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【定義】

道元禅師は、いま現在修行が出来るのは、古来から仏祖が修行を連綿と行ってきたためであると考えており、そのような仏祖に対する報恩として修行することを促すための喩えで用いた故事がこの「窮亀余不印」や「病雀三府環」である。『修証義』「第五章行持報恩」などにも見える。
これらみな古来の仏祖の、古来の仏祖を報謝しきたれる、知恩報恩の儀なり。病雀なほ恩をわすれず、三府の環よく報謝あり。窮亀なほ恩をわすれず、余不の印よく報謝あり。 『正法眼蔵』「行持(下)」巻

なお、この一件は出典があり、『参註』などでは『蒙求下』を挙げている。その内容は以下のようなものである。
『晋書』に、孔愉、字は敬康、会稽山陰の人。同郡張茂偉康と、丁潭世康と名を斉しくす。時に人、号して会稽の三康と曰う。建興の初め、出でて丞相の椽と為って、後に華軼を討つ功を以て、余不亭の候に封ぜらる。愉、嘗て行きて余不亭を経るに、亀の路に籠する者を見る。愉、買いて、之を渓中に放つ。亀、中流にして左顧するは数回。是、候の印を鑄するに及んで、印の亀、左顧す。三たび鑄するに初めの如し。印工、以て告ぐ。愉、乃ち悟って、遂に佩びる。

話の内容は、『晋書』に出る孔愉という者の話である。この者が、余不亭という場所を行き過ぎるときに、道端で亀が売られていた。そこで、亀を買って川に放したという。すると、後に戦功を挙げるや、その余不亭の長官に任命された。そこで、その長官の印鑑を作るときに、亀を彫らせると、何故か勝手に左を向く。それが三回続いたと、職人から聞いた孔愉は、そこでこの地の長官に選ばれたことが、以前に救った亀の恩返しであることを知ったのである。何故なら、この印鑑に浮かんだ、左を向く亀は、まさに川に放った亀の振り向く姿と同じだったからである。

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