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【定義】

瑩山禅師の弟子であり、瑩山禅師が最初に開山として入った阿波城万寺にて受戒した。その後、同寺、かつ瑩山禅師にとって最初の首座になるなど、僧団で重きをなした。

生没年:生年不詳〜元応3年(1321)
出身地:不詳

【内容】

洞谷記』にその名が見えるものの、細かな行実は不明である。なお、その『洞谷記』に依れば、正応4年(1291)に、瑩山禅師が最初に開山として入った阿波城万寺にて縁があったか、または越前時代から知己があった可能性もある。そして、翌5年、瑩山禅師が永平寺義演禅師から『仏祖正伝菩薩戒作法』を授けられた後に、最初に授戒した5人の1人となる。

その後、城万寺最初の首座になり、その経緯について「先師円寂の時、初めて首座に任ずるなり」とあるため、義介禅師が亡くなった延慶2年(1309)に首座に就いたのであろう。また、後には瑩山禅師が開創した浄住寺の西堂に就くなど、僧団にて重きをなした。しかし、瑩山禅師より早く、元応3年に遷化した。弟子に珍山源照や無涯智洪などがいる。
初めて可鉄鏡禅師を首座に任ず。予、最初の得戒したる五人の上足なり。釈尊在世の陳如尊者の如し。城万寺、最初の首座なり。先師円寂の時、初めて首座に任ずるなり、浄住寺の西堂なり。仍って当山に於いても、半座を分かつ。当山、未来際、首座を敬重し奉るべし。元応三年〈辛酉〉正月廿八日に遷化。 『洞谷記

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