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タグ検索で仏法は63件見つかりました。
転法拯物
「法を転じて、物を拯う」ということ。[[仏法]]を働かせて、物を救うこと。 ''[[通身]]ひとへに泥水し入草して、[[説法度人]]、いまだのがれず、転法拯物、いまだのがれざるのみなり。 『[[正法眼蔵]]』「[[安居]]」巻''…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c5%be%cb%a1%d9... - 2021年01月14日更新
説法度人
、「法を説き、人を度す」ということ。[[仏法]]を説いて、人を[[済度]]することをいう。 ''[[通身]]ひとへに泥水し入草して、説法度人、いまだのがれず、[[転法拯物]]、いまだのがれざるのみなり。 『[[正法眼蔵]]』「[[安居]]」巻''…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c0%e2%cb%a1%c5... - 2021年01月14日更新
節目
ら六祖大鑑禅師にいたるごとき、真実の[[仏法]]まさに[[東漢]]に[[流演]]して、節目にかかはらぬむねあらはれき。 『[[弁道話]]』''…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c0%e1%cc%dc... - 2020年12月31日更新
法問
わゆる[[問答]]のことだが、特に、[[仏法]]を問うため、「法問」と呼称される。…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%cb%a1%cc%e4... - 2020年11月08日更新
威儀即仏法
威厳のある容儀([[威儀]])がそのまま仏法であることを意味し、[[作法是宗旨]]と並んで[[日本曹洞宗]]では好んで用いられている。ところが、典拠は明らかではなく、道元禅師の教えだという言い方はされるが、道元禅師自身はこの語を用いておられない。編集者の管見では、明治期以降に良く用いられたものであると思われる(暫定的な典拠として雑誌『禅』明治42年10月1日号は「諡常済大師」記念号だが、森田悟由禅師の所感として「太祖の仏法は高祖の所謂「作法是宗旨・威儀即仏法」にして徹頭徹尾実践躬行なり」とされたのを見出し…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%b0%d2%b5%b7%c2... - 2019年11月09日更新
威儀
近代以降、自らの宗風について、[[威儀即仏法]]・[[作法是宗旨]]と表現することが好まれた。 [[僧侶]]が具えるべき正しい服装のこと。[[道元]][[禅師]]は、威儀について説示される。 ''威儀を具すといふは、[[袈裟]]を著し、[[坐具]]をもち、[[鞋襪]]を整理して、一片の沈・[[箋香]]等を帯して参ずるなり。 『[[正法眼蔵]]』「[[陀羅尼]]」巻''…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%b0%d2%b5%b7... - 2006年09月17日更新
結縁
】''} ゆかりを結ぶこと。特に、[[仏法]]に縁を結ぶこと。仏縁を結ぶこと。未来に[[成仏]]するための縁を結ぶこと。[[仏教]]に関心の無い人に関心を持たせて、関係づけること。 ''また云、[[世間]]の人多分云、「[[学道]]の志あれども世のすゑなり、人くだれり。我根劣なり。[[如法]]の[[修行]]に不可堪。ただ随分にやすきにつきて結縁を思ひ、[[他生]]に[[開悟]]を期すべし」と。 『[[正法眼蔵随聞記]]』巻5-8''…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%b7%eb%b1%ef... - 2009年05月02日更新
法蔵
''【定義】''} 法の集まりのこと。仏法の全体を指す言葉。 ''摩訶迦葉、すでに[[釈尊]]の[[嫡子]]として法蔵の[[教主]]たり、[[正法眼蔵]]を[[正伝]]して[[仏道]]の[[住持]]なり。 『[[正法眼蔵]]』「[[仏教]]」巻''…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%cb%a1%c2%a2... - 2015年02月02日更新
計校
こと。 ''その中に、心をもて[[仏法]]を計校する間は、[[万劫千生]]にも得べからず。心を[[放下]]して、[[知見解会]]を捨つる時、得るなり。 『[[正法眼蔵随聞記]]』巻3-21''…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%b7%d7%b9%bb... - 2014年11月03日更新
万劫千生
表す。 ''その中に、心をもて[[仏法]]を[[計校]]する間は、万劫千生にも得べからず。心を[[放下]]して、[[知見解会]]を捨つる時、得るなり。 『[[正法眼蔵随聞記]]』巻3-21''…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%cb%fc%b9%e5%c0... - 2014年11月03日更新
活命
した心にかけ、明日明年の活命を思うて[[仏法]]を学せんは、[[万劫千生]]学すともかなふべしとも覚えず。 『[[正法眼蔵随聞記]]』巻3-13'' ¬燭鬚弔覆阿海函 ''是れに依つて聊か世に順ひ人に随つて、他の恩力をもて母の衣糧にあづかる。若し[[遁世]]籠居せば一日の活命も存じ難し。 『[[正法眼蔵随聞記]]』巻4-10''…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%b3%e8%cc%bf... - 2011年02月05日更新
