ここは某巨大掲示板のSS職人であるチョ ゲバラのエロSSの保管庫です。現在、君の名は、ソードアート・オンライン、ラブプラス、けいおん、とある魔術の禁書目録、ペルソナ4、To LOVEる とらぶるのエロ小説が保管されています。

episode3 「決戦、第一次乃木邸会戦!」


 澄んだ夜気が肌に沁み入るような春の星空は、まるで幾千の蛍が宇宙の彼方で瞬いているようだった。
 北の空を見上げてみると、一際目を引くのが柄杓の形をした北斗七星。
 それは、全天で六十個しかない二等星の内の六個がここに集中しているからだ。そのため世界各地で様々な神話や伝承を残すことになる。ほらっ、日本でもある世紀末漫画があったりするだろ。
 その柄杓の取っ手からカーブを描いて東の空でぶつかるのが、うしかい座の恒星アルクトゥルス。
 日本では、麦星や麦熟れ星などと呼ばれる。由来は、麦が熟れる頃になると夜空に昇ってくるからだそうだ。
 更にカーブを伸ばしていくと、南東の空で白く輝く美しい星が見える。
 おとめ座のスピカだ。
 アルクトゥルスとスピカは夫婦星と呼ばれ、アルクトゥルスが男性でスピカが女性だそうだ。もしも大昔に腐女子がいたとしたら、両方とも男になってたんだろうな、とそんなどうでもいいことをふと思った。
 北斗七星の柄杓の取っ手からスピカまでの曲線を春の大曲線と呼び、南の空で輝くしし座のしっぽのデネボラと、アルクトゥルス、スピカを結んでできる三角形が、春の大三角形だ。
「デネボラって、あの白っぽい星のことかしら?」
 俺の右隣を歩く、緩やかにエアウェーブした長い黒髪をした眼鏡の美少女―東郷綾香が言った。 
 滴るような月の雫に照らされ、妖艶な美しさを身に纏った彼女は、さしずめおとめ座のスピカそのものだろう。
「あれは多分火星だね。もうちょっと左上の方に光っている星があるでしょ」
「あっ、あれね」
「そっ、そのデネボラとアルクトゥルスとスピカを結ぶと、ちょうど綺麗な三角形になるから。それが春の大三角形だよ」
「本当ね。綺麗だわ……」
「そうだね」
 君の方がずっと綺麗だよ、などという臭い台詞は、俺には一生言えそうにもない。
「乃木くんは、星座に詳しいのね」
「べつに詳しくはないよ。ちょっとかじっただけなんだから」
 きっかけが聖闘士星矢ってのは内緒だ。
「そういう男の子って素敵よ」
「そ、そんなことないって……」
 そんな風に東郷さんに誉められてしまうと、気恥ずかしいことこの上ない。
 彼女は、なぜかことあるごとに俺―乃木涼介のことを過大評価しようとする。俺なんて自他共に認める大した取り柄もないサブキャラの一人なんだけどな。まったく、困ったものだ。
「チッ」
 あからさまに不機嫌そうな舌打ちをしたのは、俺の左隣を歩く茶髪の幼馴染――児玉雫だ。普段から勝ちきそうな顔をしているこの幼馴染は、いつにも増してもの凄く剣のある表情をしていた。いったいなにが気に入らないのだろうか。これで結構可愛い顔をしているのだから、もっと笑えばいいのに。実にもったいない。
「涼介なんかが素敵って、東郷さん、ちょっとおかしいんじゃないかなー。こいつは平凡だけが取り柄のなんの面白みもない男よ。将棋で言ったら永遠にト金になれない歩ね」
 例え事実だとしても面と向かって悪態をつかれると、それはそれで多少は腹が立つものだ。
「そんなことないわ。乃木くんは、とてもチャーミングよ。それに、とても優しい人だわ。児玉さんは幼馴染なんだから、私よりも乃木くんのいいところをもっとよく知っているんじゃないのかしら?」
 どうでもいいんだけど、チャーミングって男にでも使う言葉なのかな?
