【定義】
曹洞宗の
大本山總持寺5世
通幻寂霊
禅師の
法嗣である普済善救禅師のこと。号は普済、名は善救。
通幻派の規模拡大に寄与した。
生没年:貞和3年(1347)〜応永15年(1408)
出身地:加賀国(現在の石川県南部)
俗 姓:不詳
【内容】
加賀に生まれた普済和尚は、13歳で
浄住寺の
寂室了光に就いて
出家すると、後には中庭
宗可や中巌円月などの
老宿方に参じた。その後は浄住寺に帰り、
紀綱ともなるが、また寺を出て
永澤寺?の
通幻寂霊禅師に随侍し、通幻禅師が總持寺に入る時には、随行して諸職に就いた。
康応元年(1389)12月、坐禅中に悟りを開き、通幻禅師から
嗣法した。
その後は、加賀の聖興寺に住し、明徳4年(1393)には詔を受けて總持寺にて
出世した。応永3年には永澤寺に住し、後には越中の竜泉寺の廃を興し、応永12年には越前に禅林寺を開いて大いに化を振るった。この禅林寺にいる時に、『
瑩山清規』を書写しており、これがいわゆる禅林寺本として、同書最古の写本となる。
翌応永13年には
永光寺に
輪住し、応永15年1月12日に
示寂している。法嗣は、大円禅雄・玉翁正光・直伝正祖・実国崇珍・慧海浄智・玉叟良珍・心翁元快・古室法鑑など。
【語録】
・『
普済禅師語録』(全3巻)
門人の禅雄や良珍などによる編集。普済和尚が住した諸寺での
上堂・
小参などを収める。