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【定義】

道元禅師の弟子であり興聖寺では首座を勤め、法を嗣いだとまでいわれる高弟。道元禅師が興聖寺にいたころに若くして亡くなった。

生没年:不詳(27歳で遷化、一説に1216〜1242年)
出身地:不詳

【内容】

出家した後、興聖寺にいた道元禅師を尋ね、その下で修行する。道元禅師の側に仕え、修行僧の中でも主導的立場にあったとされており、『三祖行業記』などの最初期の道元禅師伝では、僧海首座を法を嗣いだ(法嗣)としている。

しかし、27歳という若さで亡くなり、その死を悼んだ道元禅師は上堂を2回行って供養しており、葬儀では払子を振るなどされたと思われる。
亡僧、僧海首座の為の上堂。彼の終焉の頌を挙するに曰く「二十七年、古債、未だ転ぜず。虚空を踏翻して、投獄すること箭の如し」と。師、挙し了って云く、夜来、僧海枯れぬ。雲水、幾くか嗚呼す。徹底、汝、見ゆと雖も、胸に満る涙、湖を鎖す。昨に一払を拈じて魂魄を打つ。一語、臨行して蘇を待たず、と。『永平広録』巻1-111上堂

ただの1回だけでは、道元禅師の無念の思いが晴れなかったと見えて、次の機会(当時は五参上堂であった)にも僧海首座のための上堂を行った。
僧海首座が為に又上堂して、挙す。趙州道く「一見老僧の後、更に是、別人ならず」と。師乃ち云く、一見老僧、旧面に非ず。生前、未だ一叢林を出でず。風寒、菓落ち頭脳を換う。水沫、身と為す、雲、是、心、と。『永平広録』巻1-112上堂

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