禅・仏教に関するwikiです。人名・書名・寺院名・思想・行持等々を簡潔に示しています。禅・仏教に関する情報をお求めの方は、まず当wikiからどうぞ。

タグ検索で永平寺68件見つかりました。

 1  2  3  4  次の20件

永平大清規

[日本曹洞宗]]の[[高祖]]である[[永平寺]][[開山]]・[[道元]][[禅師]]が、その生涯において必要と思われたたびに、[[修行]][[道場]]の規則をまとめたもの。「[[清規]]」とは「清浄大海衆の規矩準縄」という意味である。さらに、『永平大清規』というのは、[[玄透]][[禅師]]『[[永平小清規]]』に対する名前ともされており、道元禅師が統一的に付けた名前ではない。 &color(blue){''【撰述時期】''} 各々独立した六編で、それぞれに撰述時期が記されている。一々を以下に挙げ…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%b1%ca%ca%bf%c2... - 2007年02月04日更新

日本曹洞宗

(blue){''【定義】''} [[永平寺]]を開いた[[高祖]][[承陽大師]][[永平]][[道元]][[大和尚]]が中国から伝えた[[禅宗]]の一派である(対外的には、或いは社会通念上は「禅宗」に分類されるが、教義的にはそれほど単純ではない。詳細は「[[禅宗]]」項参照)。現在の宗教法人名は「[[曹洞宗]]」というだけであり、この項目が「日本曹洞宗」となっているのは、中国に存在した曹洞宗の系統と区別するためでしかない。つまり、「日本の曹洞宗」或いは「曹洞宗道元派」に関する記述ということである。 …

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c6%fc%cb%dc%c1... - 2008年08月21日更新

鎌倉行化

(blue){''【定義】''} [[永平寺]]の[[住持]]であった[[道元]][[禅師]]が、鎌倉にいた「檀那俗弟子」のために行化したこと。 &color(blue){''【内容】''} 道元禅師は『永平広録』の上堂で、以下のように述べている。 ''宝治二年〈戊申〉三月十四日の上堂に、云く、[[山僧]]昨年の八月初三日、山を出でて相州鎌倉郡に赴き、[[檀那]][[俗弟子]]の為に説法し、今年今月の昨日帰寺し、今朝[[陞座]]す。 『[[永平広録]]』巻3-251[[上堂]]'' ここから…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%b3%f9%c1%d2%b9... - 2021年01月28日更新

日本曹洞宗史略年表

懐弉]][[禅師]]が京都にて誕生([[永平寺]]二世)。 1200年(正治2) 1月2日に[[道元]][[禅師]]が京都にて誕生([[永平寺]][[開山]])。 1207年(建永2) 道元禅師の母死去。高雄寺にて葬儀。その様子を見て道元禅師[[発心]]。   同年(開禧3・中国) [[寂円]][[禅師]]、中国洛陽にて生まれる([[宝慶寺]][[開山]])。 1212年(建暦2・日本) 道元禅師[[出家]]の志を深め、比叡山良顕法印を頼る。 1213年(建保元) 4月9日、道元禅師が比叡山で[[剃髪]]…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c6%fc%cb%dc%c1... - 2015年03月24日更新

瑩山

定される)、そうであれば、瑩山禅師が[[永平寺]]に登ったのは祖母と無縁ではあるまい。永平寺に登られると瑩山禅師は[[沙弥]]となり(当時の[[住持]]は[[義介]]禅師)、13歳になると[[得度]]して正式な修行僧として歩み始めている。その時には、[[道元]][[禅師]]の直弟子である[[懐弉]][[禅師]]に就き、その最後の弟子(末後の小師)となった。瑩山禅師は懐弉禅師から親しく指導を受けたようで、[[先師]]として仰いでいる。弘安3年(1280)に[[懐弉]]禅師が亡くなると、また[[永平寺]]の[…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%e0%f2%bb%b3... - 2008年02月27日更新

鐘銘

して記したもの。[[曹洞宗]]では、[[永平寺]]5世・[[義雲]][[禅師]]の「永平寺鐘銘」が記録上最も古い。 ''銘を作して曰く、此の吉祥山、方外の深巒、帝都雲隔して、峻嶺雪寒し。曹源の派を受け、洞水の潭を湛ふ。殿堂年旧して、楼台未だ安ぜず。他化功を以て、箇の梵鐘を得たり。槌發するに則有り、声揚て窮り無し。千仏同風、一音是れ從ふ。前後際断、緊漫相ひ交る。欄を臨む月を迎え、林を度る風を送る。債魚業浄く、化蝶夢回る。邪定牀斡たり、焼煮鑊摧く。宝珠頂に輝き、長鯨胎に吼ゆ。神空谷に諾し、…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%be%e2%cc%c3... - 2020年12月20日更新

越本山

福井県東部)に所在する[[大本山]][[永平寺]]のこと。対義語は「[[能本山]]」。…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%b1%db%cb%dc%bb... - 2020年11月29日更新

