愚人おもはくは、たとひ聞法おこたらずとも、解路に進歩なく、記持に不敢ならんは、その益あるべからず、人天の身心を挙して、博記多聞?ならん、これ至要?なるべし、即座に忘記し、退席に茫然とあらん、なにの益かあらん、とおもひ、なにの学功かあらん、といふは、正師にあはず、その人をみざるゆえなり。 『正法眼蔵』「無情説法」巻