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タグ検索で仏道は131件見つかりました。
帝胤
97;跰するによりて、[[仏道]]を見聞せざるなり。 『[[正法眼蔵]]』「[[礼拝得髄]]」巻''…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c4%eb%b0%fd... - 2023年01月31日更新
晩進
'【定義】''} 晩学後進の略語。[[仏道]]修行での後輩、初心者。若い修行者のこと。 ''徳山のむかしあきらめざることは、いまきこゆるところなり。龍潭をみしよりのちも、なほ婆子を怕却しつべし、なほこれ[[参学]]の晩進なり、[[超証]]の[[古仏]]にあらず。 『[[正法眼蔵]]』「[[心不可得]]」巻''…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c8%d5%bf%ca... - 2007年02月10日更新
化益
読み方は「けやく」。[[教化]]して[[仏道]]への利益を増させること。 ''進前退後、他力を借りず、霊山に[[半座]]を分かち、曹渓に化益を比す。 『[[洞谷記]]』「能州洞谷山永光寺瑩山和尚語録」''…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%b2%bd%b1%d7... - 2022年07月23日更新
澆運
'} 澆の原意は「薄い」、よって、[[仏道]]への志などが薄いこと。運は世の定めの意味。よって、仏道への志が薄い世の中の意味。 ''況んや像末の澆運、唯だ[[結縁]]を貴ぶのみ。 『[[衆寮箴規]]』''…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%df%a4%b1%bf... - 2022年03月29日更新
世務
般的には、世間的な務めが忙しい場合、[[仏道]][[修行]]がおろそかになると考えられるが、[[道元]][[禅師]]は「志」次第であると、『弁道話』で示された。 ''[[武門]]・[[文家]]、いづれも[[参禅]][[学道]]をこころざせり。こころざすもの、かならず[[心地]]を[[開明]]することおほし。これ世務の[[仏法]]をさまたげざる、おのづからしられたり。 『[[弁道話]]』''…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c0%a4%cc%b3... - 2022年03月28日更新
世利
世間]]に於いて利とされるべき事柄。[[仏道]]では、この世利を[[遠離]]することを説く。 ''[[知事]]の[[心術]]、[[住持]]の心術と同じきなり。仁義を先と為し、柔和を先と為し、[[大慈大悲]]して[[雲衆水衆]]、[[十方]]を接待して、[[叢席]]を一興す。世利を見ず、唯だ[[道業]]を務むる者の充て来たる所なり。 『[[永平寺]][[知事清規]]』''…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c0%a4%cd%f8... - 2021年10月26日更新
飽学措大
''授記に飽学措大なるとき、[[仏道]]に飽学措大なり。 『[[正法眼蔵]]』「[[授記]]」巻''…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%cb%b0%b3%d8%c1... - 2021年09月06日更新
胡説乱道
日にいたるまで、[[説心説性]]の、[[仏道]]なることをあきらめず、[[教行証]]の説心説性にくらくて、胡説乱道する[[可憐憫者]]おほし。 『[[正法眼蔵]]』「[[説心説性]]」巻''…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%b8%d5%c0%e2%cd... - 2021年08月29日更新
宝所
(blue){''【定義】''} [[仏道]]修行者が得たいと願うべき宝のような目標、境地のこと。 ''しかるを、いま人をほく[[大悟]]を挙して、[[学道]]の[[究竟]]の宝所と[[錯認]]しける、あはれむべし、いくばくか究竟の宝所は大悟のみにあらざることを[[蹉過]]する、[[捨父逃逝]]なるべし。 草案本系統『[[正法眼蔵]]』「[[大悟]]」巻''…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%ca%f5%bd%ea... - 2021年08月29日更新
愚闇
(blue){''【定義】''} [[仏道]]の道理に暗く、愚かであること。 ''[[三教一致]]といふは、智円・正受なり、後代[[澆季]]愚闇の[[凡夫]]なり。 『[[正法眼蔵]]』「[[四禅比丘]]」巻''…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%b6%f2%b0%c7... - 2021年07月26日更新
仏髄宗
といふこと。 『[[正法眼蔵]]』「[[仏道]]」巻''…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%ca%a9%bf%f1%bd... - 2021年06月08日更新
非道
