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タグ検索で總持寺49件見つかりました。

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太祖弘徳円明国師行実図会

内)の「[[曹洞宗]][[大本山]][[總持寺]]全図」(後の[[總持寺祖院]])が収録されている。なお、題名からも分かる通り、本書刊行の段階では、まだ大師号を賜っておらず、国師号のみを用いている。 &color(blue){''【内容】''} 本書の目録は以下の通りとなっている。 ''・太祖弘徳円明国師真像'' ''・叙(森田悟由禅師)'' ''・叙(畔上楳仙禅師)'' ''・御父母嘗て一子なきことを憂ひたまふ事'' ''・御母君法を聞たまひて放生を行はせらるる事'' ''・国師御誕生の事'' '…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c2%c0%c1%c4%b9... - 2022年07月22日更新

日本曹洞宗

後は[[瑩山]]禅師が開かれた諸嶽山[[總持寺]]を継いだ[[峨山]]韶碩禅師と、その会下に輩出された多くの龍象([[峨山二十五哲]])が[[五院]]制度における[[輪住制]]を中心に總持寺を支えつつ、室町時代から江戸時代初期にかけて爆発的に全国展開したため、[[永平寺]]と[[總持寺]]を[[両大本山]]として定めている。 室町時代以降、全国へ教線が拡大する過程で、各地の神仏・信仰・習俗などと習合し、葬儀や[[授戒]]、卒塔婆による[[供養]]、[[念仏]]、密教による加持祈祷なども積極的に取り入れら…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c6%fc%cb%dc%c1... - 2008年08月21日更新

十種勅問

''【定義】''} 後醍醐天皇が、[[總持寺]]の[[瑩山]]紹瑾[[禅師]]に対して、元亨年間(1321〜24)に下した十の問いのこと。總持寺に伝わる『十種勅問』は、元亨2年(1322)に報答されたと考えられている。また、[[永光寺]]にも異本が伝わるが、そちらは『[[十種疑滞]]』と呼ばれる。上記2本以外にも、『帝尊問答(外題は『瑩山国師十種疑滞』)』と呼ばれ、元亨元年(1321)に報答されようとした本が確認されている。現在は、両方ともに『[[曹洞宗全書]]』「[[宗源]](下)」巻などに収録され、…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%bd%bd%bc%ef%c4... - 2021年06月03日更新

真読

語は[[転読]]。 [[大本山]][[總持寺]]では、現今の[[朝課]]にて、『大悲心陀羅尼』の一字一字を丁寧に[[諷経]]することを指す。大悲真読。…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%bf%bf%c6%c9... - 2008年05月03日更新

日本曹洞宗史略年表

師が越前にて誕生(一説に1268年、[[總持寺]][[開山]]・[[永光寺]]開山)。幼名は行生。   同年 義尹禅師が2度目の入宋。『[[永平広録]]』を持参して、無外義遠に『[[永平略録]]』を編んでもらう。 1265年(文永2) [[義雲]]禅師が[[出家]]、ただし教宗寺院。 1267年(文永4) 4月8日、義介禅師が[[永平寺]]三世として[[晋住]]。 1271年(文永8) 瑩山禅師が[[永平寺]]に上り、[[住持]]である[[義介]]禅師の下で[[沙弥]]となる。 1272年(文永9) 2月…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c6%fc%cb%dc%c1... - 2015年03月24日更新

瑩山

[[日本曹洞宗]]の[[大本山]][[總持寺]]を開かれ、[[太祖]]と仰がれる瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)[[禅師]]のことである。表記でたまに「螢山」と書く人がいるが、正しくない。 生没年:文永元年(1264、または文永5年(1268)とも)〜正中2年(1325) 出身地:越前国(現:福井県越前市[旧・福井県武生市]) 諡 号:[[仏慈禅師]](1354年)、[[弘徳円明国師]](1772年)、[[常済大師]](1909年) &color(blue){''【略歴−出家から[[印可証明]]まで−…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%e0%f2%bb%b3... - 2008年02月27日更新

