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タグ検索で香厳は3件見つかりました。
渓声山色
られて、提唱を進めている。その祖師とは、香厳智閑禅師の「[[香厳撃竹]]」、霊雲志勤禅師の「[[霊雲桃華]]」である。道元禅師は、これらの話を通じて、自己の身心を含めた一切の存在が仏法そのものであることを気付き、信じて修行すべきであるとした。 ''この身心骨肉、かつて従法而生ならざるによりて、法と不相応なり、法と不受用なり。祖宗師資、かくのごとく相承してひさしくなりぬ。[[菩提心]]はむかしのゆめをとくがごとし。あはれむべし、宝山にうまれながら宝財をしらず、宝財をみず、いはんや法財をえんや。もし[[…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%b7%cc%c0%bc%bb... - 2007年02月06日更新
画餅
ならないことを意味している。 ''香厳、いはんことをもとむること数番すれども不得なり。ふかく身心をうらみ、年来たくはふるところの書籍を披尋するに、なほ茫然なり。つひに火をもちて、年来のあつむる書をやきていはく、%%%画にかけるもちひは、うゑをふさぐにたらず%%%。 『[[正法眼蔵]]』「[[渓声山色]]」巻'' これは、[[道元]]禅師が『景徳伝燈録』巻11香厳智閑章から引用して訓じた文章であり、経典をよく学んでいた香厳が、師である潙山霊祐から質問されて、まともな答えを言えなかったこ…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%b2%e8%cc%df... - 2006年10月20日更新
龍吟
や龍吟をきかんや。'' そして、さらに香厳智閑禅師の言葉を引用しながら、龍吟の曲調に関する提唱をされて、龍吟を聞くには非思量底にあって、情識を働かせないことこそ肝心であるとされた。…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%ce%b6%b6%e3... - 2006年10月26日更新