''} [[道理]]に非ざること。[[仏道]][[修行]]に相応しくない振る舞い。対義語は[[正道]]。 ''若し人を賞翫すれば、縦ひ非道と知るも乃ち之を修行す、若し[[恭敬]]讃嘆せざれば、是れ正道と知ると雖も弃てて而も修せず。痛ましい哉、汝等、試みに心を静かにして観察せよ。此の[[心行]]、[[仏法]]と為すや、仏法に非ずや。恥すべし恥ずべし、[[聖眼]]の照す所なり。 『学道用心集』「有所得心を用って仏法を修すべからざる事」''…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c8%f3%c6%bb... - 2021年06月06日更新
業障
。悪しき行いによって得られた結果が、[[仏道]]の学びへの妨げとなること。 ''業障とは、[[三障]]のなかの一障なり。いはゆる三障とは、業障・報障・煩悩障なり。業障とは、[[五無間業]]をなづく。 12巻本系統『[[正法眼蔵]]』「[[三時業]]」巻'' 上記の通り、道元禅師は業障は三障の一であり、更に[[五無間業]]であるとした。 ''[[拝問]]す。煩悩障・異熟障・業障等の障、[[仏祖]]の道処なりや。[[和尚]]云く、龍樹等の[[祖師]]の説の如く、須らく[[保任]]すべきなり。異途…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%b6%c8%be%e3... - 2021年05月30日更新
耽道
[[禅師]]は「耽道」を、一心不乱に[[仏道]]に参じる様子であるとする。 ''耽道の人おほきことをよろこぶべし。この道、こころにそむべし、この語、みに銘ずべし。 『[[正法眼蔵]]』「[[行持]](上)」巻''…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c3%bf%c6%bb... - 2021年05月22日更新
朝参暮請
lue){''【定義】''} 師に[[仏道]]を問い、学ぶ態度を示し、朝にも暮れにも熱心に[[参請]]する様子を示した言葉。 ''幼歳にして師に従うは上古の[[勝躅]]なるか。[[行玄]][[禅人]]、十四歳にして僧に做り、我が[[衆席]]に随うて、朝参暮請す。夙に[[般若]]の力有りて致す所なり。 『[[永平広録]]』巻8ー[[法語]]13''…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c4%ab%bb%b2%ca... - 2021年05月22日更新
利養
される。[[道元]][[禅師]]は、[[仏道]]を学ぶときには無駄なものだと批判しており、その抛却こそが求められる。 ''たとひ[[名聞]]を思とも、[[仏祖]]の名を得て[[古徳]][[後賢]]是を聞て悦ばしめん。たとひ利養を思とも常楽の得益、[[龍天]]の[[供養]]を可得。 『[[正法眼蔵随聞記]]』巻3''…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%cd%f8%cd%dc... - 2021年05月21日更新
戒名
仏」の観念が一部で盛んとなっており、[[仏道]]に入り[[成仏]]するにはまず[[受戒]]をして戒名をもらわなければならないとされる。なお、古来は出家者のみに与えられるものだったが、中国や日本では、在家者にも与えられるようになった。さらに[[日本曹洞宗]]では、中世には「[[没後作僧]]」の方法が存在し、現在は公式の[[檀信徒喪儀法]]で、故人の没後に[[授戒]]を行うようになることが一般化したため、死者([[亡者]])にも授戒され、その結果、戒名が与えられるようになった。 &color(blue){'…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%b2%fc%cc%be... - 2007年09月30日更新
活路
道、生きのびる方法、転じて、進むべき[[仏道]]の道。 ''[[尽十方界]]は是自己なり、是自己は尽十方界なり。廻避の余地あるべからず。たとひ廻避の地ありとも、これ[[出身]]の活路なり。 『[[正法眼蔵]]』「[[光明]]」巻''…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%b3%e8%cf%a9... - 2021年03月20日更新
棄嫌
。[[愛惜]]の対義語。 ''[[仏道]]もとより[[豊倹]]より[[跳出]]せるゆえに、生滅あり、迷悟あり、[[生仏]]あり。しかもかくのごとくなりといへども、花は[[愛惜]]にちり、草は棄嫌におふるのみなり。 『[[正法眼蔵]]』「[[現成公案]]」巻''…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%b4%fe%b7%f9... - 2021年03月14日更新
学解
{''【定義】''} 学び解すること。仏道を知的に学ぶこと。道元禅師は『学道用心集』等で、学解による仏道の把握を批判される。 ''[[聡明]]を先とせず、学解を先とせず、[[心意識]]を先とせず、[[念想観]]を先とせず、向来都て用いずして身心を調えて以て[[仏道]]に入るなり。 『[[学道用心集]]』「[[参禅]]に知るべき事」''…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%b3%d8%b2%f2... - 2021年03月13日更新