大虚

定義】''} 号は大虚、名は喝玄。[[永平寺]]40世として入り、『[[永平丈室夜話菩薩戒義]]』を著した。 生没年:寛文2年(1662)〜元文元年(1736)2月5日 出身地:不明 俗 姓:不明 &color(blue){''【略歴】''} 大虚喝玄は、嶽宣性華の[[法嗣]]で、武蔵洞雲寺、下総[[総寧寺]]を経て[[永平寺]]に40世として[[晋住]]した。円成実性禅師の勅諡号を賜っている。総寧寺に住していた享保6年(1721)に、同寺の歴住記『安国山雑誌』を編集し、また永平寺にいる間には、享…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c2%e7%b5%f5... - 2009年06月10日更新

首座

記録]]』) ・[[懐鑑]](巻3・[[永平寺]]) ・[[義信]](『[[三祖行業記]]』) なお、首座については、配役上の首座と、[[戒臘牌]]に於ける首座とあったようで、それが[[語録]]に於ける修行僧の呼び名でどのように使い分けされていたかは、その都度考える必要がある。 ''かの牓、かく式あり。[[知事]]・[[頭首]]によらず、[[戒臘]]のままにかくなり。諸方にして頭首・知事をへたらんは、おのおの首座・[[鑑寺]]とかくなり。数職をつとめたらんなかには、そのうちにつとめて…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%bc%f3%ba%c2... - 2008年06月30日更新

懐弉

[[道元]][[禅師]]の後を嗣いで[[永平寺]]2世として住した懐弉(えじょう・懐奘とも)[[禅師]]のこと。[[道号]]は孤雲ともされるが、古伝には見えない。諡号は道光普照国師。 生没年:建久9年(1198)〜弘安3年(1280) 出身地:京都 俗 姓:藤原氏(九条家系) &color(blue){''【略歴】''} 藤原氏に生まれた懐弉禅師であるが、史伝では「九条大相国」と称された藤原伊通(1093〜1165)の曾孫であるとされる。比叡山横川に円能法印に就いて[[出家]]し、建保6年(1218…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%b2%fb%d7%b2... - 2020年08月24日更新

正法眼蔵

]]』を数えるが、ここでは除く)から[[永平寺]]にて書かれた「[[八大人覚]]」巻に至るまで、その時々で撰述されている。32歳で書かれた『弁道話』から54歳で書かれた「八大人覚」巻まで数えると、生涯に綴られた著作だと思われやすいが、実際の主要撰述時期は40〜46歳までである。下掲「[[撰述略年表>#001]]」要参照。 て韻犬道元禅師が記した著作の題名。こちらは全て漢文で書かれており、中国のさまざまな禅問答(=[[公案]])を収集して300則を厳選した。『[[真字正法眼蔵]]』とも『正法眼蔵三百…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c0%b5%cb%a1%b4... - 2007年11月02日更新

玄透

){''【定義】''} 江戸時代、[[永平寺]]の50世として「[[古規復古運動]]」を推進し、[[道元]][[禅師]]550回大遠忌を[[修行]]した。号は玄透、名は即中、賜号は洞宗宏振禅師(光格天皇より)。 生没年:享保14年(1729)〜文化4年(1807) 出身地:名古屋 &color(blue){''【略歴】''} [[出家]]した後、清涼寺の頑極官慶を[[本師]]として、[[嗣法]]するまでになった。その後、美濃の善応寺、武蔵の[[龍穏寺]]([[関三刹]]の一)に住し、寛政7年(17…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%b8%bc%c6%a9... - 2008年04月14日更新

道元

禅僧]])で、越前国志比庄(現在の福井県永平寺町)に、[[日本曹洞宗]]の[[大本山]]となる[[永平寺]]を開かれた。 生没年:1200(正治2)〜1253(建長5)年 出身地:山城国(現:京都) 俗 姓:村上源氏 諡 号:[[仏性伝東国師]](1854年)、[[承陽大師]](1879年) 道元禅師に関する伝記文献の書名。1935年に圭室諦成が日本評論社から刊行した『道元』、1992年に竹内道雄が吉川弘文館人物叢書から刊行した『道元(新稿版)』、2011年に和辻哲郎の「沙門道元」が文庫本化される際…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c6%bb%b8%b5... - 2008年03月31日更新

大仏寺

''【定義】''} 仝什澆梁臻椹[[永平寺]]が、改名される前の旧名。[[傘松峰]]という山号であったともされるが、古伝は皆「[[吉祥山]]」となっており、山号は[[永平寺]]と同じであった。 愛知県東海市に所在する寺院で、市内聚楽園にある大仏(阿弥陀仏)を護持するために作られた宗教法人である。元々この大仏は岐阜県出身の実業家・山田才吉が昭和天皇ご成婚(1927年)を記念して造立したものであったが、その後、同大仏の所有権が名古屋市内の会社に移るなどした。しかし、1983年に市内の普済寺関係者が発案し…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c2%e7%ca%a9%bb... - 2018年09月19日更新

