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タグ検索で面山は64件見つかりました。
禅戒一如
&color(blue){''【定義】''} [[禅宗]]において、[[坐禅]]と[[戒法]]([[禅戒]])とは名前や本来の機能が異なっていても一体であるという説。とくに江戸期の[[日本曹洞宗]]で強調され、その後、明治時代の『[[修証義]]』編纂時にも再度強調された。現在では「[[教義]]」の中に入る用語である。なお、同様の表現として「禅戒一致」や「禅戒不二」などがある。 &color(blue){''【内容】''} 例えば、天台宗では「乗戒一如」という法華一乗に戒法が全て包含されるという思想が…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c1%b5%b2%fc%b0... - 2020年04月21日更新
放生会法
]]の[[作法]]のこと。江戸時代に[[面山]]瑞方禅師が『放生式』を刊行したとされるが、当Wiki編集者は未見。なお、昭和中期の『昭和改訂曹洞宗行持軌範』及び『昭和訂補曹洞宗行持軌範』の臨時行持に「放生会法」として立項されたが、直接は来馬琢道老師『[[禅門宝鑑]]』(鴻盟社・明治44年)の「放生会法」が典拠であり、面山禅師『放生式』との関係は、現段階では不明。また、現行の『[[行持軌範]]』には収録されていない。 &color(blue){''【差定】''} [[放生会]]については実施日時を定めて…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%ca%fc%c0%b8%b2... - 2020年10月22日更新
放生会
作法]]あり、別行に印版して補す。 [[面山]]瑞方禅師『[[洞上僧堂清規行法鈔]]』巻5「別行法式十八条・放生式」項'' 以上のように、江戸時代の学僧・面山禅師がご自身伝授された作法を刊行したというが、当Wiki編集者は未見。なお、面山禅師が[[遷化]]される直前となる明和6年9月11日に「放生会を行ず、魚鳥の為に十二因縁を演説す、[[真俗]]の聞に預かる者若干」(『[[面山広録]]』巻26「面山禅師年譜・明和六年」項)とあって、ご自身も実施されたことが分かる。…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%ca%fc%c0%b8%b2... - 2020年10月22日更新
万仭
面白いところでは、同じく学僧であった[[面山]]瑞方師(1683〜1769)と万仭師、両者老境にあって(85歳と70歳だった)、[[宗門]]の[[大事]]について、南禅寺金龍軒内で問答した『[[金龍軒問答]]』が残されている。…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%cb%fc%d0%c1... - 2020年07月06日更新
甘露門
[往生]]を説く様子も見える。また、[[面山]]瑞方師は、この『瑩山清規』の式文に対し、一定の評価をしつつも、江戸期に於ける『瑩山清規』への問題点(同著には写本が多く、それぞれの本文に同異があるためどれを採ればよいか分からない)から、江戸期に校訂し、解説した『甘露門』(一巻)に示された行法を、一部改正したものが『[[行持軌範]]』に採用されて用いられている。 ''今按ずるに、禅林の清規に施食法の正文を載せたるは支那は幻住庵清規の開甘露門法、皇朝は瑩規の施餓鬼法のみなり。〈中略〉況や幻住清規を皇朝に翻…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%b4%c5%cf%aa%cc... - 2020年07月09日更新
考訂別録
堂清規考訂別録]]』。全8巻であり、[[面山]]瑞方によって記された。宝暦5年(1755)刊行。 &color(blue){''【内容】''} 面山は、「[[古規復古運動]]」を実現するために、自ら『[[僧堂清規]]』を著したが、その際に、[[道元]][[禅師]]の『[[永平大清規]]』、[[瑩山]][[禅師]]の『[[瑩山清規]]』などを始めとする諸宗派の諸清規を参照している。その時、考訂した結果を、改めて別の著作として示し、後代に伝えようとした。 また、同著は江戸時代当時に行われていた様々な行法…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%b9%cd%c4%fb%ca... - 2007年03月04日更新
大般若講式
曹洞宗]]に於ける[[講式]]の一。[[面山]]瑞方師が編集し、明和6年(1769)の序を持つ。『大般若経』を[[転読]]する際の[[法要]]の[[作法]]を示している。現在では、『[[続曹洞宗全書]]』「[[清規]]・[[講式]]」巻にて見ることが出来る。 &color(blue){''【内容】''} …
