Wiki(ウィキ)内検索結果
タグ検索で命日は3件見つかりました。
命日
ともいう。なお、「死んだ日」であるのに「命日」というのは違和感があるが、この語は「捨命日」や「命過日」の略であるともされている。「命過」とは死ぬことを意味する言葉である。 ''仏倶舎弥国に在り。爾の時、迦留羅提舍の比丘命過す。是の人、姉妹の比丘尼七人有り。偸蘭難陀・周那難陀・提舍・優婆提舍・域多提舍・和梨提舍・勒叉多、大力勢有りて、焼かれたる死屍を祭祀す。諸居士呵責して言く「汝等は出家入道なり。何を以てか死人の与える飲食するや」と。諸比丘尼云何んすべきを知らず、是の事を仏に白せり。仏言く「今従り諸比…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%cc%bf%c6%fc... - 2007年01月26日更新
忌辰
義】''} 「諱辰」とも表現する。[[命日]]のことで、人が亡くなった日のこと。 ''準書状、[[懐鑑]]上人忌辰の為に[[上堂]]を請す。云く。老鶴雲に巣くい眠り未だ覚めず。壷氷の雪の上に更に霜を加う。荘厳報地、豈、他事ならんや。少しきの薫修有り一炷の香。 『[[永平広録]]』巻7-507[[上堂]]''…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%b4%f7%c3%a4... - 2007年01月16日更新
忌日
諱辰([[忌辰]])」とも表現する。[[命日]]のことで、人が亡くなった日のこと。 ''[[出家]]は恩を棄て無為に入ツて、無為の家の作法は、恩を一人に限ラず、一切衆生斉シく父母の恩のごとく深しと思ウて、作ス所ノ善根を法界ニめぐらす。別して今生一世の父母に限ラず。是レ則チ無為の道に背カざるなり。日々の行道時々の参学、ただ[[仏道]]に随順しもてゆかば、其レを真実の孝道とするなり。忌日の追善中陰の作善なんど、皆在家に用フル所なり。 『[[正法眼蔵随聞記]]』巻3-16''…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%b4%f7%c6%fc... - 2007年01月16日更新