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英泉
]が輩出した学僧。号は[[甘露]]、名は英泉。江戸・福寿院の寛公の弟子であったが、その行実の詳細は不明である。享保9年(1724)に、[[禅戒]]論の一である『[[尸羅敲髄章]]』(全1巻)を著した。 なお、[[面山]]瑞方『[[永福面山和尚広録]]』巻22には、「尸羅敲髄の尾に跋す」という跋文が収録されているが、これは甘露英泉の死に様を聞いた面山が、その様子などを手元の『尸羅敲髄章』版本に、私的に書き加えたものであり、内容は、他者批判が強すぎた者の末路というもので、或る種の警告・自戒として示されている…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%b1%d1%c0%f4... - 2008年03月06日更新
尸羅敲髄章
'' 江戸時代の学僧、[[甘露]][[英泉]]が著した[[禅戒]]論に関する著作。全1巻、享保9年(1724)に刊行された。 ''&color(blue){【内容】}'' 著者の英泉については、江戸・福寿院の寛公の門人だったということ以上のことは不明とされているが、この著作を見る限り、インド以来の戒律に通じていたようである。この著作は、[[道元]][[禅師]]が伝えられた[[禅戒]]の真義を説き、護持せんとするためのものである。そのために、諸宗派の戒([[尸羅]])の真髄を敲き、[[禅宗]]に於ける…
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