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c2%e7%c8%cc%bc... - 2011年01月05日更新
大般若経逐巻係賛
】''} 江戸時代の[[学僧]]・[[面山]]瑞方によって著された『[[大般若経]]』各巻に対する賛である。面山による序は宝暦6年(1756)で、文化4年(1807)に法孫の龍穏寺・定林の跋を入れ、全6巻を上下2巻にして刊行された。現在は、『日本大蔵経』巻35「般若部経疏」に収録されているため、容易に内容を見ることが可能である。 &color(blue){''【内容】''} 面山の序によれば、[[本師]]の[[損翁]]宗益から初めて『大般若経』を頂受し、それ以来独自に研鑽を積んできたという。そして、…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c2%e7%c8%cc%bc... - 2019年06月02日更新
黙照禅
ものである。後に[[日本曹洞宗]]の[[面山]]瑞方師は、『[[黙照銘拈古]]』『[[黙照銘聞解]]』などを記し、更に『[[建康普説]]』には「第九・黙照普説」が収録されている。つまり、一切の悟りを求めず、ただ黙々と坐する様子が、仏法の働きそのものと安住する坐禅である。 また、この曹洞宗系統の[[坐禅]]について、大慧宗杲は[[看話禅]]の立場から批判した。『大慧書(上)』に以下のようにある。 ''近年以来、一種の[[邪師]]があって、黙照禅を説く。人をして十二時中、この事管すること莫れ、休去歇去…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%cc%db%be%c8%c1... - 2010年09月10日更新
施餓鬼作法
】''} 江戸時代の[[学僧]]・[[面山]]瑞方師が記した、[[施食会]](施餓鬼会)の行法と『[[甘露門]]』に対する註釈を行ったもの。享保12年(1727)跋刊。なお、現在『[[続曹洞宗全書]]』「[[清規]]」巻にて見ることが出来るテキストは、詳しくは『改正施餓鬼作法 甘露門 在家葬式法』(全1巻)というが、これは本来の『甘露門』テキストが増広されたものだと思われる。 &color(blue){''【内容】''} この著作は、まず棚(精霊棚、施食棚)の作り方の詳述から始まり、次いで幡の作り方…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%bb%dc%b2%ee%b5... - 2008年07月24日更新
光明蔵三昧
】''} 現在見ることが多いのは、[[面山]]が明和3年(1766)に公刊した刊本であるが、本書は久しく永平寺に秘蔵されていたらしい。面山が入手した経緯について、次のように述べられている。 ''上毛の東海老宿有りて、此の一巻(=光明蔵三昧)を以て、余(=面山)に付属して自ら謂く「二十年前、越の祖山(=永平寺)に得る」と。余、喜躍して自ら奉ず。 「面山序」原漢文'' 面山は同著を感激して拝覧し、そして[[仏祖]]が邪なく[[正伝]]してきた[[自受用三昧]]とは、斉しく光明蔵三昧に証入することであ…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%b8%f7%cc%c0%c2... - 2007年01月09日更新
撥遣
称される儀式を指す。具体的な作法は、[[面山]]瑞方『[[施餓鬼作法]]』中に見える「[[撥遣解脱陀羅尼]]」項や、特に作法を[[切紙]]で伝える場合があるので、それらを参照のこと。…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%d9%fb%b8%af... - 2018年11月05日更新
永福老人
的な活動を行った江戸時代中期の学僧・[[面山]]瑞方[[禅師]]を指す。…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%b1%ca%ca%a1%cf... - 2018年08月24日更新
成合雲山和尚語録
''・序(明和第六菊月吉旦奉勅沙門方面山謹序於洛東建仁寺之僑居)'' ''・肖像(賛は鷹峰源光庵の泰岳による)'' ''・目次'' ''・[[上堂]]'' ''・[[小参]]'' ''・[[頌古]]'' ''・[[法語]]'' ''・題賛'' ''・[[偈頌]]'' ''・[[仏事]]'' ''・泉南普陀開山雲山白和尚塔銘並序(明和第六仲秋十八日西海肥谷清潭寺沙門慈方面山謹撰)'' ''・識語(明和己丑菊秋良辰現住成合天淳等謹書)'' 以上のことから、本語録の編集には、[[面山]]瑞方が大きく関わっ…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c0%ae%b9%e7%b1... - 2018年08月24日更新
