【定義】
南北朝時代の曹洞宗の僧侶、大智禅師の詠んだ偈頌の集成『大智禅師偈頌』に対する註釈書で、現存最古のもの、全2巻。承応2年(1654)に刊行されたが、それには作者名は書いておらず、未だに定着していない。ただし、従来は宇治の興聖寺を中興した万安英種禅師の作と伝えられている。
【内容】
今日まで20種以上が伝わる『大智禅師偈頌』の註釈書では、最古のものといわれる。従来は万安英種禅師の作ともいわれていた。万安は寒巌派?であり、大智禅師も寒巌義尹禅師を受業師とするから、両者時空を隔てても縁があるとも考えられてきた。しかし、同書の内容には曹洞宗の学僧にあるまじき初歩的なミスも多く、例えば瑩山禅師開山の「永光寺」と、詮慧禅師開山の「永興寺」を混同し(『大智禅師偈頌』には「永興寺」に因む偈頌と瑩山禅師に因む偈頌をそれぞれ収録)、また同書作者が大智禅師の伝記を知らないと述べるなど、それは、万安の立場では考えられないという指摘もある。よって、作者は未分明であるという。
現在では『続曹洞宗全書』「注解二」で見ることが出来る。
南北朝時代の曹洞宗の僧侶、大智禅師の詠んだ偈頌の集成『大智禅師偈頌』に対する註釈書で、現存最古のもの、全2巻。承応2年(1654)に刊行されたが、それには作者名は書いておらず、未だに定着していない。ただし、従来は宇治の興聖寺を中興した万安英種禅師の作と伝えられている。
【内容】
今日まで20種以上が伝わる『大智禅師偈頌』の註釈書では、最古のものといわれる。従来は万安英種禅師の作ともいわれていた。万安は寒巌派?であり、大智禅師も寒巌義尹禅師を受業師とするから、両者時空を隔てても縁があるとも考えられてきた。しかし、同書の内容には曹洞宗の学僧にあるまじき初歩的なミスも多く、例えば瑩山禅師開山の「永光寺」と、詮慧禅師開山の「永興寺」を混同し(『大智禅師偈頌』には「永興寺」に因む偈頌と瑩山禅師に因む偈頌をそれぞれ収録)、また同書作者が大智禅師の伝記を知らないと述べるなど、それは、万安の立場では考えられないという指摘もある。よって、作者は未分明であるという。
現在では『続曹洞宗全書』「注解二」で見ることが出来る。
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