【定義】
蘭陵越宗が記した、禅戒論を展開する著作。全1巻、寛政11年(1799)刊。
【内容】
この著作は、蘭陵が安永2年(1773)11月に、越後村岡の徳昌寺の授戒会に於いて撰述し、完戒の日に自ら序を付して、法嗣の竹庵に付与したものである。最初は室中に秘蔵されていたようだが、伝写の間に錯誤を生ずることを懸念した竹庵が、寛政11年に跋文をしたためて、上梓した。
内容だが、日本曹洞宗では、中世以来禅戒が衰微し、室内の授戒(伝戒)以外に禅戒が強調されることが乏しかったことを憂えた蘭陵が、その本師である無隠道費?に参じて得た正伝の仏戒を披露して、この普説を撰述している。なお、説戒としては、総説・焼香・礼仏・懺悔、そして三帰・三聚浄戒・十重禁戒と進み、いわゆる十六条戒について諸法実相の立場から戒義を述べている。
ただし、内容には、例えば終盤に於いて、衆生の機根によっては、坐禅以外に念仏も勤めるべきだともされたり、或いはそれらの坐禅や念仏は、見性を期するものだとするなど、問題もあるとされる。現在このテキストは、『曹洞宗全書』「禅戒」巻にて見ることが可能である。
蘭陵越宗が記した、禅戒論を展開する著作。全1巻、寛政11年(1799)刊。
【内容】
この著作は、蘭陵が安永2年(1773)11月に、越後村岡の徳昌寺の授戒会に於いて撰述し、完戒の日に自ら序を付して、法嗣の竹庵に付与したものである。最初は室中に秘蔵されていたようだが、伝写の間に錯誤を生ずることを懸念した竹庵が、寛政11年に跋文をしたためて、上梓した。
内容だが、日本曹洞宗では、中世以来禅戒が衰微し、室内の授戒(伝戒)以外に禅戒が強調されることが乏しかったことを憂えた蘭陵が、その本師である無隠道費?に参じて得た正伝の仏戒を披露して、この普説を撰述している。なお、説戒としては、総説・焼香・礼仏・懺悔、そして三帰・三聚浄戒・十重禁戒と進み、いわゆる十六条戒について諸法実相の立場から戒義を述べている。
ただし、内容には、例えば終盤に於いて、衆生の機根によっては、坐禅以外に念仏も勤めるべきだともされたり、或いはそれらの坐禅や念仏は、見性を期するものだとするなど、問題もあるとされる。現在このテキストは、『曹洞宗全書』「禅戒」巻にて見ることが可能である。
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