「涼介にいいところなんて、ないないっ。可愛い子にはすぐにデレデレしていやらしいし、ちょっと誉められただけ度し難い勘違いをするようなKY男よ。でも……まぁ、少しくらいなら、や、優しいところもあると言えばあるかもしれないけど……」
 で、でも、そんなのはほんのちょっとだけなんだからねッ! となぜか雫は俺に向かって怒り気味に言い放った。
 さっぱり意味がわからない。
「悪かったね、KY男で。つーか、なんでお前は付いてきたわけ? べつに一緒にこなくていいって言ったのに」
「はぁ!? なに言ってんのよ、アンタッ! よ、夜道を二人だけで歩いちゃうとか、そんな危険なことは絶対にさせないんだからねッ! いやらしいッ!」
 ちょっと東郷さんを駅まで送るだけなのに、なにがそんなにいやらしいのだろうか?
「東郷さんもなんとか言ってやってよ。このバカったらこんな調子に乗ったこと言ってるんだから。ホントにKYだわ」
「あらっ、私は二人だけでもなにも問題なかったわよ。むしろ乃木くんと二人で夜道を散歩をしたかったわ。夜の散歩、大好きよ」
 意味深な発言の東郷さん。
 彼女の艶やかな流し目にドギマギしてしまう。
 東郷さんが、隣から距離を詰めてくる。ちょんと肩と肩が触れ合ってしまい、俺の背筋に電流のようなものが迸った。
「ダ、ダメよ、東郷さん! そんなこと言ったらこのバカは本当に勘違いしちゃうんだからッ! そ、そうだ。これから涼介の昔の話をしてあげるわ。そしたら東郷さんもすぐに幻滅しちゃうんだから」
 誰も一言も聞いてないのに、雫は嬉々として昔話を語り始めた。
 下弦の月の下、過去の話は春の夜風に吹かれ、何処かへと儚く消えていくのだった。

 
 今朝のホームルームから、おかしな違和感を感じていた。
 妙にクラスの中がよそよそしく、不意に複数の視線を感じることがあった。
 いったいなんだろうか? クラスのモブキャラAの俺が、なぜか注目を浴びているような気がするのだ。こんなことは少なくとも学園に入学してから初めての経験だった。はてさて、これといってなにも心当たりはないのだが……。
「お前、本当に心当たりがないのか?」
「うわっ!」
 いつの間にか悪友の黒木貴史が、俺の席の真後ろに陣取っていた。
 つーか、人の心を読むな。
「な、なんだよ」
「本当に心当たりがないのか? と聞いている」
 ……まぁ、心当たりがまったくないと言ってしまえば嘘になるかな。直近の俺の周りで起きた変化といえば、東郷さんのことくらいしか思いつかない。
「それだ、兄弟」
「……お前、本当に読心術でもできるのか?」
「俺の独自の情報網では、お前と東郷氏がここ数日仲良く一緒に登校している、といった怪情報が多数報告されている」
 怪情報扱いなのかよ。つーか、いったいお前は何者なんだ?
「べ、べつに仲良く登校なんかしてねーよ。たまたま電車で会ったから一緒に登校して来ただけだっつーの」
 おかしな噂が立たないように気を付け、東郷さんとは時間差で教室に入室していたのだが、どうやら来る途中を誰かに目撃されていたようだ。
「今朝、東郷氏はなぜか八島駅で一度下車したそうだ。八島駅といえばお前が通学に利用している駅だったよな。そして、お前と東郷氏は、昨日に引き続き今日も一緒に登校して来ている。これはなにかあったと勘ぐられてもおかしくはあるまい」
「うっ……」
 なんという情報網だ。まるで監視されているみたいだ。いやっ、これはマジで監視されてるよね?
