、黙照禅を説く。人をして十二時中、この事管すること莫れ、休去歇去、声を倣うことを得ざらしむ。
しかし、黙照禅とは人々に本来、自性清浄なる身心であることを信じる立場の坐禅であり、ただ兀兀と坐定して大悟を期待しないことを是とする。その意味では、六祖慧能−南嶽懐譲の説いた無所得無所悟の禅がもっとも徹底されたものであるといっても良い。ただし、大慧のこの批判は、宏智にではなくて、その兄弟弟子になる真歇清了に対するものとする見解もある。
一方の看話禅は、大疑団のところに大悟があるとして、古則公案を手段として己事究明を行うことが禅の極意であるとしている。もはや、この両者は同じ源流を持ちつつも、その信仰の次元で全く異なった結論に至ったものであり、優劣は付けがたい。なお、道元禅師は『正法眼蔵随聞記』巻6-24にて、坐禅と看話では、まだ看話の方が役に立つのではないかと問う懐弉禅師の質問に以下のように答えて、看話禅を批判している。
弉問うて云く、打坐と看話とならべて是れを学するに、語録公案等を見るには、百千に一つはいささか心得られざるかと覚ゆる事も出来る。坐禅は其れほどの事もなし。然れどもなほ坐禅を好むべきか。
示に云く、公案話頭を見て聊か知覚あるやうなりとも、其れは仏祖の道にとほざかる因縁なり。無所得、無所悟にして端坐して時を移さば、即ち祖道なるべし。古人も看話、祇管打坐ともに進めたれども、なほ坐をば専ら進めしなり。また話頭を以て悟リをひらきたる人有リとも、其れも坐の功によりて悟リの開くる因縁なり。
まさしき功は坐にあるべし。
なお、道元禅師は「黙照」の語を用いていないことに、注意されなくてはならない。
【江戸時代における「黙照禅」評価について】
江戸時代の宗学復古の中で、曹洞禅の特徴として「黙照禅」が評価されている。まず、独菴玄光禅師『独菴独語』(『護法集』巻1)の見解は難解で、黙照禅の誤りを指摘しているように見える。一方で、評価したのは損翁宗益禅師で、以下の言葉が伝わっている。
師、示して曰く、昔、宏智禅師、仏祖正伝の打坐を主張して、黙照銘を作す。大慧杲禅師、之を毀謗して云く、黙照邪禅と。然るに自ら倡うる所の禅、則ち公案の提撕なり。嗚呼、仏祖正伝の三昧、也た邪なる歟、後人私案の禅、也た正なる歟。真歇和尚、信心銘拈古を為して、専ら杲老を弾ずるは、之に因むなり。永平祖師の法兄、無外遠和尚、拈古に跋して略して其の意を露わす。永平祖師、亦た大慧を弾ずるの詞、最も多し。永覚禅師等、洞上なりと雖も、而も専ら大慧を担荷す、支那の禅、正伝の要機を失却する所以なり。支那は且く置く。今日、永平の流を酌む者、択法眼無し。正なる歟邪なる歟、混合して分かつこと莫し。恨むべき哉。 『見聞宝永記』
以上のように、損翁禅師は宏智禅師こそ、「仏祖正伝の打坐」を主張し、『黙照銘』を著したと評価している。そして、大慧宗杲による「黙照邪禅」批判に対しては、兄弟弟子となる真歇清了禅師によって『信心銘拈古』が著されたとしている。つまり、『信心銘拈古』は、黙照禅の立場から『信心銘』を拈古したという立場の主張であろう。同文献には「黙照」の語が出るわけでは無い。なお、『信心銘拈古』には、万安英種禅師撰ともされる『真歇和尚拈古鈔?』があり、積極的に「黙照邪禅」批判への反駁を行った。
大慧の黙照の邪禅を訾れた事が在るぞ、其の如く寂庵も此一冊の挙ば、黙照の徒が入室あちの戈ををつ取て、あちの楯てを打如くぢや、さりとては活機ぢやと讃歎也、よく此の書を覧る者は自之れを得やうずと也〈中略〉然るになにとて大慧の事を書て其の如は黙照を訾つたとわ云ぞ、聞ゑ兼ねたぞ、又宏智・真歇派をさして黙照ぢやと江西派より云たぞ、為其寂庵の此の挙をするが、譬るその入室、矛を取てあちの盾ての打やうぢやとも、文の上へわ見へるぞ、默とも其やう云へば、黙照と云われたが真とに必定するほどに、其のやうには云いたくも無いぞ、 『真歇和尚拈古鈔』
