【定義】
永平寺19世として入った。名は祚玖(または祚久)。
生没年:享禄3年(1530、一節に翌年)〜慶長15年(1610)
出身地:不明
俗 姓:不明
【略歴】
生まれた年代は1530年か、その翌年と伝えられている。永平寺18世の祚棟禅師の法嗣となり、永禄3年(1560)にわずか31歳(または30歳)で永平寺の19世となった。天正5年(1577)には、越前の義宣寺を、同11年には鎮徳寺を開くなどした。慶長11年(1606)には、『永平室中伝授総目録』(全1巻)を書写して、祚天?(後の永平寺22世)に付授している。
なお、現在祖山本の名前で知られる門鶴本『永平広録』は、実際の書写を行った実務者の1人が「祚光」という名前だったことからすれば、門鶴が永平寺に安置したということではあっても、祚玖の時代の書写であるとも考えられる。
後、法嗣である門鶴に住持の席を渡し、慶長15年1月22日(または、同月24日)に遷化した。世寿81歳(または80歳)であった。
永平寺19世として入った。名は祚玖(または祚久)。
生没年:享禄3年(1530、一節に翌年)〜慶長15年(1610)
出身地:不明
俗 姓:不明
【略歴】
生まれた年代は1530年か、その翌年と伝えられている。永平寺18世の祚棟禅師の法嗣となり、永禄3年(1560)にわずか31歳(または30歳)で永平寺の19世となった。天正5年(1577)には、越前の義宣寺を、同11年には鎮徳寺を開くなどした。慶長11年(1606)には、『永平室中伝授総目録』(全1巻)を書写して、祚天?(後の永平寺22世)に付授している。
なお、現在祖山本の名前で知られる門鶴本『永平広録』は、実際の書写を行った実務者の1人が「祚光」という名前だったことからすれば、門鶴が永平寺に安置したということではあっても、祚玖の時代の書写であるとも考えられる。
後、法嗣である門鶴に住持の席を渡し、慶長15年1月22日(または、同月24日)に遷化した。世寿81歳(または80歳)であった。
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