つらつら日暮らしWiki〈曹洞禅・仏教関連用語集〉 - 東司
【定義】

禅宗寺院に於ける七堂伽藍の一つ。本来は、東序の僧のトイレを東司・東浄と称し、西序の僧のトイレを西司・西浄と称したが、後に名称が東司に統一された。他にも、圊や廁とも表記する。

【内容】

日本曹洞宗では、東司は僧堂浴室とともに三黙道場の一つとなっている。そこで、東司での作法については、道元禅師の『正法眼蔵』「洗浄」巻が、現在までも大きな影響を与えている。なお、【定義】では禅宗寺院のトイレに様々な呼称があることを指摘したが、すでに道元禅師は「東司」で統一していることが確認できる。
寺舎に居してよりこのかたは、その屋(=トイレの施設)を起立せり、これを東司と称す。 「洗浄」巻、傍線管理人

また、道元禅師はこのトイレの作法こそが仏々祖々が伝えてきた威儀であり、作法に従ってトイレを行うことも、重要な修行であるとしている。
しかあればすなはち、仏道場に廁屋あり。仏廁屋裏の威儀は洗浄なり、祖祖相伝しきたれり。仏儀のなほのこれる、慕古の慶快なり、あひがたきにあへるなり。 「洗浄」巻

そして、東司はまさにインド以来の様式によって建立されるべきであるとして、以下のような提言をしている。
摩訶僧祗律第三十四に云く「廁屋は東に在き、北に在くことを得ざれ、応に南に在いて、西に在くべし。小行も亦た是の如し」と。この方宜によるべし。これ西天竺国の諸精舎の図なり、如来現在の建立なり。しるべし、一仏の仏儀のみにあらず、七仏の道場なり、精舎なり、諸仏道場なり、精舎なり。はじめたるにあらず、諸仏の威儀なり。これらをあきらめざらんよりさきは、寺院を草創し、仏法を修行せん、あやまりはおほく、仏威儀そなはらず、仏菩提いまだ現前せざらん。もし道場を建立し、寺院を草創せんには、仏祖正伝の法儀によるべし。 「洗浄」巻

やや漢文の読み方で見解が分かれるところではある。要するに、東と北に置いてはならないのか、或いは北のみが置けないのかという問題である。禅宗で「東司」と称することからは、北のみが置けないという見解になるだろうか。また「東司の威儀が具わらなければ、仏の悟りも現前しない」という見解はトイレの作法を確立するのに並々ならない想いがあることを理解すべきである。そして、当時の永平寺ではこの様式にしたがって構築されたものと拝察される。
古語曰、東司上汝の与に説法すべからず。問、此語仏言乎、祖語乎。又問、祇律云、東に在り北に在ることを得ず、応に南に在り西に在るべし云云、東司と名づく、其の義、如何。答、東司上の語のことは、渉典録の拾遺巻の洗浄の下にあり。東司と云は支那の天童径山などの大叢林は、便宜のよき所に圊を作る。東にあるを東司と云い、西にあるを西司と云ふ。亦東浄とも西浄とも云ふ。五山十刹の図に出たり。司はつかさのこころ、侍者寮を侍司?と云ひ、知客寮を客司?と云と同じ。 『金龍軒問答

東司という名称と、伽藍における配置の問題を論じた問答である。