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【定義】

江戸時代の日本曹洞宗が輩出した禅僧・詩僧。号は大愚、名は良寛。漂泊の人生を生き抜いた僧であり、現代に到るまで人気が高い。

生没年:宝暦8年(1758)〜天保2年(1831)
出身地:新潟県三島郡出雲崎町
俗 姓:山本氏

【略歴】

出雲崎町の橘屋こと、山本以南の長男として生まれた。幼名は栄蔵であり、後に文孝になった。この生家は名主と神職を兼ねて、当地では随一の名家であった。幼い頃から漢学を習得し、名主見習いであったこともあり、出家する前には妻もいたとされる(後に離縁したとされている)。18歳になると光照寺の破了に就いて出家し、22歳には同寺に来訪していた備中円通寺?の大忍国仙にしたがうようになった。円通寺に行って、ともに修行に励み、終には国仙から印可証明をもらうまでになる。

国仙没後は、諸方を遍歴して、寛政9年(1797)には、新潟県燕市国上山の五合庵に移動した。61歳には、近くの乙子神社の境内に作られた草庵に移動している。文政9年(1826)69歳、三島郡和島村島崎の木村別斎の家に移った。晩年の6年間は、40歳も年の離れた貞心尼?が参じており、貞心尼が編集した『はちすの露』で、その晩年の人となりが知られる。世寿74歳の時に示寂した。なお、末期の水を呈したのは貞心尼であった。

遺骸は、同村内にある浄土真宗論寺に葬られ、墓もそこに建てられた。

良寛の一生を考えると、清貧に甘んじて、無一物の生涯に終始した。容貌だが、背が高く、顔も長かったという。鼻は特に高かった。毀誉褒貶に超然として、常に黙々と物静かに語り、その音声は朗らかで、読経の声は人の耳に訴えるものがあったという。

また、「永平録を見る」という漢詩を詠んでいることから、道元禅師の語録(『永平広録』『永平略録』などではなく、『正法眼蔵』だという者もいる)を参究していたことは明らかである。『万葉集』から和歌を、『傘松道詠』から道歌を、『寒山詩』から漢詩を学ぶなどして、その影響がある。しかし、その詩は形にとらわれず、自由性、自然性が豊かである。学道は曹洞宗で行っており、生涯禅僧としての境涯に生きた人であったが、しかし、一宗一派の教学に汲々とすることもなかった。

良寛没後から、伝記や多くの詩歌、墨筆などが人気となり、それらを集めた著作集などが多く刊行された。そして、現代に到るまでも研究者や小説家、或いは一般の市民にも根強い人気があって、様々な研究成果や小説が残されている。

【主な著作】

自身で体系的な著作を残すことはなかったようだが、後人が様々な著作をまとめている。

・『良寛全集』全2巻
・『良寛和尚詩歌集』
・『良寛道人遺稿』

・『はちすの露
良寛晩年の門人であった、貞心尼?が編集した和歌集である。

外にも多数。研究論文も多数。

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