Wiki(ウィキ)内検索結果
タグ検索で寂円は6件見つかりました。
三代相論
良くも悪くも、[[宝慶寺]]に依った[[寂円]]派の見解であり、決して公平な歴史的記述とは見なされない。それの証拠に、『[[三祖行業記]]』の義介禅師伝では[[檀那]]である波多野公が必死になって義介禅師を永平寺に留めようとし、それに対して反発した者がいたことを伝えている。なお、その際に「[[雲水]]、間に、円公の参随、鋒を争うが如し」ということがあったようである。これから、円公を文字通り「寂円」と採るのか、音通で「義演」と採るのかで見解が相違するところである。 もし、寂円派、対、義介・義演であるとする…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%bb%b0%c2%e5%c1... - 2020年06月18日更新
宝慶寺由緒記
して、世に広まった。宝慶寺開山である[[寂円]]禅師、同寺二世・[[義雲]]禅師の伝記や、宝慶寺開山の由来などを示し、並びに、義雲禅師から[[曇希]]禅師に法灯が受け嗣がれたことなども書く。また、義雲禅師の[[門参]]として永平寺と宝慶寺の「[[室中]]」は同一であるので、どちらかが絶えた時には、もう一方から補完するように説いたとされる。 近年の研究では、本書の成立は近世に入ってからとも推定されており、そうなると本書の内容については、歴史的事実というよりも、近世初頭における[[寂円派]]の主張であると見…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%ca%f5%b7%c4%bb... - 2010年11月01日更新
塔主
頭]]に於いて主管する役の僧のこと。[[寂円]][[禅師]]は天童[[如浄]]禅師のために建てられたという[[承陽庵]]の塔主であったとされ(『[[宝慶寺由緒記]]』)、また瑩山禅師は、[[永光寺]]の住持とは、[[五老峰]]の塔主であるとした。 ''然らば、[[当山]]の[[住持]]は、五老の塔主なり。[[瑩山]]の門徒中、[[嗣法]]の次第を守って、[[住持]]興行すべし。 『[[洞谷記]]』''…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c5%e3%bc%e7... - 2012年08月08日更新
宝慶寺
【定義】''} 福井県大野市にある[[寂円]][[禅師]][[開山]]の[[日本曹洞宗]]寺院。[[開山]]の経緯は『[[宝慶寺由緒記]]』に詳しい。[[永平寺]]の「[[四門首]]」の一。 &color(blue){''【内容】''} 薦福山宝慶寺は、福井県大野市宝慶寺笠松にある[[曹洞宗]]寺院である。 弘長元年(1261)に、智円[[沙弥]]という者が領していた地に寺を建て、寂円禅師を拝請して開山となした。[[永平寺]]直末であり、その門派寺院としても上首である。 開山・寂円は違うが、2世…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%ca%f5%b7%c4%bb... - 2008年08月02日更新
寂円
る。越前国大野に[[宝慶寺]]を開いた。寂円禅師の系統は[[寂円派]]と呼ばれ、同系統は後々まで[[永平寺]]の[[住持]]を務めることになる。 生没年:開禧3年(中国の元号・1207)〜正安元年(1299) 出身地:中国・洛陽人 俗 姓:不明 &color(blue){''【略歴】''} 中国天童山の如浄禅師の下で[[修行]]しているときに、日本から来た[[道元]]禅師に出逢って、その[[道心]]篤いことに感動する。そこで、如浄禅師が亡くなると、日本に来て[[道元]]禅師の弟子になることを願い、そ…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%bc%e4%b1%df... - 2008年05月04日更新
建綱
などを後世に伝えている。記録が少ない[[寂円]]禅師の行状も同著から知られる。…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%b7%fa%b9%cb... - 2006年10月13日更新