【定義】
仏祖への礼拝を行うとき、唱えられる偈文のこと。礼仏偈とも。
【内容】
天台宗の荊溪湛然『法華三昧行事運想補助儀』に出る文章が出典である。
これがさらに、慈覚大師円仁が『常行三昧堂行法』にてあらため、恵心僧都源信の『往生要集』などにも引用されている。本文は以下の通り。
ところで、先の湛然の『運想儀』については、広く中国で用いられたようで、如浄禅師が説法に使ったことが知られる。
上記の場合には、道元禅師の礼拝を受けて述べられたものである。さらに、別の機会にも説いていることが分かる。
なお、この「礼拝偈」は後に道元禅師が『正法眼蔵』を書かれる際にも用いられており、以下のような事例が確認される。ただし、原文からは湛然系のものなのか、円仁系のものなのかは確認できない。
「礼拝偈」の第一句だけが用いられ、しかも表現に「性脱落」が加えられているが、先の偈文をそのまま用いているのは明白である。
仏祖への礼拝を行うとき、唱えられる偈文のこと。礼仏偈とも。
【内容】
天台宗の荊溪湛然『法華三昧行事運想補助儀』に出る文章が出典である。
能礼所礼性空寂。感応道交難思議。我此道場如帝珠。釈迦牟尼影現中。我身影現如来前。頭面接足帰命礼。
これがさらに、慈覚大師円仁が『常行三昧堂行法』にてあらため、恵心僧都源信の『往生要集』などにも引用されている。本文は以下の通り。
能礼所礼性空寂、自身他身体無二、願わくは衆生と共に解脱を得て、無上意を発して真際に帰らん。
ところで、先の湛然の『運想儀』については、広く中国で用いられたようで、如浄禅師が説法に使ったことが知られる。
時に道元、起ちて拝を和尚の足下に設けたり。和尚唱えて云く「能礼所礼性空寂、感応道交難思議」。時に和尚、広く西天東地の仏祖の行履を説く。時に道元、感涙襟を沾せり。 『宝慶記』第10問答
上記の場合には、道元禅師の礼拝を受けて述べられたものである。さらに、別の機会にも説いていることが分かる。
和尚普説して云く、「能礼所礼性空寂、感応道交難思議」と。深意有りと雖も、解了すべきこと難し。浅識の及ぶ所、疑うところなきにしもあらず。いわく、感応道交の道理、教家も亦た談ず、祖道に同ずべきの理ありや。 『宝慶記』第18問答
なお、この「礼拝偈」は後に道元禅師が『正法眼蔵』を書かれる際にも用いられており、以下のような事例が確認される。ただし、原文からは湛然系のものなのか、円仁系のものなのかは確認できない。
いはく、もしおもてをあらはざれば、礼をうけ他を礼する、ともに罪あり。自礼礼他、能礼所礼、性空寂なり、性脱落なり。かるがゆえにかならず洗面すべし。 「洗面」巻
「礼拝偈」の第一句だけが用いられ、しかも表現に「性脱落」が加えられているが、先の偈文をそのまま用いているのは明白である。
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