これは、『拈古』への無外義遠禅師による跋文への註釈だが、大慧による批判への、寂庵(真歇清了)からの批判として位置付けるべきとの見解であるといえる。
さて、それでは「黙照禅」からの反論とはどのように行われたのだろうか。既に損翁禅師が「仏祖正伝の三昧」という宗旨を示して反論した様子を確認したが、面山瑞方禅師による反論も見ておきたい。面山禅師は『黙照銘聞解』でまず「黙・照」それぞれの漢字の意味を示しつつ、更に「法に取ては」と仏法の立場から論じれば以下の通りになるという。
三昧に入て、仏境界に安住し、舌支上腭て、言語道断なるを默と云ふ、これは身にかヽる、右のごとく安住して、自己の光明の唯見なるを、照と云なり、ときに、身も見へず、心もかくるヽことを、身心脱落と云ふ、 『黙照銘聞解』
以上の通り、ただ黙って坐る以前に、「入三昧」が主張されていることに注目しなくてはならない。そして、この「入三昧」とは、「この黙と照とは、道理を説く時は、二つの様なれども、こヽに安住の時は、少もわかれはせぬ、印紙同時、読時前後の義と同じ、このわかれぬ処を、三昧とも三摩地とも云ふ、兼中到の田地なり」(同上)とあるため、いわゆる分別知を完全に否定し尽くしたところでの「黙照」だと理解すべきである。つまり、無分別の境涯にあって坐するからこそ、もはやそれ以上の説示も生まれようが無い、言語道断の坐禅になると理解出来、更に面山禅師はそのありようを、「身心脱落」にまで繋げられたのである。
【『黙照銘』】
宏智正覚禅師の『黙照銘』は『宏智禅師広録』巻8(『大正蔵』48巻100頁)に所収されており、本文は以下の通りである。
黙照銘
黙々として言を忘じ、昭々として現前す。
鑑する時廓爾たり、体する処霊然たり。
霊然として独照す、照中還た妙なり。
露月星河。雪松雲嶠。
晦して弥よ明らかに、隠れて愈よ顕わる。
鶴煙に夢みて寒く、水秋を含んで遠し。
浩劫空空。相与に雷同す。
妙存黙処。功忘照中。
妙存は何の存するぞ、惺惺として昏を破る。
默照の道、離微の根。
離微を徹見すれば、金梭玉機。
正偏宛転して、明暗因り依る。
依に能所無く、底時回互す。
善見薬を飲み、塗毒の鼓を檛つ。
回互底時、殺活我に在り。
門裡に身を出し、枝頭に果を結ぶ。
黙は唯だ至言、照は唯だ普応。
応ずれども功に堕せず、言うも聴くに渉らず。
万象森羅・放光説法・彼々証明・各々問答・問答証明、恰々として相応ず。
照中黙を失す、便ち侵凌を見る。
証明問答・相応恰々。
黙中に照を失すれば、渾て剰法と成る。
黙照理円、蓮開き夢覚む。
百川海に赴き、千峯岳に向かう。
鵝の乳を択ぶが如く、蜂の花を採るが如し。
黙照至得、我が宗家に輸く。
宗家の黙照、透頂透底。
舜若多の身、母陀羅の臂。
始終一揆、変態万差。
和氏献璞、相如瑕を指さす。
当機準有り、大用勤めず。
寰中は天子、塞外は将軍。
吾家の底事、規に中り矩に中る。
諸方に伝え去って、賺挙することを要せず。
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このページへのコメント
> 枯木堂 さん
そうですか。
本店のブログにて記事にしてみても良いのですが、時間があるときになります。すぐに出来るかどうか分かりませんので、あまり期待せずお待ち下さいませm(_ _)m
http://blog.goo.ne.jp/tenjin95/
いろいろな、教えありがとうございます。
「黙照銘」について、ご解説いただけませんでしょうか。