「まだクラスの連中は、ここまではっきりとした情報を掴んでいるわけではないだろうが、いずれ真実は明らかになるだろう。そうっ、真実は明らかにッ!」
 黒木は、ビシッと人差し指を俺の鼻先に突き付けてくる。
「なんで二回言うんだよ。お前、それが言いたいだけだろ」
 黒木の言うとおり、今日も東郷さんと一緒に登校して来た。昨日は偶然に電車の中で会っただけだったのだが、なんと今日は彼女が俺の家まで迎えに来たのだ。心底、驚いたよ。まぁ、わざわざ朝から俺を迎えに来た理由もだいたいわかる。間違いなくエロ手帳事件が絡んでいるはずなのだ。
 エロ手帳事件。
 偶然に拾った東郷さんの手帳が自作のエロ小説で埋め尽くされていた、という忌まわしい事件のことだ。今でも本当にあったことだとは、自分でも信じがたい。だが、事実だ。でなければ彼女が俺の家に来るわけがないのだから。
 が、今朝の東郷さんは、そのことには一切触れなかった。むしろ俺の気のせいでなければ、彼女の態度は少し砕けて親しい友人へのそれになっていたような気がする。そして、彼女はやや興奮気味に頬を火照らせ、饒舌で終始にこやかに笑っていたようにも思えた。
 意図がさっぱり理解できなかった。俺が手帳のエロ小説を盗み読んだのだと確信し、口止めのためにプレッシャーをかけに来た、というわけではどうやらなさそうだったのだ。
 しかし、いったいこの感覚はなんだろうか? 知らぬ間に外堀を埋められているような、真綿で首を絞められているような、そんな奇妙な違和感を感じる。蛙を入れた鍋をゆっくりと茹でていくと、蛙はそれに気づかないまま茹で死んでしまうそうだが……まさかな。
「とにかくだ。東郷氏のこの手のスキャンダルは今回が初めてだからな。お前、気を付けろよ。有象無象の連中のやっかみを買うことになるだろうからな。同じ真帆奈ちゃんという天使のような妹を持つ兄弟としての忠告だ」
「お前と養子縁組した覚えはねーよ」
 しかし困ったな。目立たずでしゃばらずが俺のモットーだったのに、相手が相手だけに変な注目を浴びてしまうことになるぞ。
「忠告は大変ありがたいんだけどな。べつにスキャンダルとかそんな色っぽい話じゃねーよ」
 むしろエロかった話というべきだろうか。
「だいたい俺と東郷さんの関係を、本気で疑ってるような連中なんていやしないだろ」
 大方、暇つぶしのちょっとした好奇心程度の関心だろう。所詮、俺と東郷さんとではヒエラルキーが違いすぎるからな。時間が経てば、みんなすぐに忘れるだろうさ。
 と、この時はそう楽観視していたのだが、事態は急変することになった。
 それは、昼休みに起きた。
 俺は弁当を食べ終え、黒木と今後のエロゲー界の行方について熱い議論を交わしている最中だった。
「乃木くん、ちょっといいかしら」
 東郷さんが近づいてきた。
 清潔なリンスの香りが俺の鼻腔を擽った。
 なぜ彼女からは、こんなにいい匂いがするのだろうか?
