【定義】
永平寺5世中興義雲禅師が編集したと伝えられる古則公案の拈提集である。全1巻。熊本県の聖護寺に書写本が収蔵されている。
【内容】
53則の古則目録、義雲禅師の序文などからなる漢文体の書物で、53則の古則公案は、最初こそ「世尊拈華微笑」ではあるが、その後はほとんどが中国ではありながら、一部インドの祖師の公案も含まれるなど、いわゆる五家七宗のどこかに偏った形跡はない。内容の中心は正偏五位説によって組まれており、義雲禅師は師である寂円禅師から五位を習ったという話もあるほどだが、同著ではそれが顕著である。
また、太白峰にてこれを記したという記述もあるが、太白峰とは如浄禅師が住していた天童山を意味するため、師の寂円禅師とも深い関係があると推定されている。
各則の公案は、「先老拈云」と誰かが示したことが挙げられ、それに対して編者か誰かが「乃云」と重ねて拈提しているのが特徴で、複数人が学んだ状況を記述したのであろう。内容としては古則公案を正偏五位説にて理解していることがあり、中国曹洞宗で一般的だった五位説が、道元禅師の批判を経て、改めて日本曹洞宗に入ってきた状況が明らかになる。
【テキスト】
・『続曹洞宗全書』「注解一?」
永平寺5世中興義雲禅師が編集したと伝えられる古則公案の拈提集である。全1巻。熊本県の聖護寺に書写本が収蔵されている。
【内容】
53則の古則目録、義雲禅師の序文などからなる漢文体の書物で、53則の古則公案は、最初こそ「世尊拈華微笑」ではあるが、その後はほとんどが中国ではありながら、一部インドの祖師の公案も含まれるなど、いわゆる五家七宗のどこかに偏った形跡はない。内容の中心は正偏五位説によって組まれており、義雲禅師は師である寂円禅師から五位を習ったという話もあるほどだが、同著ではそれが顕著である。
また、太白峰にてこれを記したという記述もあるが、太白峰とは如浄禅師が住していた天童山を意味するため、師の寂円禅師とも深い関係があると推定されている。
各則の公案は、「先老拈云」と誰かが示したことが挙げられ、それに対して編者か誰かが「乃云」と重ねて拈提しているのが特徴で、複数人が学んだ状況を記述したのであろう。内容としては古則公案を正偏五位説にて理解していることがあり、中国曹洞宗で一般的だった五位説が、道元禅師の批判を経て、改めて日本曹洞宗に入ってきた状況が明らかになる。
【テキスト】
・『続曹洞宗全書』「注解一?」
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