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タグ検索で慧能は2件見つかりました。
恁麼
いた巻である。さらに、同巻の後半には六祖慧能の風動幡動話に関する独自の解釈も行われている。それまでの中国禅宗などでは、幡が動く現象を捉えて、風が動くのか、それとも幡が動くのかと問う二分法に対して、なんじら自身の心が動くと説いた六祖の言葉を賞賛するが、道元禅師はそうではないとされる。 ''しかあればすなはち、この道著は風も幡も動もともに心にてあると六祖は道取するなり。まさにいま六祖の道をきくといへども、六祖の道をしらず。いはんや六祖の[[道得]]を道取することをえんや。為甚麼恁麼道、いはゆる[[仁者]…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%d7%ec%d6%f7... - 2007年01月24日更新
冷暖自知
e){''【内容】''} 中国禅宗六祖慧能が蒙山道明と交わした問答中、大悟した蒙山が六祖に対して、自ら得た悟りの状況を述べた言葉。 ''祖曰く「不思善・不思悪、正に恁麼の時、阿那箇か是れ、明上坐の本来の面目」と。師、当下に大悟し遍く体に汗流るる。泣いて礼すること数拝して、問うて曰く「上来の密語・密意の外に、還、更に別の意旨有りや、否や」と。祖曰く「我、今、汝の与に説くは、即ち密に非ざる也。汝、若し自己の面目に返照すれば、密、汝の辺に却在す」と。師曰く「某甲、黄梅の衆に随って在ると雖も、実に未だ自己…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%ce%e4%c3%c8%bc... - 2006年12月30日更新