曹洞禅・仏教に関するwikiです。人名・書名・寺院名・思想・行持等々について管理人が研究した結果を簡潔に示しています。曹洞禅・仏教に関する情報をお求めの方は、まず当wikiからどうぞ。

【定義】

京都府京都市東山区にある臨済宗建仁寺派大本山の寺院、山号は東山。開基である鎌倉幕府二代将軍・源頼家が建仁2年(1202)に寺域を寄進し、栄西?禅師を招いて開山とした。なお、寺の見解としては、百丈山を模して建立されたという。創建時は真言院・止観院を構えており、ここから天台・密教・禅の三宗兼学の道場として成立したことが分かる。後に、京都五山の第3位に列せられる。本尊は釈迦如来。

【内容】

建仁寺と曹洞宗の関わりは深く、高祖道元禅師は比叡山での修行では自らの疑団が解決出来ないと思われたのか、当時、禅宗を伝えていた栄西禅師の門を叩いたとされる(なお、道元禅師と栄西禅師が相見したかは、様々な問題を含む)。そして、栄西遷化後も建仁寺に留まり続けた道元禅師は、栄西門下であった明全和尚を師と仰ぎ、ともに中国に渡った(『弁道話』参照)。明全は中国で客死したが、道元禅師はその遺骨を持って帰国し、建仁寺に納め(『舎利相伝記』参照)、また自身、しばらくの間、建仁寺に留まったとされる(『典座教訓』参照)。

だが、深草に興聖寺を開く頃には、建仁寺を出ている。その後の交渉はよく分からないところではあるが、『正法眼蔵随聞記』ではしばしば栄西禅師と建仁寺のことに触れる。また、道元禅師遷化後も、曹洞宗の祖師は栄西禅師と建仁寺を意識(『伝光録』第五十一祖道元禅師章を参照)し、交流を持ったことが知られ、江戸時代になると面山瑞方が建仁寺の住持以下大衆に対し、黄龍派の菩薩戒を付属する(『洛陽東山建仁禅寺戒壇録』参照)などし、密接な関係を保った。

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