これ僧堂は、日本に永平祖師の始めて建立なり。児孫相続して、祖恩を報ずべきに、法の衰うに随いて僧堂も潰れ、作法も廃れて、行うものなし。間に、のこれる僧堂を、近世翻修して、明様の禅堂となし、それにて永瑩の古規を行うゆえに進退みな差う。慕古の人、頃ろ僧堂を再建するあれども、勤行の式なきを恨む。 面山瑞方禅師『洞上僧堂清規行法鈔』巻1
即ち古規の書状なり。 『勅修百丈清規』巻4「書記」項