つらつら日暮らしWiki〈曹洞禅・仏教関連用語集〉 - 自未得度先度他
【定義】

訓ずれば「自ら未だ度らざる先に他を度す」となり、自らが救済される前に、まず他人を救済し、幸せにしようと願うことである。そして、大乗仏教菩薩が理想とした衆生救済の論理である。初出は『大般涅槃経?』巻38。

日本仏教では、既に聖徳太子にこの発想が見え、また伝教大師最澄を始めとする天台宗の各祖師にも類似した表現は見える。しかし、この用語そのものを使った例は多くはない。

【道元禅師の「自未得度先度他」の修行論理】

道元禅師は12巻本系統の『正法眼蔵』「発菩提心」巻にて、この菩薩としての生き方を示した。そこではまず、修行の志とは、自未得度先度他として起こされなくてはならないとされる。
発心とは、はじめて自未得度先度他の心をおこすなり。これを初発菩提心といふ。この心をおこすよりのち、さらにそこばくの諸仏にあひたてまつり、供養したてまつるに、見仏聞法し、さらに菩提心をおこす、雪上加霜なり。

しかも、この自らの教化によって、他の衆生にも同じような仏道への志を発させることこそ、菩薩の目指すべき社会であるともされる。
衆生を利益すといふは、衆生をして自未得度先度他のこころをおこさしむるなり。

ただし、このことは当然に自己の利益になるようであれば「菩薩」の生き方とはならず、もしこのことで自己の利益になったとしても、更にそれを他の衆生のために回向することが求められているのである。
自未得度先度他の心をおこせるちからによりて、われほとけにならんとおもふべからず。たとひほとけになるべき功徳熟して円満すべしといふとも、なほめぐらして衆生成仏得道回向するなり。