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タグ検索で明峰は4件見つかりました。
大乗寺
灯派の恭翁運良が入るものの、その後は[[明峰]]素哲禅師が住持となり、結局は明峰系が寺の系統を守り、近世に至っている。 その前後には26世[[月舟]]宗胡・27世[[卍山]]道白といった当時の[[曹洞宗]]をリードした[[学僧]]が次々と[[住職]]に入るや、黄檗式の行法も取り入れた『[[椙樹林清規]]』が編纂され、多くの僧侶が修行に来るようになり、まさに「[[規矩大乗]]」として峻厳な[[門風]]を世に誇った。元禄10年(1697)に、現在地に移転したが、その時の住持は28世・[[明州]]珠心禅師であ…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c2%e7%be%e8%bb... - 2023年12月20日更新
法は明峰
定義】''} 様々な[[作法]]は[[明峰派]]の僧が伝持しているという自信に裏打ちされた[[俗諺]]。「[[伽藍は峨山]]」という言葉と対で用いられる。 &color(blue){''【内容】''} [[曹洞宗]]の[[太祖]]・[[瑩山]][[禅師]]には、特に優れた二神足が輩出された。[[明峰]]素哲禅師と[[峨山]]韶碩禅師である。明峰禅師の[[法系]]は、後に[[大乗寺]]と[[永光寺]]などを守りながら、全国に広がっていったのだが、江戸時代に入って、様々な復古運動([[宗統復古運動]]・…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%cb%a1%a4%cf%cc... - 2008年12月05日更新
明峰
(blue){''【定義】''} 号は明峰、名は素哲。[[瑩山]]紹瑾[[禅師]]の[[法嗣]]であり、後に[[永光寺]]を受け継いで、瑩山禅師の[[遺跡]]を守る[[僧録]]となった。 俗 姓:富樫氏 生没年:建治3年(1277)〜観応元年(1350) 出身地:加賀、または能登の人 &color(blue){''【内容】''} 比叡山で[[出家]]して、[[落髪]][[受具]]し、天台宗の教学を学んでいたが、後に衣を改めて建仁寺に[[掛搭]]して禅宗を学んだ。さらに、大乗寺に行き、瑩山禅師に就い…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%cc%c0%ca%f6... - 2008年10月13日更新
僧生
(blue){''【定義】''} [[明峰]]素哲[[禅師]]の[[法嗣]]。[[永光寺]]などに住した。号は舘開ともされるが無いという記録がある。名は僧生。 生没年:不詳(室町時代の人) 出身地:能登国 俗 姓:徳田氏 &color(blue){''【略歴】''} 明峰素哲禅師に就いて、[[出家]][[受戒]]したが、諸方で[[遍参]]すること10余年の後、再び明峰禅師に参じた際に、所悟を呈した。始めに大忍寺に住していたが、後に[[永光寺]]に住した(10世)。また、美濃・静泰寺の[[開山]]と…
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%c1%ce%c0%b8... - 2008年09月04日更新