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【定義】

日本における禅宗の一派であった達磨宗の僧であり、大日房能忍法嗣。仏地房覚晏。号は東山とも。

生没年:不詳(鎌倉時代初期の人)
俗 姓:不詳
出身地:不詳

【内容】

詳しい伝記は不明だが、大日房能忍の法嗣であった。
忍は覚晏を嗣とし、晏は吾が師懐鑑を嗣とす。 「示紹瑾長老

得旨後は、奈良の多武峰にいて、見性成仏の旨を挙揚していた。元々比叡山や浄土教に参じていた懐弉禅師が、その参学過程で参じている。
浄土の教門を学し、小坂の奥義を聞き、後に多武の峰の仏地上人、遠く仏照禅師の祖風を受て見性の義を談ず。師、往て訪らふ。 『伝光録』第52章

なお、覚晏の下には、後に道元禅師に参じる懐鑑懐義尼・懐照などがいた。著作には『心要提示』があったとされるが、未見。覚晏は能忍門下の一人として名高く、例えば、日蓮聖人の著作にも名前が見える。
建仁より已来今に五十余年の間、大日、仏陀、禅宗を弘め、法然、隆寛、浄土宗を興し実大乗を破して権宗に付き、一切経を捨てゝ教外を立つ。 日蓮聖人『教機時国鈔』

「仏陀」となっているが、「仏地」のことであろう。音通か。また、覚晏示寂後、法嗣であった懐鑑は道元禅師に依頼して、追悼の上堂を行ってもらっているが、道元禅師はその報恩行を讃歎している。
懐鑑首座先師覚晏道人の為に上堂を請する。拈香罷、座に就いて払子を取って云く「前来の孝順、誰人か斉肩ならん。今日の廻向、聖霊炳鑑すべし。弟子が先師を仰ぐの深き志、先師独り知る。先師、弟子を憐れむの慈悲、弟子一識る。余人焉ぞ知らん、外人未だ及ばず。所以に道う「有心もって知るべからず、無心もって得るべからず、修証もって到るべからず、神通もって測るべからず」と。這田地に到って如何が商量せん。卓、拄杖して云く「唯、拄杖有って了々常に知る。拄杖甚と為てか了々常知するや。職として、過去の諸仏も也、恁麼、現在の諸仏も也、恁麼、未来の諸仏も也、恁麼。然も是の如くなりと雖も、這箇は是、仏祖辺の事、作麼生か是、知恩・報恩底の道理」と。良久して云く、哀れなる哉、昔日一団の空。眼華を悩乱して、大地紅なり。血涙胸に満つ、誰に向かってか説かん。只、憑む拄杖善く流通せんことを。這箇は是、知恩・報恩底の句。作麼生か是、仏祖向上の事、と。拄杖を階前に擲下して下座。 『永平広録』巻3−185上堂

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