【定義】
懐弉禅師に師事し
法嗣となった、初期永平寺僧団に所属した僧侶。仏聴とも呼ばれ、また僧首座とも呼ばれる。
生没年:不詳(懐弉禅師が
示寂した1280年の後、3年以内に
遷化との説あり)
出身地:近江の人
【内容】
母が夢に、インド僧が錫を振って堂に入り、そして
三帰戒を授けてくれたという。目覚めると、仏僧が生まれていた。仏僧が成長すると、世俗を超えるような意趣を見せるようになり、自ら
仏性を長じて、遂に弘長元年(1261)に
永平寺の
住持であった懐弉禅師の
法席に身を投じた。山川の麗しい様子や、修行僧達の清らかな姿を見ると、自ら生まれたときの様子を懐弉禅師に語り、
剃髪出家を願った。懐弉禅師は、その不思議な様子に、仏縁があると感じ、仏僧と名づけて
出家させた。
自分の左右に侍るように命じ、厳しく指導を行った。或る日、仏僧は『
宝鏡三昧』の「背触倶に非なり、大火聚の如し」を見ると、たちまちに
投機して、
印可証明を受けた。天性が高尚で、世俗のことは意に介さず、懐弉禅師が
滅度した後に、吉祥山の絶頂に入って
庵居した。
しばしば、名刹をもって迎える話が来たけれども、遂にその坐を立つことはなかった。晩年の様子は知られないが、『
三祖行業記』の記録では、懐弉禅師が亡くなって3年も経ない内に
永平寺で
遷化したという。