【定義】
古来より、出家する際に、世俗の人間関係の恩を断ち切るために唱えられる偈文であるようだが、正式な名称は付いていない。当Wikiでも立項する都合上、便宜的に呼んだのみである。
本文は、諸経論・律蔵・清規によって若干相違する。訓読は、「三界の中に流転すれば、恩愛を断つこと能わず。恩を棄て無為に入るこそ、真実の報恩者ならめ」となる。また、この句を用いた説示も珍しくないため、出家者の理想的心境ともされたのである。
【内容】
この偈文については、典拠が不明瞭であり、南山道宣『四分律刪繁補闕行事鈔』巻下では「『清信士度人経』に出づ」(「沙弥別行篇第二十八」参照)とあるけれども、その経典は現代には伝わらず、詳細が分からないのである。
また、偈文の名称だが、『諸回向清規』巻5では「出家入道剃髪偈」、『永平元禅師語録鈔』巻中や『行持軌範』「出家得度式作法」では「剃髪偈」、来馬琢道老師『禅門曹洞宗典』では「出家得度の偈」などとされ、一定していない。
古来より、出家する際に、世俗の人間関係の恩を断ち切るために唱えられる偈文であるようだが、正式な名称は付いていない。当Wikiでも立項する都合上、便宜的に呼んだのみである。
流転三界中。恩愛不能断。棄恩入無為。真実報恩者。 『出家略作法』
本文は、諸経論・律蔵・清規によって若干相違する。訓読は、「三界の中に流転すれば、恩愛を断つこと能わず。恩を棄て無為に入るこそ、真実の報恩者ならめ」となる。また、この句を用いた説示も珍しくないため、出家者の理想的心境ともされたのである。
知恩報恩底の句、作麼生か道わん。恩を棄て早く無為の郷に入る。 『永平広録』巻7-524上堂
【内容】
この偈文については、典拠が不明瞭であり、南山道宣『四分律刪繁補闕行事鈔』巻下では「『清信士度人経』に出づ」(「沙弥別行篇第二十八」参照)とあるけれども、その経典は現代には伝わらず、詳細が分からないのである。
また、偈文の名称だが、『諸回向清規』巻5では「出家入道剃髪偈」、『永平元禅師語録鈔』巻中や『行持軌範』「出家得度式作法」では「剃髪偈」、来馬琢道老師『禅門曹洞宗典』では「出家得度の偈」などとされ、一定していない。
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