直に是れ如来初めて成道する時、三七日に於いて、思惟して未だ説かず。如しくは掩室の門を開かざるに似たるなり〈此れ甚だ当たるのみ〉。大智論に云く、仏、初めて成道して、五十七日、法門を説かず。是れ掩室の義なり。 『肇論疏』巻3
おほよそ掩室坐夏、いかでか無言不説なりとせん。 『正法眼蔵』「安居」巻