仏道の修行とは、仏像を手本にして修すべきなのだ。仏像というのは、初心者が如来の仏像を目に付けても、如来の坐禅には及ぶことがない。ただ、仁王や不動明王の像などを目に付けて、仁王の坐禅を行うべきなのだ。まず、仁王とは仏法の入り口であり、不動明王は仏の始めだと知るのだ。だからこそ、仁王は(寺の)門に立っていて、不動明王は十三仏の始めに置かれているのである。『驢鞍橋』「上−2」、『続曹洞宗全書』「法語」巻、35頁、管理人訳