能本山

石川県北部)に所在した[[大本山]][[總持寺]]のこと。対義語は「[[越本山]]」。總持寺がまだ能登にあった頃には、特に宗務行政上多用されたようだが、明治末期から大正期にかけて現在地である神奈川県横浜市鶴見区に移転するに及び、使用されなくなった。…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c7%bd%cb%dc%bb... - 2020年11月29日更新

峨山道

''【定義】''} [[大本山]][[總持寺]](現在の石川県輪島市に所在する[[總持寺祖院]]が該当)二世の[[峨山]]韶碩禅師が、洞谷山[[永光寺]](同県羽咋市内に所在)を兼務していた時に毎日両山を往来したとされる。その際、通っていた道を「峨山道」と呼称する。現在では、2015年の峨山禅師650回大遠忌を紀念して、「[[峨山道トレイルラン>>https://gasando.info/]]」が開催されるに至った。 なお、古伝にはこの両寺往来の記事は見えないが、大本山總持寺独住四世の石川…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%b2%e5%bb%b3%c6... - 2020年10月20日更新

竺源

(blue){''【定義】''} [[總持寺]]二世・[[峨山]]韶碩[[禅師]]の[[法嗣]]で、[[峨山二十五哲]]の一人。号は竺源、名は超西。 生没年:不明 出身地:不明 俗 姓:大島氏 &color(blue){''【略歴】''} 南北朝時代の人とされるが、生没年は不詳。年を取ってから總持寺に到り峨山禅師に就いて、朝夕に[[修行]]に励み、[[嗣法]]するまでになった。能登国に梅香院を開創し、また、陸奥国では長谷寺・音声寺などの[[開山]]になったという。[[尼僧]]であったとも。…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%bc%b3%b8%bb... - 2008年09月07日更新

峨山

]]であり、後に[[大本山]]となる[[總持寺]]を受け継いで、大いに発展させる事となった。弟子に[[峨山五哲]]などを輩出し、五哲が[[五院]]制度を構築して、教線を全国に展開することとなった。その門派を、[[峨山派]]という。現在の[[日本曹洞宗]]寺院の多く(9割以上)が、[[伽藍法]]の系統からすれば峨山派になる。 俗 姓:源氏 生没年:建治2年(1276)〜貞治5年(1366) 出身地:能登国(現在の石川県)羽咋郡瓜生田 &color(blue){''【内容】''} 11歳には、郡にある教…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%b2%e5%bb%b3... - 2008年08月01日更新

梵清

]の僧。号は太容。[[太源派]]。大本山總持寺に住持(45世)し、『[[正法眼蔵]]』の書写や、流布本『[[瑩山清規]]』の編集に功績があった。 生没年:?〜応永34年(1427) 俗 姓:不詳 出身地:薩摩(鹿児島県) &color(blue){''【内容】''} 幼いときに、薩摩の[[福昌寺]]にて、[[石屋]]真梁に就いて[[出家]][[得度]]。後に太源派の了堂真覚に参じてその法を嗣いだ。 応永2年(1385)には、市森城主須知慶吉の請によって丹波玉雲寺の開山となった。また、加賀仏陀寺に住…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%db%f0%c0%b6... - 2006年10月17日更新

伝光録

本) 昭和6年(1931) ・大本山[[總持寺]]僧堂興隆会『伝光録』1冊本(大内本) 昭和58年(1983)刊、平成5年(1993)再刊 ・横関了胤校訂『瑩山禅師伝光録』(岩波文庫、仙英本)1冊 昭和19年(1944)刊 版本については、仙英本が古来の形式を残し、後の岩波文庫本も、この仙英本を元に編集されたものである。また、大内本(本山版)については[[大内青巒]][[居士]]が、独自の読みや訓点を施すなどしているとされる。また、中国を始め、いわゆる大陸の漢字文化圏に弘めようとした漢訳の『伝光録布鼓』…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c5%c1%b8%f7%cf... - 2009年01月28日更新

