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【定義】

「何ぞ必ずしも」と訓じられるが、実際の文法としては、これ自体を名詞的に用いることはなく、「何ぞ必ずしも〜ならんや」の意である。それを転じて、一切法は無自性不可得であり、確固たる断定を許さないことを示した言葉。類似した語に「不必」がある。
証究すみやかに現成すといへども、密有かならずしも見成にあらず。見成これ何必なり。 『正法眼蔵』「現成公案」巻

なお、このように道元禅師は無限定なる様子に「何」を使うことが多く、例えば「仏性」巻での用例も確認されている。
しかあればすなはち祖師の道取を参究するに、四祖いはく、汝何姓はその宗旨あり。むかしは何国人の人あり、何姓の姓あり、なんぢは何姓と為説するなり。たとへば、吾亦如是、汝亦如是と、道取するがごとし。

通常であれば、「汝何姓」とすれば、「お前の姓は何だ?」という質問になるが、ここではまさに「何者」としか言いようがないほどに、法そのものである様子を言葉にしてみせたのである。もし、「劉」とでも言ってしまえば、それは「劉」という存在に限定されてしまい融通無碍の様子とは異なってしまうのである。

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