つらつら日暮らしWiki〈曹洞禅・仏教関連用語集〉 - 頭上安頭
【定義】

頭の上に更に頭を重ねること。一般的には無駄・無益なことを意味するが、道元禅師はこれこそが正しい仏道の参じ方とされる。
むかしより頭上安頭の一句、つたはれきたれり。愚人これをききて、剰法をいましむる言語とおもふ。あるべからず、といはんとては、いかでか頭上安頭することあらん、といふを、よのつねのならひとせり。まことにそれあやまらざるか。説と現成する、凡聖ともにもちいるに相違あらず。このゆえに、凡聖ともに夢中説夢なる、きのふにても生ずべし、今日にても長ずべし。しるべし、きのふの夢中説夢は、夢中説夢を夢中説夢と認じきたる、如今の夢中説夢は、夢中説夢を夢中説夢と参ずる、すなはちこれ値仏の慶快なり。かなしむべし、仏祖明明百草の夢あきらかなること、百千の日月よりもあきらかなりといへども、生盲のみざること、あはれむべし。いはゆる頭上安頭といふその頭は、すなはち百草頭なり、千種頭なり、万般頭なり、通身頭なり、全界不曾蔵頭なり、尽十方界頭なり、一句合頭なり、百尺竿頭なり。安も上も頭頭なると参ずべし、究すべし。 『正法眼蔵』「夢中説夢」巻

なお、「むかしより、つたはれきたれり」とある「頭上安頭」の言葉の出典は、『臨済録』『雲門広録』など複数。特に、雲門文偃は「頭上安頭」を「雪上加霜」と同じ意味として用い、上記で道元禅師が批判する、剰法や剰語を誡める言葉となっている。

また、『正法眼蔵』では、「海印三昧」「授記」巻などでも用例が見られる。