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タグ検索で正法寺は6件見つかりました。
妙浄禅師
山瑩山和尚之法語]]』の写本が岩手県[[正法寺]]に伝わり、そこでは「示妙浄禅師」とあるため、本項では敢えてその名で立項した。「妙浄」とは、『首楞厳経』巻一に説かれる「妙浄明心」から採ったものか。 ''元亨元年〈辛酉〉本願主、海野三郎〈信濃国住〉滋野信直、十一月二日、受戒し法名は妙浄。 『[[洞谷記]]』''…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%cc%af%be%f4%c1... - 2010年04月09日更新
正法嫡伝獅子一吼集
ue){''【定義】''} 奥州の[[正法寺]]の[[住持]]であった23世・[[定山]]良光によって書かれ、元禄15年(1702)に刊行された、全2巻。[[宗門]][[嗣法]]に関する著作である。 &color(blue){''【内容】''} この著作は[[卍山]]と共に[[宗統復古運動]]を推し進めた[[梅峰]]竺信の著『[[洞門劇譚]]』に対する反駁書として書かれた。なお、『[[宗統復古志]]』に依れば、同著は大訥誙(正法寺24世・大訥良辯か?)なる者が書いた『仏祖正伝三物弁』と…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c0%b5%cb%a1%c3... - 2008年10月16日更新
道叟
は道叟、名は道愛。後に請われて、陸奥[[正法寺]]の3世として入る。 生没年:不詳〜康暦元年(1379)9月13日 俗 姓:平氏 出身地:羽後国(秋田県) &color(blue){''【内容】''} 現在の秋田県内で生まれた道叟禅師は、比叡山に登って[[出家]]すると、円頓戒や止観などを習ったという。しかし、24歳になると、諸方の[[叢林]]を遍歴せんとして、結果能登の[[總持寺]]の[[峨山]][[禅師]]の会下に入り、そこで[[大悟]]した。 その後、峨山禅師の下を辞して、地元近くに帰ると、…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c6%bb%d2%d7... - 2012年02月24日更新
無底
の[[法嗣]]・[[上足]]で、陸奥[[正法寺]][[開山]]、[[峨山二十五哲]]の筆頭。号は無底、名は良韶。資無くして[[遷化]]したことにより、後に[[正法寺]]の[[伽藍相続]]に関する問題が起きる。 生没年:正和2年(1313)〜延文6年(1361) 出身地:能登国(石川県北部) &color(blue){''【内容】''} 22歳にして、[[永光寺]]の[[明峰]]素哲[[禅師]]に就いて[[得度]]した無底禅師は、続いて[[總持寺]]の[[峨山]]韶碩[[禅師]]に[[参学]]し、暦応…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%cc%b5%c4%ec... - 2010年02月25日更新
正法寺
定義】''} 岩手県奥州市水沢区黒石町正法寺にある寺院。現在は認められないが、本来は[[本山]]格を持つ寺院で、現在でも「日本曹洞第三の本山・奥の正法寺」という呼称で呼ぶ者もいる。[[山号]]と合わせた正しい呼称は「大梅拈華山円通正法寺」といい、堂々たる十字の寺号を持つ。 &color(blue){''【内容】''} [[總持寺]]教団の方向性を定め、中世に於ける[[日本曹洞宗]]の発展を基礎づけた總持寺2世である[[峨山]]韶碩には、[[峨山二十五哲]]と呼ばれる高弟が存在しているが、その[[上足…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c0%b5%cb%a1%bb... - 2007年09月26日更新
大本山
置かない。かつては本山(例えば、陸奥[[正法寺]]など)も置いていたが、現在では置かない。…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c2%e7%cb%dc%bb... - 2006年11月30日更新