義雲

(blue){''【定義】''} [[永平寺]]5世として[[晋住]]した僧であり、永平寺の[[中興]]と称された。 生没年:建長5年(1253)〜正慶2年(1333) 出身地:京都 &color(blue){''【略歴】''} 京都の公卿の家に生まれた(古くは、中国出身の人であるといういいかたがされ、最近では[[宝慶寺]]の[[檀那]]である伊自良氏の出身とも推定されている)義雲[[禅師]]は、始め京都の教宗寺院にて[[出家]]し、華厳・法華の疏を通して、教学を学んだ。24歳の時に、[[禅宗]]…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%b5%c1%b1%c0... - 2008年08月05日更新

三祖行業記

){''【定義】''} 詳しくは『[[永平寺]]三祖行業記』と言い、[[永平寺]]の[[初祖]][[道元]][[禅師]]・二祖[[懐弉]]禅師・三祖[[義介]]禅師の3人の伝記としては、最古のもの。撰者や成立年代については奥書も識語もないため不明であり、また応永年間(1394〜1427)には存在していたことが知られている(1399年成立『[[仏祖正伝記]]』に引用される)が、詳細は不明である。異本として『[[三大尊行状記]]』があり、また『[[伝光録]]』や『[[建撕記]]』との対応も考えなくてはならな…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%bb%b0%c1%c4%b9... - 2007年02月23日更新

懐奘

''【定義】''} [[大本山]][[永平寺]]2世・懐奘[[禅師]]のこと。なお、直筆と伝わる文書には、懐奘・懐弉ともに表記が確認されているが、懐奘が実際の表記であろうと考えられている。ただし、当Wikiでは、先に[[懐弉]]を立項した関係で、そちらをご参照願いたい。…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%b2%fb%d4%f9... - 2017年04月18日更新

永平広録

れてから越前の[[大仏寺]](後には[[永平寺]]に改称)に移られて、[[遷化]]される前年までの[[説法]]を弟子達が記録・編集したものである。編年体の伝記ではないけれども、[[道元]]禅師の一生の記録といって過言ではない。 [[応時応節]]に説かれた説法の記録は、『[[正法眼蔵]]』よりも活き活きとした[[道元]]禅師の姿を後世に伝えるものであり、当時の[[永平寺]]僧団の状況・構成を考える上でも、貴重な文献である。 &color(blue){''【主な異本】''} ''・卍山本'' 江戸時代、…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%b1%ca%ca%bf%b9... - 2007年02月04日更新

永平略録

日本曹洞宗]]の[[開祖]]とされた[[永平寺]][[開山]]の[[道元]][[禅師]]の語録で、詳しくは『永平元禅師語録』だが、『[[永平広録]]』に対して分量が約10分の1であることから『永平略録』と通称される。 &color(blue){''【刊行について】''} ・本書は、道元禅師の語録『永平広録』を寒巌[[義尹]][[禅師]]が中国へ持参し、道元禅師の[[同参]](=共に修行した僧のこと)だった無外義遠に校正を依頼し、もとの全10巻から全1巻に抄出されたものである。そこで、義尹禅師は本書を[…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%b1%ca%ca%bf%ce... - 2006年11月21日更新

三大尊行状記

『元祖孤雲徹通三大尊行状記』と言い、[[永平寺]]の[[初祖]][[道元]]禅師・二祖[[懐弉]]禅師・三祖[[義介]]禅師の3人の伝記としては最古のものとされる『[[三祖行業記]]』の異本。長い年月にわたり、書写伝承される間に字句に異同が生じたものと推定されており、基本的には同一。成立年代については奥書も識語もないため不明で、撰者についても「門人集記」とされているものの、詳細は不明。 また、『[[三祖行業記]]』などでは、各祖師の名前を比較的おとなしめに「初祖道元禅師」「二祖弉禅師」「三祖介禅師」と表…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%bb%b0%c2%e7%c2... - 2007年02月23日更新

 1  2  3  4  次の20件
安居(56) 永平広録(41) 永平寺(68) 学人(27) 帰依(27) 供養(37) 袈裟(52) 功徳(31) 行持(49) 坐禅(129) 三宝(42) 嗣法(27) 師家(32) 寺院(44) 釈尊(52) 首座(29) 受戒(37) 修行(98) 衆生(56) 十二分教(28) 出家(53) 上堂(45) 正伝(34) 正法眼蔵(240) 清規(38) 説法(31) 禅宗(54) 祖師(32) 僧堂(61) 叢林(35) 曹洞宗(50) 陀羅尼(30) 大衆(29) 道元(215) 道理(29) 如来(27) 普勧坐禅儀(29) 仏教(60) 仏性(51) 仏祖(81) 仏陀(28) 仏道(130) 仏法(77) 弁道話(61) 菩薩(61) 法要(38) 面山(75) 礼拝(38) 瑩山(62) 總持寺(49)

管理人/副管理人のみ編集できます