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タグ検索で泰心院は3件見つかりました。
面山
感じたようである。損翁師は元々仙台の[[泰心院]]にて[[住持]]を勤めていたが、損翁師が仙台に帰られるのに合わせて、面山も別途仙台に向かい、そこで正式に弟子入りし、[[仏祖正伝菩薩戒]]を授けられている。 損翁師の側に仕えながら非常に熱心に教えを学んだ面山師は、損翁師の言いつけをもって、宝永2年(1705)の春から関東のあちこちの諸[[尊宿]]に学ぶが、どれも面山師を満足させるには至らずに、「飽参(参じ尽くして飽きてしまった)」とされた。なお、『[[面山広録]]』巻26に収録される「年譜」には、損翁師…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%cc%cc%bb%b3... - 2008年06月26日更新
損翁
や[[卍山]]道白も尋ね、その後に仙台の泰心院の[[可山]]洞悦に就いて[[嗣法]]した。元禄10年(1697)には泰心院の[[住持]]として入っている(8世)。後に、江戸の[[学寮]]にて[[学人]]を接化していた際、[[面山]]瑞方が尋ねてきたため弟子にし、仙台にまで連れて行った。面山は後に損翁から[[嗣法]]している。 宝永2年6月24日[[遷化]]している。[[世寿]]は57歳、[[法臘]]は45歳。 &color(blue){''【主な著作】''} 弟子である[[面山]]は、生前の損翁の言…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c2%bb%b2%a7... - 2010年12月01日更新
可山
]]に当たる[[面山]]瑞方師が、「奥州泰心院請大蔵経碑銘并序」(『[[面山広録]]』巻18所収)に詳しく記すところであるので、それも参照して論じる。 生年を示す文献はないのだが、1707年に71歳で[[示寂]]したとあるため、1637年に生まれたと推定されている。俗姓は源氏であるとされているが、仙台藩の武士階級の出身だったとされる。20歳になって、仙台藩[[僧録]]だった昌伝庵10世嶽翁宗悦大和尚について得度された。洞悦という名前は、この時に授けられたものだろう。 [[受業師]]はまもなく示寂するが…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%b2%c4%bb%b3... - 2007年04月04日更新