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タグ検索で梅山は3件見つかりました。
如仲
参じて出家した。そして、越前龍澤寺の[[梅山]]聞本にも参じて、その法を嗣いだ。 後には、近江塩津に洞春庵を開き、更に同国内に洞壽院を開いた。 遠江の飯田城主であった山内対馬守が、師の道誉を聞いて、領国内に崇信寺を開いて請したが、住して後、応永8年(1401)になると[[住持]]の位を厭うて隠棲し、同国内の橘谷山に入って庵を構え、総巨院と称した。これが、後に[[大洞院]]に改められ、[[本師]]・梅山を[[勧請開山]]としている。足利義持も荘園を寄進している。また、[[可睡斎]]も開創したという。 …
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c7%a1%c3%e7... - 2012年03月16日更新
梅山
に[[日本曹洞宗]]が輩出した学僧。号は梅山、名は聞本。太源派の1人として、各地で化を振るった。 生没年:生年不明〜応永24年(1417) 出身地:美濃 &color(blue){''【略歴】''} 美濃で生まれた梅山禅師は、幼い時に律宗寺院にて出家したが、後に仏陀寺にいた[[太源]]宗真に[[嗣法]]した。後に、越前に於いて正寿が創建した龍沢寺の[[開山]]となり、同寺を辞してから金剛寺も開く。[[總持寺]]にも[[出世]]した。 その後は、龍沢寺にて幽居しており、足利義満からの招きをも辞した。…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c7%df%bb%b3... - 2008年03月26日更新
戒法論
中世の[[日本曹洞宗]]が輩出した[[梅山]]聞本が著したという『[[仏祖正伝菩薩戒作法]]』に関する口伝集。 &color(blue){''【内容】''} 同著は、誰が何時、何処で書いたかといった書誌学的問題は、多くに疑問を含むところであるが、奥書などから梅山聞本禅師の系統で伝えた物と推測されている。しかし、明らかに江戸時代より前の写本があるため、江戸時代より前では唯一の[[禅戒]]論になる。 禅戒論に含まれてしまっているが、内容は『仏祖正伝菩薩戒作法』に関する口伝を集めた物であり、事前の準備物…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%b2%fc%cb%a1%cf... - 2008年03月05日更新