「な、なにかな?」
「ちょっと大切なお話があるんだけど、少し時間いいかしら?」
 ドッキーン。
 俺の心臓が激しく脈を打つ。
「う、うん……いいけど……」
「よかった。黒木くん、お邪魔してごめんなさいね」
「いや、俺のことは一向に気にする必要はないぞ。んじゃ、ごゆっくり」
 黒木は、飄々と軽い足取りで立ち去った。
 教室に残っていた他の連中は、チラチラとこちらに視線を寄越しながらダンボのように聞き耳を立てている。とても大切な話をするのに適した場所ではなかった。
「えっと……場所変えよっか?」
「いいわよ」
 俺と東郷さんは、一先ず教室を出た。
「それで、どこに行こうか?」
 べつに行き先を決めていたわけではないのだ。
「そうね。できるだけ人気のない場所にしましょう」
 人気のない場所。
 人気のない場所。
 クソッ、我が学園にポンプ小屋がないのが激しく悔やまれる。
 まぁ、冗談はこれくらいにしておこう。
 大切な話というのは、おそらくエロ手帳の件だろう。まさか東郷さんが、あんな公衆の面前で仕掛けてくるとは不意打ちだった。教室には少人数しかいなかったが、今頃は無数のメールが飛び交い、クラスはおろか学年全体にまであらぬ噂が飛び火していることだろう。
 で、俺達がどこに行ったのかというと、もうベタな展開でアレだが屋上だ。
 空は快晴。
 二匹のトンビが翼を広げ、大空高く雲の合間を優雅に舞っていた。太陽に向かって螺旋を描いて滑空するその姿は、まるで仲よく社交ダンスでもしているように思えた。
 もしかすると恋人同士なのかもしれない。
 降り注ぐおだやかな春の陽光を浴びながらふとそう思った。
「今朝は、急に家に押しかけたりしてごめんなさいね」
「いいんだよ。べつに迷惑じゃなかったから」
「私、一度なにかを思い付いちゃうと、もう歯止めが利かなくなっちゃう人だから。今朝も気が付いたら電車を降りてて、乃木くんの家の前まで行っていたのよ」
「そ、そうなんだ……」
 深窓の令嬢にしか見えないこのお嬢様に、そんな一面があったとは本当に意外だった。
「そういえば、よく俺の家の場所がわかったね? 住所とか教えてなかったと思うんだけど?」
「あらっ、乃木くん知らないの。今のご時世、携帯電話の番号さえわかれば、それだけで個人情報はある程度特定できるものなのよ」
「それって完全に個人情報保護法に引っかかってるよね!? だいたい東郷さんには、携帯電話の番号を教えてなかったと思うんだけど……」
「そうだったかしら? まぁ、この際だから細かいことはいいじゃない」
 なんて怖い娘なの……。
 俺の中で、東郷さんのイメージが音を立てて変わりつつあるぞ。
「そんなことよりも、今はこちらの話の方が重要だわ」
 東郷さんは、上着のポケットから昨日の手帳を取り出した。
 屋上は予想以上に風が強く、彼女のエアウェーブした黒髪は、旗のように虚空でなびいていた。
「乃木くんはこの手帳の中を見てないって言ってたけど、実はこの手帳には私の髪の毛が挟んであるのよ。だから、もし私以外の何者かが勝手に中を開けたりすると、すぐにわかるようになっているの」
「いったいどこの諜報機関の人なのッ!?」
 なんというブービートラップ。
「えっと……お、落とした拍子に髪の毛が抜けたんじゃないかな?」
「手帳にはちゃんとボタンがしてあったから、落としても髪の毛が抜けることはないわ。そして、昨日の放課後、私はちょっと用事があったから遅くまで教室に残っていたの。だから帰る時に教室に誰もいなかったのは確認しているのよ。そして、校舎を出た辺りで手帳がないことに気付いて、慌てて教室に戻ったら乃木くんがいた。その間が、だいだい十分くらいかしらね」
「……」
「わかる、乃木くん? つまりこの手帳の中を見た人は、乃木くん意外には考えられないのよ」
 まったく反論しようがない緻密な追及だった。
 つーか、昨日の俺と東郷さんは、ほとんど入れ替わりだったんだな。
「乃木くんが嘘をつきたい理由もよくわかるわ。でも、本当のことを言って欲しいな」
 東郷さんはただ黙して、じっとこちらを見詰めている。
 駄目だ……もう限界だ。
「ご、ごめんさい……勝手に中を見てしまいました! 今さら謝っても許してもらえないかもしれないけど、それでも本当にごめんなさいッ!」
 俺は頭を下げて必死で謝罪した。
「そんなに謝らないで。私はなにも怒ってないのよ。むしろ感謝しているくらいだわ。乃木くんは、優しいのね」
