いま邪党おもはくは、掩室坐夏の仏意は、それ言説をもちいるはことごとく実にあらず、善巧方便なり、至理は言語道断し、心行処滅なり、このゆえに、無言・無心は至理にかなふべし、有言有念?は非理なり、このゆえに、掩室坐夏九旬のあひだ、人跡を断絶せるなり、とのみいひ、いふなり。これらのともがらのいふところ、おほきに世尊の仏意に孤負せり。 『正法眼蔵』「安居」巻