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【定義】

サンスクリット語のantara-bhavaの訳語で、古くは中陰と訳され、新訳で中有となった。三有四有?の一。死有と生有との中間的存在で、前世に死んで、まだ次生を受け得ない間の生存をいう。有部の『倶舎論』では中有の存在を認め、経量部系統の『成実論』や、現在のパーリ仏教などでは認めない。また、『大毘婆沙論』(70)などでは、中有の形状やその状況などを示している。

【内容】

道元禅師は晩年に示されたという12巻本『正法眼蔵』や「道心」巻などで、中有の問題について触れている。これには、晩年に至り「来世成仏」とでもいうべき「兜率天往生信仰」(「一生補処」項参照)が入ってきたことも影響していると考えられる。
たとひこの生をすてて、いまだ後の生にむまれざらんそのあひだ、中有と云ふことあり。そのいのち七日なる、そのあひだも、つねにこえもやまず、三宝を、となへたてまつらんと、おもふべし。七日をへぬれば、中有にて死して、また中有の身をうけて、七日あり。いかにひさしといへども、七ヶ日をはすぎず。このとき、なにごとを見、きくも、さはりなきこと、天眼のごとし。 『正法眼蔵』「道心」巻

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