「そ、そんな、全然優しくなんかないよ。だいたい勝手に手帳の中を見ておいて感謝される言われはないんだけど……」
「だって本来なら乃木くんの方が怒るべきなんですもの」
「えっ、なんで俺が怒るの?」
「乃木くんは、この手帳に書いてあった小説を読んだんでしょう?」
 走馬灯のように蘇る昨日のエロ小説の内容。
「う、うん……まぁ、ほんのちょっとだけ……」
「だったら人を勝手にあんな小説に登場させるなって、普通なら怒って当然だわ」
 ジャニー乃木さんって、やっぱり俺のことだったんだな。もう原型がなさすぎて怒る以前の問題だと思うよ。だいたい俺は鞭とか持ち歩いてないし。
「あるいは、あの手帳を使って私を脅迫することだってできたのよ」
「きょ、脅迫!?」
 随分、穏やかでない話だ。
「えっと……なんで俺が東郷さんを脅迫するの?」
「だってあんな小説を書いていることが衆目に晒されたら、私はもう学校に来ることはできないわ。もし乃木くんにその気があったら、私は言いなりになるしかなかったと思うわ」
 東郷さんが言いなり。
 東郷さんが言いなり。
 大切なことだから二度言っておこう。
 確かに今になって冷静に考えてみると、俺は東郷さんのトップシークレットを一時的にも所有していたことになるのだ。だったら彼女の言うとおりにあの手帳をちらつかせ、あ〜んなことや、そ〜んなことを要求することだってできたのかもしれない。
 しかしだ。
「俺はそんなことしないよ」
 まぁ、小心者だからな。だいたい女の子を脅迫するなんて、男として恥ずべき行為だよ。そんな酷いことをして、なにが楽しいのかまったく理解できないね。
「そう、乃木くんはそんなことはしなかった。優しいのね」
 東郷さんに褒められてしまった。
 まったく予想していなかった展開なので、どんな顔をしたらいいのか戸惑ってしまう。
「あの小説を読んで……乃木くん、驚いたよね?」
「う、うん……まぁ、多少は……」
「ごめんなさい。勝手に乃木くんを小説の登場人物にしたりして」
「それはべつにいいんだけど。なんで俺が出演していたのかは、ちょっと気になったりはしたかな」
「あれは、その……ビビビって降りて来たのよ」
 そっか、ビビビって降りちゃったのか。じゃあしょうがないなー。
「まさか乃木くんに読まれるなんて思ってもいなかったから、そのまま勢いで書いちゃったの。本当にごめんなさいね」
 東郷さんは、ムーミンのようにモジモジと謝罪する。
 なんだかこっちまで恥ずかしくなってくる。
「そんな謝らないでよ。元々は勝手に手帳の中を見ちゃった俺が悪いんだから」
 暫くの間、ただ黙って対峙するだけで時が流れた。
 非常に気不味い俺達。
 が、東郷さんは意を決したような表情を浮かべると、静かに秘密を語り始めた。
「あの手帳は、私のネタ帳なの」
「ネタ帳?」
「実は私、フリーでゲームのライターをしているのよ。だから思い付いたネタはすぐに手帳に書くことにしているの」
 ゲームのライター? ……って、ま、まさか!?
「あの、つかぬことをお伺いしますけど。そのゲームっていうのは、もしかしてパソコンとか販売している美少女系といいいますか、エッチなこととかをしてしまうゲームのことでしょうか?」
 東郷さんは伏し目がちに困惑の表情を浮かべ、そして静かに首肯した。
 衝撃の事実が発覚!
 完全無欠の優等生の東郷さんが、まさかエロゲーのライターをしていたなんて! つーか、高校生でもエロゲーのライターなんかできるのか?
「このことを話すのは乃木くんが初めてよ。両親にだって話してないことなんですから」 
 こんなことをカミングアウトされても両親は困るだろうな。俺も今、もの凄く困ってるし。
「でも、俺にそんなことまで話しちゃっていいの? もしかすると他の誰かに話ちゃうかもしれないよ」
「いいわよ」
「えっ、い、いいの?」
「うん。乃木くんの好きにしてくれていいのよ。私はただそれに従うだけだから」
 東郷さんは、なぜか眼鏡を静かに外した。
 眼鏡属性がなくなった素顔の彼女は、思わず息を呑む程に美しく、睫毛なんかも長い長い。
「い、いや、ちょっとした冗談だから。このことは絶対に誰にも言わないよ。大丈夫だから安心して」
「うん。乃木くんは、そう言うと思ったわ」
 紅をさしていないのに煌々と赤らむ東郷さんの唇が、妖艶な曲線を描く。
 なぜだろう。目の前の美少女が、先程までの彼女とは別人のように思えてならない。眼鏡を外したせいなのだろうか?
