如来の正法は、西天すなはち法本なり。古今の人師、おほく凡夫の情量・局量の小見をたつ。仏界・衆生界、それ有辺・無辺にあらざるがゆえに、大小乗の教行人理、いまの凡夫の局量にいるべからず。しかあるに、いたづらに西天を本とせず、震旦国にして、あらたに局量の小見を今案して仏法とせる道理、しかあるべからず。 『正法眼蔵』「袈裟功徳」巻