【定義】
和泉国熊取の普陀山
成合寺?の
住持などを勤めた、江戸元禄期の雲山
愚白の
語録。禅家書林柳枝軒から明和6年(1769)に版行。全1巻。
侍者智龍の編である。現在は『
続曹洞宗全書』「
語録一」巻に収録されている。
【内容】
本語録の内容は以下の通りである。
・序(明和第六菊月吉旦奉勅沙門方面山謹序於洛東建仁寺之僑居)
・肖像(賛は鷹峰源光庵の泰岳による)
・目次
・上堂
・小参
・頌古
・法語
・題賛
・偈頌
・仏事
・泉南普陀開山雲山白和尚塔銘並序(明和第六仲秋十八日西海肥谷清潭寺沙門慈方面山謹撰)
・識語(明和己丑菊秋良辰現住成合天淳等謹書)
以上のことから、本語録の編集には、
面山瑞方が大きく関わっていることが分かる。実際に、面山の
本師・
損翁宗益の語録『
見聞宝永記』には、雲山愚白が越中
瑞龍寺?の住持であった時に、加賀
宝円寺?との裁判に巻き込まれることを嫌って同寺を辞去し、成合寺に入る
機縁が示されている。
月舟門下であった損翁はよく雲山のことを話していたと思われ、そこから面山もまた雲山を慕っていたと思われる。また、「序」には「余また、梓郷を同じくするの因縁を辱なくするを以て、恭しく序を為し首に冠する」とあって、「梓郷」とは面山もよく利用した柳枝軒の関係か、或いは肥後に生まれた面山と、肥前岩吼寺(現在の長崎県南島原市)に住持した雲山との関係を指摘する言葉と思われるが、親近感を抱いていた様子が分かる。
上記語録の内容は、雲山が齡八十になんなんとして行った成合寺での
結制に因む上堂語などが収録され、法語や偈頌などからは、雲山が師事した曹洞宗や黄檗宗の僧侶との関わりを伺うことが出来る。また、伝記については面山の撰述となる塔銘が参照されよう。
末尾の識語からは、本語録刊行の経緯を伺うことが出来るため、訓読して掲載する。
我が開山和尚の遺録、室中に僅か一巻のみ秘す。蠧蝕を恐るるが故に、法孫等盍替して梓を鏤める。私和・去吉・句勾・呂台の写誤に至る。手を永福老人に借りて校する。冀う所は、法恩海の一滴に酬いん者なり。 明和己丑菊秋良辰 現住成合天淳等謹書