「この眼鏡、実は度が入ってないの」
「えっ、そうだったの?」
 最近はオシャレで眼鏡をする人もいることだし、それほどおかしなことではないだろう。
「これは偽りの仮面。本当の自分を隠すための……そう、ルルーシュが仮面を被ってゼロになっていたように」
 なぜここでギアスネタが出てくるのかよくわからないが、言いたいことだけはなんとなく理解できなくもない。
「乃木くんは、私が思ったとおりの人なのね。やっぱりこの出会いは、運命なのかもしれない」
「う、運命?」
「そう、運命……乃木くんは、運命って信じるのかしら?」
 急にそんな哲学的なことを言われても返答に困ってしまう。
「うーん、どうかな。あんまりそういうことを考えたことないから、よくわかんないんだけど……」
 つまらない人生を送っているせいか、そんなことを信じてしまうセンセーショナルな出来事にお目にかかったことなど一度もないのだ。
「私はずっと信じてた。必ず運命の人に巡り会えるって」
 双眸に強い意志の光が湛えさせ、東郷さんは堰を切ったように抑えられていた想いを吐露し始めた。
「あの日、かわいそうな子犬――軍神を助けてあげている乃木くんと出会ったあの日から、こうなることはすでに決まっていたのかもしれない」
 な、なんなの……この展開は?
「軍神があんなに嬉しそうに懐いて、この人は優しい人なんだってすぐにわかったわ。それからよ。乃木くんのことが気になり始めて色々と調べるようになったのわ」
 東郷さんにそんなことをしてもらえるなんて、きっと光栄至極なことなんだろうな。 
「制服を着ていたから同じ学園の生徒だということだけはわかっていたけど、他のことはなにも知らなかったから、まずは名前を、次はクラスを、それから交友関係を、趣味はなんなのか、彼女はいるのか、中学生の頃はどうだったのか、家族のことやどこに住んでいるのか、そんことを時間をかけて色々と調べたわ」
 えっ! ちょっ!? そ、そんなに根掘り葉掘り調べちゃったの!? 大企業の素行調査以上じゃん! つーか、それで家の場所を知ってたのか……。
「校内で偶然に乃木くんのこと見かけたりすると、いつしか自然に目で追うようになっていた……。二年に進級した時、乃木くんと同じクラスになれて本当に嬉しかった。ちょうどその頃からよ。乃木くんが私の頭の中に降りてくるようになったのわ」
 ビビビとジャニー乃木さんが降臨するようになったのは、どうやらつい最近の出来事だったようだ。
「手帳を落としたと気付いた時、私は本当に焦ったわ。だって誰かに拾われでもしたら大変なことになるでしょう。でも乃木くんが私の手帳を拾ってくれていた。他の誰でもない乃木くんが……これはどう考えても偶然とは思えないわ。乃木くん、これは運命だったのよ」
「えっと……いったい、な、なにが運命なの……?」
 早鐘のように高鳴る心臓。
 もしやこれは、こ、告白なんですか!? そんな、ま、まだ心の準備が全然できてないのに……。
「乃木くんは、私の飼い主になってくれる人だったのよ。私は昨日、それを確信したわ」
「…………はい?」
 今、聞き捨てならない単語が混じっていたような気がしたんだが、俺の聞き間違いなのだろうか……?
