【定義】
因果の
道理が歴然としていること。往々にして、
禅宗では、因果を始めとするあらゆる道理・法則から自由・独立・超然としていることを示すために、
撥無因果の道理を説く場合があったが(例:長沙景岑の「
業障空?」など)、
道元禅師は
仏教の本質の1つに、因果歴然があると説いた。
おほよそ因果の道理、歴然としてわたくしなし。造悪のものは堕し、修善のものはのぼる、毫釐もたがはざるなり。もし、因果亡じ、むなしからんがごときは、諸仏の出世あるべからず、祖師の西来あるべからず、おほよそ衆生の見仏聞法あるべからざるなり。 『正法眼蔵』「深信因果」巻
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