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タグ検索で紫衣は3件見つかりました。
賜紫衣謝偈
道元]][[禅師]]が、後嵯峨院から[[紫衣]]と[[師号]]([[仏法禅師]])を下賜された際に、再三にわたって辞退したけれども、これを受けて、しかし紫衣を着ることが無かったと示す一段の故事のこと。ただし、最近の研究では、道元禅師の伝記でも、1670年代以降の記述に限定されるとされ、その史実性は疑われている。 ''後嵯峨院、師の[[道誉]]を聞き、紫方袍を賜り[[仏法禅師]]と号す。再三辞するも許さず、卒に之を受けて衣せず。偈を作って上り、謝して曰く「永平山浅しといえども、勅命重きこと重重。却って…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%bb%f2%bb%e7%b0... - 2012年05月15日更新
修表辞謝
およむでなほ不退なり。嘉定の皇帝より[[紫衣]]・[[師号]]をたまはるといへども、つひにうけず、修表辞謝す。 『[[正法眼蔵]]』「[[行持]](下)」巻''…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%bd%a4%c9%bd%bc... - 2021年02月04日更新
紫衣
裟]]、または[[法衣]]のこと。同じ「紫衣」ではあるが、中国では袈裟を、日本では法衣を意味するという。元々の仏制には関係なく、中国の朝廷にて、最も貴い服色とした紫袈裟を、則天武后が9人の僧に下賜したのが最初という。日本では、建仁寺を開いた栄西禅師や、[[永平寺]]を開いた[[道元]][[禅師]]に下賜したのが最初とはいうが、道元禅師については、江戸時代初頭の伝記に急に出てくる話でもあり、史実性は疑われている。道元禅師への紫衣下賜の詳細は、「[[賜紫衣謝偈]]」項参照。 ''[[先師]]天童[[和尚…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%bb%e7%b0%e1... - 2012年05月15日更新