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【定義】

中国の禅宗の宗派、潙仰宗・臨済宗・曹洞宗・雲門宗・法眼宗の五家、そして臨済宗の系統に黄竜派と楊岐派とが出て合わせて七宗という。
満地に流行して、五家七宗に分かる。 『圜悟仏果禅師語録』巻16「法語下」「勝首座に示す」

【内容】

中国の禅宗は、初祖達磨大師から、二祖慧可・三祖僧璨・四祖道信・五祖弘忍を経て、その下に、神秀の北宗禅と慧能の南宗禅とに分かれた。南宗禅は中唐以後に、次第に栄えるようになった。六祖慧能の下には、南嶽懐譲と青原行思の系統が出て主流となり、ここから五家七宗と呼ばれる分派が起きた。

唐末には、南嶽下の百丈の禅を伝えた潙仰宗が栄え、そして大機大用を禅風とする臨済宗が成立した。また臨済宗の系統に、石霜楚円が輩出され、その弟子の黄竜慧南と楊岐法会の系統が栄え、一派をなした。黄竜派の系統は北宋時代に中国で栄え、日本には栄西禅師が伝えたが、大きくは広まらなかった。楊岐派には、圜悟克勤や大慧宗杲が輩出されて南宋時代の中国で栄え、日本にも多くの祖師が伝えた。

曹洞宗黙照禅と呼ばれるような兀坐と五位とをもって、禅風を挙揚したが、中国ではそれほど広まらず、日本には道元禅師と、他数名が伝え、特に道元禅師の系統は永平寺總持寺などを中心に日本全国に広まった。

法眼宗は、宋代初期の一時期、非常に隆盛した。雲門宗は広東で流行したが、南宋末にはほとんど見なくなったという。

なお、これら五家七宗の違いというのは、宗風の違いということであって、禅宗の宗旨を奉ずる点では同じである。
ときに、六祖に二位の神足ありき、南嶽の懐譲と青原の行思となり。ともに仏印を伝持して、おなじく人天導師なり。その二派の流通するに、よく五門ひらけたり。いはゆる、法眼宗・潙仰宗・曹洞宗・雲門宗・臨済宗なり。見在大宋には臨済宗のみ天下にあまねし。五家ことなれども、ただ一仏心印なり。 『弁道話

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