損翁
]にて[[学人]]を接化していた際、[[面山]]瑞方が尋ねてきたため弟子にし、仙台にまで連れて行った。面山は後に損翁から[[嗣法]]している。 宝永2年6月24日[[遷化]]している。[[世寿]]は57歳、[[法臘]]は45歳。 &color(blue){''【主な著作】''} 弟子である[[面山]]は、生前の損翁の言葉を記して『[[見聞宝永記]]』を著し、様々な言葉は『三陽損翁益大禅師略録』(一巻)などが残されている。また、『[[坐禅箴弁話]]』がある。…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c2%bb%b2%a7... - 2010年12月01日更新
洒水
そして、江戸時代の[[学僧]]・[[面山]]瑞方師は自身の親族に密教僧がいたこともあって、施食作法について校正し、『[[施餓鬼作法]]』一巻を著すなどして、積極的に密教儀礼の導入を図っている。その影響で、現在まで参照されるような室内の儀礼も整備されたものであろう。…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%de%af%bf%e5... - 2018年03月28日更新
得度略作法
略作法]]』を、江戸時代の学僧である[[面山]]瑞方師が校訂し、延享元年(1744)に刊行した際に付した題号、全1巻。詳しくは『永平祖師得度略作法』という。 &color(blue){''【内容】''} 面山師は、同著を刊行するにあたり、肥後の禅定寺に於いて天正年間の写本を得ており、さらに、若狭・得賞寺、越前・永建寺、三河・龍源寺、加賀・大乗寺などの所蔵本を得て、最後に[[永平寺]]所蔵の善本を入手し、校正したと伝えている。 前掲の[[大乗寺]]には、慶長7年(1602)9月14日に、虎室春策が書写…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c6%c0%c5%d9%ce... - 2008年03月06日更新
般若心経聞解
】''} 江戸時代の[[学僧]]・[[面山]]瑞方[[禅師]]による『[[般若心経]]』への提唱。題は内外ともに『般若心経聞解』だが、末尾には『般若心経称提聞解』ともある。刊行は文政10年(1827)臘月釈尊出山日に[[法孫]]の大智が跋を付し、京都書林・天王寺屋市郎兵衛により、吉祥林蔵版(吉祥林は面山師開闢の[[永福庵]]の林号)として刊行された。書字は寺西正三郎、彫刻は加藤勘輔である。なお、刊行費用は177件の志納金により賄われたことが、同書末尾の名簿から伺える。 &color(blue){''【…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c8%cc%bc%e3%bf... - 2017年12月21日更新
洛陽東山建仁禅寺戒壇録
(blue){''【定義】''} [[面山]]瑞方師は、宝暦11年(1761)夏から京都東山建仁寺の福聚院に寓居し、その間[[合山]]の[[大衆]]の請によって『梵網経』を講述した。それは、『[[梵網戒本口訣]]』になったわけだが、その講筵が5月14日をもって終了したものの、懇請を受け、翌15日にまた[[戒壇]]を[[啓建]]し、同20日に至り建仁寺住山の[[僧侶]]に[[伝戒]]し、[[授戒]]も行っている。その間の顛末を、面山の[[侍者]]である慧苗などが記録編集し、その後建仁寺北礀の…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%cd%ec%cd%db%c5... - 2009年06月09日更新
洞上伽藍諸堂安像記
(blue){''【定義】''} [[面山]]瑞方師の著作で、[[曹洞宗]]の[[寺院]][[伽藍]]に配置される仏・[[菩薩]]・[[羅漢]]・明王像などを、その[[因縁]]を広く[[経論]]から集めて記されたものである。宝暦4年(1754)に[[永福庵]]内で書かれた自序があるため、その時までに成立し、その後宝暦9年(1759)に刊行された。全1巻。現在では『[[曹洞宗全書]]』「[[清規]]」巻で見ることが出来る。 ''これは、余、諸堂に安ずる聖像の因縁を集て一冊あり。別行に印版す。 『[[…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c6%b6%be%e5%b2... - 2010年10月05日更新