【定義】
諸行の無常なる道理をよくよく観察すること。
なお、このように道元禅師は観無常の心を菩提心と名づけ、その心を発して修行を励むべきことを説く。そして、無常を観ずる時には、吾我の心は起きないとしているのである。
諸行の無常なる道理をよくよく観察すること。
右、菩提心は、多名一心なり。龍樹祖師日く、ただ世間の生滅無常を観ずる心もまた菩提心と名づく。然れば乃ち暫く此の心に依りて、菩提心となすべきものか。誠にそれ無常を観ずる時、吾我の心生ぜず、名利の念起こらず。時光の太だ速かなることを恐怖す、所以に行道は頭燃を救う。 『学道用心集』「菩提心を発すべき事」章
なお、このように道元禅師は観無常の心を菩提心と名づけ、その心を発して修行を励むべきことを説く。そして、無常を観ずる時には、吾我の心は起きないとしているのである。
今、出家の人として、即チ仏家に入り、僧道に入らば、すべからくその業を習フべし。そノ儀を守ると云ふは、我執を捨て、知識の教に随ふなり。そノ大意は、貪欲無キなり。貪欲無カらんと思はば先ヅすべからク吾我ヲ離ルベキなり。吾我を離るるには、観無常是れ第一の用心なり。 『正法眼蔵随聞記』巻2-2
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