宗乗自在
[[普勧坐禅儀]]』に見える語句で、[[仏法]]とはどのような存在でも自由に使いこなしていること。 ''宗乗自在、何ぞ[[功夫]]を費やさん。 『[[普勧坐禅儀]]』''…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%bd%a1%be%e8%bc... - 2014年01月09日更新
臘月扇
だが、転じて、世間的な価値を超越した[[仏法]]を指す。 ''師云く、「心は臘月扇の如し、身は寒谷雲の如し」。 『[[永平広録]]』巻1-27[[上堂]]''…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%e7%c4%b7%ee%c0... - 2013年12月08日更新
空手還郷
て郷に還る%%%。所以に[[山僧]]、無仏法なり。任運に、且く延時す。朝朝の日、東に出でて、夜夜の月、西に落つ。雲、収まって山谷静かなり、雨、過ぎて四山低り。三年には必ず一閏、鶏は五更に向って啼く、と。'' この上堂語を見れば、「空手還郷」とは、経典や仏像の輸入を目的としていた平安時代初期の中国留学とは異なり、まさに自分自身の体得してきた仏法以外に何ものもないことを意味している。転じて、郷を「本来の面目」と解釈して、自分自身の身心以外の何ものも用いずに、「本来の面目」に還ることをも意味している。 それ…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%b6%f5%bc%ea%b4... - 2006年11月27日更新
中興
]つひに[[還俗]]して即位す。武宗の廃仏法を発して、宣宗すなはち[[仏法]]を中興す。 『[[正法眼蔵]]』「[[行持]](上)」巻'' 一度荒廃した[[寺院]]を再び興隆させた人を指し、特に中興[[開山]]などと呼ばれる。同じく「再中興」「重興」「再重興」などの表現もある。これは、中興された回数によって変化する。…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c3%e6%b6%bd... - 2006年10月15日更新
法孫
&color(blue){''【定義】''} [[仏教]]の[[門流]]であること。[[仏陀]]の法を受け嗣ぐ系統を、一般的な世間に於ける子孫に譬えた言葉。 ''それよりのち梁武帝の御宇、普通年中にいたりて、[[初祖]]みづから[[西天]]より南海の広州に幸す。これ[[正法眼蔵]][[正伝]]の[[嫡嗣]]なり。釈迦牟尼仏より二十八世の法孫なり。 『[[正法眼蔵]]』「[[光明]]」巻'' [[師翁]]の対義語。[[法系]]上で孫に当たる人を法孫という。 ''いま、大潙は…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%cb%a1%c2%b9... - 2007年09月28日更新
頭正尾正
始終正しいこと。 ''おほよそ[[仏法]]は、[[知識]]のほとりにしてはじめてきくと、[[究竟]]の[[果上]]もひとしきなり。これを頭正尾正といふ。[[妙因妙果]]といひ、[[仏因仏果]]といふ。 『[[正法眼蔵]]』「[[諸悪莫作]]」巻''…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c6%ac%c0%b5%c8... - 2011年12月13日更新
全道
''後来の[[阿師]]等、かつて[[仏法]]の全道をきかず、[[祖道]]の[[全靠]]なく、[[本分]]にくらきともがら、わづかに一両の少分に[[矜高]]して、かくのごとく[[宗称]]を立するなり。 『[[正法眼蔵]]』「[[仏道]]」巻'' ここに見るように、[[道元]][[禅師]]は[[只管打坐]]によって、[[阿耨菩提]]を[[単伝]]してきた仏道・祖道は、全道であり、他に変えようもなければ、分類することも出来ないとする。…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c1%b4%c6%bb... - 2008年09月27日更新
興法利生
(blue){''【定義】''} [[仏法]]を興隆し、[[衆生]]に利益する([[利生]])こと。仏法の興隆は、同時にそれによって救済されるべき衆生に利益することをいう。[[道元]][[禅師]]はそのために、身命を捨てて[[修行]]すべきと説く。 ''[[仏道]]に順ゼン者は、興法利生のために、身命を捨テ諸事を行じ去なり。 『[[正法眼蔵随聞記]]』巻2-17''…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%b6%bd%cb%a1%cd... - 2011年11月04日更新
仏法
]の[[正伝]]にいはく、この単伝正直の仏法は、最上のなかに最上なり。参見知識のはじめより、さらに[[焼香]]・[[礼拝]]・[[念仏]]・[[修懺]]・[[看経]]をもちいず、ただし[[打坐]]して[[身心脱落]]することをえよ。 『[[弁道話]]』'' ∧の持つ諸々の美徳。仏の姿を構成している諸要素。 Jになる材料。 [[道元]][[禅師]]の房号、[[仏法房]]。文献上、自称として使われてはいないようだが、後代の宗門僧侶や、他宗派が示した文献を中心に、仏法上人、[[仏法禅師]]の号が使われて…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%ca%a9%cb%a1... - 2008年11月04日更新