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【定義】

中国唐代の禅僧、百丈懐海禅師の言葉として有名。『天聖広灯録』巻8に見える。「一日作さざれば、一日食らわず」と訓じ、雲水行持の活訓として、今でも多用される。この用語については『史記』「趙世家」の「肅侯十六年」の項目との関連も指摘される。「肅侯、大陵に遊ばんとして、鹿門より出ず。大戊午、馬を扣いて曰く、『耕事、方に急くべし。一日作さざれば、百日食らわず』と。肅侯、車を下りて謝す」とあることに因む。

【内容】

唐の百丈懐海が、『百丈清規』を制定し、禅宗叢林規矩を定めたことで有名だが、この規定を自らも厳守し、入寂のその日まで作務や勤労に参加して怠ることはなかった。しかし、余りに高齢で辛そうだということで、周囲の僧が気を遣い、百丈の作務道具を片付けてしまったため、当然に作務に加わらなかった。その後、食事の時に至り、百丈は自ら「一日作さざれば、一日食らわず」といい、食事をすることも拒否した。これは、所謂「働かざるもの食うべからず」に見える、社会の労働力への激励という意味ではなく、あくまでも自分で自分に課す誓約であるといえる。一緒にしてはならない。
百丈山大智禅師、そのかみ馬祖の侍者とありしより、入寂のゆふべにいたるまで、一日も為衆為人勤仕なき日あらず。かたじけなく一日不作、一日不食のあとをのこすといふは、百丈禅師、すてに年老臘高なり、なほ普請作務のところに、壮齢と同励力す。衆、これをいたむ、人、これをあはれむ。師やまざるなり。つひに作務のとき、作務の具をかくして、師にあたへざりしかば、師、その日一日、不食なり。衆の作務にくははらざることをうらむる意旨なり。これを百丈の、一日不作、一日不食のあと、といふ。いま大宋国に流伝せる臨済の玄風、ならひに諸方の叢林、おほく百丈の玄風を行持するなり。 『正法眼蔵』「行持(上)」巻

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