曹洞禅・仏教に関するwikiです。人名・書名・寺院名・思想・行持等々について管理人が研究した結果を簡潔に示しています。曹洞禅・仏教に関する情報をお求めの方は、まず当wikiからどうぞ。

タグ検索で大内青巒8件見つかりました。

当願衆生

共)に」と訓じている。これについて、[[大内青巒]][[居士]]が作ったものとされていたが、典拠を見出したので報告しておきたい。明治時代、各宗派や、仏教青年会などで「礼讃文」という字句を読んで、諸会を開式することがあった。そこで、その「礼讃文」は「人身受け難し、今已に受く」から始まる一節をもって[[三帰依]]を促し、続いて「[[三帰礼文]]」を唱え、「[[開経偈]]」を続け、末尾は「[[普回向]]」で終える。なお、この全文が訓読されており、「当願衆生」は「当に願わくは衆生とともに」と訓読されている。そして…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c5%f6%b4%ea%bd... - 2022年12月31日更新

修証義

ながらも、曹洞宗の布教教化に協力した[[大内青巒]][[居士]](1845〜1918)の影響が大である。仙台藩の藩士の子どもだった青巒居士は、東北地方や水戸・東京で学んだ後、曹洞宗を中心に他の宗派(浄土真宗など)とも関わって結社を作り、[[仏教]]に批判的だった政府に対して火葬解禁の陳情を行ったり、あるいは孤児院を開き仏教青年会なども組織した。また、それらの会の活動を補佐するために、多くの機関誌を刊行し、出版社まで作った(鴻盟社はその1つ)。晩年は、現在の東洋大学で学長も務めている。 青巒居士は、通仏教…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%bd%a4%be%da%b5... - 2011年01月20日更新

洞上在家化導儀

ており、また、執筆者は「菩薩戒在家弟子 大内青巒」と署名されている。なお、熊谷忠興師による解説に、本書成立経緯などが詳しいため参照されたい。 &color(blue){''【内容】''} 本書では、在家化導の法を採り上げるに辺り、「大段分を五章となす」とし、以下の通りとしている(引用に当たり、カナをかなにし、漢字も常用漢字に改めている)。 ''一に本宗元来在家化導の法なきことを明し'' ''二に在家化導は極楽往生を以て仏意の旨帰となすことを明し'' ''三に正く自今本宗の在家化導法と定むべき宗意を明…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c6%b6%be%e5%ba... - 2020年03月19日更新

通仏教

の[[布教]][[教化]]に関わった[[大内青巒]][[居士]]が、以下のように評されていたことから考えてみたい。 ''大内青巒、露堂と号す。仙台の人。仏教徒中の博識を以て称せらる。然れども真宗、真言宗、[[禅宗]]と謂ふが如くに何れの宗派にも属せずして、寧ろ通仏教者なり。 怪庵『文士政客風聞録』大学館・明治33年、22頁'' ここから、先に挙げたような意味で「通仏教」が用いられていることが分かるだろう。なお、類似した言葉に「[[通俗仏教]]」があるけれども、厳密に言えば「通仏教」ではない。 …

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c4%cc%ca%a9%b6... - 2018年07月31日更新

大内青巒

4月17日に仙台藩士の子供として生まれた大内青巒は、宮城県七ヶ浜町の鳳寿寺[[住職]]であった、兄の俊董の下で過ごしていた。母から『詩経』の口誦を受け、舟山江陽・大槻盤渓などに入門して、経史を学び、養父が死んだ後は、また兄の下に帰った。 後には[[仏門]]を志して[[出家]]し、名を泥牛と改めて、一寺の住職にもなったともされるが未確認である。その後、間もなくして水戸へ出て照庵に祖録を学び、勤王の士とも交流した。他にも、京都・大阪などで学び、上京した際には長徳院にいた原坦山の弟子となり、福田行誡からも[[…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c2%e7%c6%e2%c0... - 2012年01月27日更新

四大綱領

綱領」は「扶宗会」を実質的に主導した[[大内青巒]][[居士]]の演説に、その原型を見ることが出来、元々は「四大原則」や「四つの標準」などと呼ばれた。 ''標準は懺悔と受戒と発願と行持との四つに取り、此四つの標準に依て滅罪と入位と利生と報恩との功徳に顕すので御座いますが、此中で更に分析して見ると其実は入位と報恩との二つだけが肝要の骨目〈以下略〉 『扶宗会雑誌』第五号「修証義編輯の精神」'' 現在では四句十六字として「四大綱領」を見るが、内容は各綱領の前半二字が「標準(行うべき事柄)」で、後半二字が…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%bb%cd%c2%e7%b9... - 2014年02月10日更新

洞上在家修証義

た[[曹洞宗]]の結社、曹洞扶宗会の[[大内青巒]][[居士]]によって書かれた『[[修証義]]』のこと、青巒居士は「著作者兼発行者」であり、実際の発行は鴻盟社。明治21年(1888)2月22日に刊行された。青巒居士の編集意図を見ると、「宗旨の標準」を定め、その上で在家信者に対して[[布教]][[教化]]、そして仏教徒としての教育を行おうとしたようである。序にて、「在家男女の[[弁道]]となす」とされているのは、まさにこれが在家信者にとっての規範となるべき教典だったといえる。 &color(blue){…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c6%b6%be%e5%ba... - 2010年11月19日更新

曹洞宗宗歌

洞宗]]の教義を端的に表す歌であり、[[大内青巒]][[居士]]が作詞し、『[[道元禅師和歌集]]』から歌詞の一部を採るなどしている。【[[曹洞禅ネット>>http://www.sotozen-net.or.jp/sotosect/kiko/song/song.html]]】では、長妻完至氏作曲の旋律を聴くことが可能であり、歌詞の解説も付属している。歌詞は以下のようなものである。 ''花の晨(あした)に 片頬笑(かたほえ)み''  ''雪の夕べに 臂(ひじ)を断(た)ち'' ''代々(よよ)…

https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c1%e2%c6%b6%bd... - 2008年06月25日更新

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