Wiki(ウィキ)内検索結果
タグ検索で懐鑑は6件見つかりました。
達磨宗
さらに[[覚晏]]の弟子であった[[懐鑑]]は、越前[[波著寺]]を拠点として活動していたようだが、門下であった[[義介]]・[[義演]]・[[義準]]などを引き連れて道元禅師に弟子入りし(仁治2年[1241]とされる)、彼らは成立当初の[[日本曹洞宗]]の初期にあって重きをなしている。 ただし、日本達磨宗の教義と、道元禅師の宗教思想とは、[[修行]]の有無という点で相容れることはなく、特に晩年の『[[正法眼蔵]]』は彼らへの批判の書であるという指摘もあるが、推測以上のものではないし、『[[永平広録…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c3%a3%cb%e1%bd... - 2007年12月31日更新
懐鑑
は名前の一字に「懐」を用いたようである。懐鑑・[[懐弉]]・[[懐義]]尼などがそれに当たる。懐鑑は特に覚晏の[[上足]]として、日本達磨宗に伝えられていた中国の拙庵徳光から伝えられた[[嗣書]]・[[血脈]]・[[舎利]]や経教などを継承して、日本達磨宗三祖となった。 しかし、日本達磨宗が主たる活動場所としていた、大和多武峰の妙楽寺が、奈良・京都の寺院抗争に巻き込まれ焼き討ちされたため、越前(現・福井県東部)の[[波著寺]]に移ることとなった。そして、越前で名前が通るようになり、それは『[[三祖行業記…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%b2%fb%b4%d5... - 2008年07月03日更新
義介
]][[禅師]]や、[[達磨宗]]の[[懐鑑]]の下で学び、その後、[[永平寺]]2世となった[[懐弉]]禅師に[[嗣法]]し、その後を嗣いで同寺の3世として住し、さらに加賀[[大乗寺]]を開いている。号は徹通、名は義介。別に[[義鑑]]とも称する。弟子に、[[瑩山]]紹瑾[[禅師]]を輩出した。 生没年:承久元年(1219)〜延慶2年(1309) 出身地:越前国丹生郡北足羽郷 俗 姓:藤原氏 &color(blue){''【略歴−誕生から道元禅師の下での参学】''} 承久元年2月2日に越前国丹生郡…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%b5%c1%b2%f0... - 2008年03月02日更新
義準
''} 元々は[[達磨宗]]の僧・[[懐鑑]]の弟子であったが、後に[[興聖寺]]で[[道元]][[禅師]]に参じるようになる。[[道元]]禅師が亡くなった後、[[懐弉]]禅師に参じてその力量を認められたともいうが、最終的には高野山に登り、名前を義能と改めて、播磨の加古郡に無量寿院を開いたという。 生没年:不詳 俗 姓:不詳 出身地:一説に越後の人とも。 &color(blue){''【内容】''} 元々日本達磨宗の[[懐鑑]]に弟子入りしたが、後に比叡山に登って経律論の三蔵、そして天台教学を学ん…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%b5%c1%bd%e0... - 2006年10月10日更新
仏前斎粥供養侍僧事
で称される人材であれば、覚禅と号した[[懐鑑]]であろうと推定されている(春秋社本『[[道元禅師全集]]』第7巻、解題参照)。…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%ca%a9%c1%b0%ba... - 2007年02月20日更新
忌辰
なった日のこと。 ''準書状、[[懐鑑]]上人忌辰の為に[[上堂]]を請す。云く。老鶴雲に巣くい眠り未だ覚めず。壷氷の雪の上に更に霜を加う。荘厳報地、豈、他事ならんや。少しきの薫修有り一炷の香。 『[[永平広録]]』巻7-507[[上堂]]''…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%b4%f7%c3%a4... - 2007年01月16日更新