輪住制

[[住持]]の選抜方法である。例えば[[總持寺]]などでは、古くから山内に作られた[[五院]]の[[住持]]が交代で[[住持職]]を務めていた。 その[[住持]]の期間や選抜方法などは、輪住制を取った各寺院によって異なっているが、狭い意味では住持を出す寺院や門派の順番が定められており、期間も数年から数十日というような規定がある場合は、特に[[輪番制]]ともいう。 なお、この制度は官寺ではなかった林下の[[日本曹洞宗]]で多く発生し、基本的に[[十方住持制]]である五山十刹では起こらないとされる。 …

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%ce%d8%bd%bb%c0... - 2006年10月27日更新

普済

} [[曹洞宗]]の[[大本山]][[總持寺]]5世[[通幻]]寂霊[[禅師]]の[[法嗣]]である普済善救禅師のこと。号は普済、名は善救。[[通幻派]]の規模拡大に寄与した。 生没年:貞和3年(1347)〜応永15年(1408) 出身地:加賀国(現在の石川県南部) 俗 姓:不詳 &color(blue){''【内容】''} 加賀に生まれた普済和尚は、13歳で[[浄住寺]]の[[寂室]][[了光]]に就いて[[出家]]すると、後には中庭[[宗可]]や中巌円月などの[[老宿]]方に参じた。その後は浄…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c9%e1%ba%d1... - 2011年07月01日更新

大祖堂

[[日本曹洞宗]]の[[大本山]][[總持寺]]の[[法堂]]は、[[永平寺]]に於ける[[承陽殿]]に当たる祖師堂も兼ねているため大祖堂と呼ばれる。以下の写真は、鶴見の大祖堂。 &ref(https://image01.seesaawiki.jp/t/a/turatura/ebf6ba37.jpg) 以下の写真は[[總持寺祖院]]の大祖堂。 &ref(https://image01.seesaawiki.jp/t/a/turatura/17df626fbd380a7a.jpg) 内部構造として…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c2%e7%c1%c4%c6... - 2008年08月03日更新

瑩山清規

山]]禅師が開かれた[[永光寺]]や[[總持寺]]などで修行するための具体的な方法を記した内容であると考えるべきで、所が変われば規則も変わるということであろうし、さらには『[[永平大清規]]』には、『[[弁道法]]』にて日中行事は示されるが、月中行事・年中行事は不備のままであった(或いは、火災で失われた可能性もある。『[[三祖行業記]]』「[[懐弉]]禅師章」参照)と思われる。よって、それを補う意味もあったと思われる。 したがって、場所が変わっても方法が変わらない日中行事の歯磨き・洗面など諸作法について…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%e0%f2%bb%b3%c0... - 2011年01月12日更新

普天

(blue){''【定義】''} [[總持寺]]2世・[[峨山]]韶碩[[禅師]]の[[法嗣]]で、[[峨山二十五哲]]の1人。号は普天、名は暁雲。詳細は不明。…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c9%e1%c5%b7... - 2012年05月16日更新

暁心

(blue){''【定義】''} [[總持寺]]2世・[[峨山]]韶碩[[禅師]]の[[法嗣]]で、[[峨山二十五哲]]の1人。名は暁心。詳細は不明。…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%b6%c7%bf%b4... - 2012年05月16日更新

浄智

(blue){''【定義】''} [[總持寺]]2世・[[峨山]]韶碩[[禅師]]の[[法嗣]]で、[[峨山二十五哲]]の1人。名は浄智。詳細は不明。…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%be%f4%c3%d2... - 2012年05月16日更新

無蔵

(blue){''【定義】''} [[總持寺]]2世・[[峨山]]韶碩[[禅師]]の[[法嗣]]で、[[峨山二十五哲]]の1人。号は無蔵、名は浄韶。詳細は不明。…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%cc%b5%c2%a2... - 2012年05月16日更新

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