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【定義】

大乗仏教菩薩戒を受けたいにもかかわらず、周囲に戒師がいないとき、仏菩薩の形像の前で、自ら誓い、菩薩戒を受けることをいう。なお、『梵網経』『瓔珞経』などで、その作法が説かれる。また、日本曹洞宗では指月慧印の『禅戒篇』の見解として、この自誓受戒を否定する場合もある。
仏子よ、受戒に三種の受有り。〈中略〉三には、仏滅度後、千里の内に法師無きの時、応に諸仏菩薩の形像の前に在りて、胡跪合掌して自誓受戒すべし。応に是の如くいうべし。我、某甲、十方の仏、及び大地の菩薩等に白す。我、一切の菩薩戒を学ばん者なり。 『菩薩瓔珞本業経(下)』「大衆受学品 第七」

日本では、鑑真和上来日より前は、正式な授戒をする機会が国内にはなく、大陸留学(中国・朝鮮半島)したもの以外は全て自誓受戒に等しい状態であったという。鑑真和上来日後、東大寺の戒壇院開創後は改善されたが、来日した後には、従来の自誓受戒の問題を指摘された僧達が反論をしたこともあったという。その際、自誓受戒で比丘になれると主張した者は、以下の一節を根拠にしたとされる。
復た次に、未来世の諸衆生等、出家を求めんと欲して、及び已に出家するも、若し善好の戒師及び清浄の僧衆を得ること能わずんば、其の心、疑惑す。如法禁戒?を受くることを得ずんば、但だ能く発無上道心を学び、亦た身口意をして清浄を得已らせよ。其れ未だ出家せずんば、応当に剃髮?し、法衣を被服して、如上に願を立て、自誓して菩薩律儀三種戒聚を受くべし。則ち波羅提木叉出家の戒を具獲すと名づけ、名づけて比丘比丘尼と為す。 『占察経』上巻

また、東大寺などでの授戒法が形骸化し衰退した平安時代末期〜鎌倉時代初期には、敢えて自誓受戒を求める戒律復古運動も起きている(貞慶・覚盛・叡尊など)。

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