 刹那、昼休み終了の予鈴のチャイムが校内に鳴り響いたのと同時に、一陣の突風が屋上を通過する。その悪戯で、東郷さんのスカートが勢いよく捲り上げられた。
「私……乃木くんのペットになるッ!」 
 確固たる決意の想いが込められた凛とした声色で、眼鏡の美少女はパンツ丸出しのまま高らかに宣言するのであった。
 衝撃の告白が俺の鼓膜で反響し、衝撃の映像が俺の網膜に映り込み、その双方が勢い余って俺の脳細胞を焼き尽した。
 俺はチャイムが鳴り終わるまで、ただ黙して茫然自失に立ち尽くすことしかできなかった。

 
 午後の授業は、まったく集中できなかった。
 なぜ集中できないのかは、言わずもがなだろう。
 脳内ハードディスクにアクセス開始。
 薔薇の絵柄とsweetのロゴが散りばめられた、セクシーさと可愛らしさの双方を兼ね備えたサイド紐ショーツを脳内ディスプレイに表示した。
 グレイト! の一言だった。
 東郷さんにはこのパンツしかない、というくらい見事に彼女にマッチしたパンツだったのである。流石、東郷さんだ。いい仕事するな。匂い立つような彼女の色香が、まだ俺の奥底で燻っているようだった。
 チラリと横目でその本人を眺めてみた。
 普段と変わらぬ様子で授業を受けている。
 あんなことがあったというのに…‥。
『乃木くんのペットになるッ!』
 衝撃の告白が俺の頭の中で反芻された。
 ペットになるというのは、いったいなにを意味する告白なのだろうか? 
 社会一般的な常識から考えると、ペットとは犬や猫に対して使う言葉なわけであり、人様に使うようなことは決してないはずだ。むしろ使ってしまえば、失礼極まりない! と怒りを露にする人だって大勢いるだろう。では、いったいあの謎の告白にはどんな意味が隠されているのだろうか? 俺には皆目検討がつかなかった。
 いや、待てよ……。もしかすると俺の聞き間違いだったのではないだろうか? 風の悪戯でペットと聞こえてしまっただけで、実際は違う言葉だったのかもしれない。例えばベットとかバットとか……。
 と、そんなことに思考をフル回転させていた時、俺の携帯電話がブルルと振動した。
 雫からメールだった。
『今日の夜、アンタの家に行くから』
 藪から棒にいったいなんなんだ?
 後ろを向いて雫を確認してみると、素知らぬ顔で先生の話を聞いている。
『なんで?』
 メール返信。
『五月会でどこに行くのかそろそろ決めないといけないでしょ』
 間髪入れずに次のメールが届く。 
『それと、東郷さんと昼休みになにしてたのかちゃんと説明してもらうんだからねッ!!』
 ゾゾゾ。
 背筋に悪寒が走る。
 恐る恐る後ろを振り向くと、麗しの幼馴染さんが、親の仇を見るような目付きでこちらを睨んでいた。
 なんでそんな怖い顔をされなければいけないのだろうか? 俺が東郷さんとなにしようが雫には関係ないのに。まぁ、そんこと言ったら余計に怒らせるだけだから言わないんだけどね。ほらっ、俺って平和主義者だから。
『わかりました』
 そんな諦念を込めたメールを返信した。 
 夜までに上手い言いわけを考えておかないといけないな……。
 さて、そんなこんなで午後の授業が光の速さで終了した。
「乃木くん、帰りましょう」
 帰り支度を終えた東郷さんが、俺の席までやって来てそう言った。
 どうやら東郷さんは、不意打ちが得意技ようだ。一緒に帰る約束をした覚えはないんだけどな。
「う、うん……」
 ざわざわ、と教室内が騒然となる。
 興味や嫉妬に満ちた視線が、雨あられのように降り注いでくる。特に茶髪の幼馴染の射ぬくような視線力は、俺のロンリハートを打ち砕くのに十分な魔力を秘めていた。
 俺は、逃げるような足取りで教室を飛び出した。
 一挙手一投足が注目されているというのに、東郷さんは周りのことを気にしないから困ってしまう。よくも悪くもマイペースな人なのだ。少しは自身の影響力というものを理解してもらいたい。
「乃木くん、待って」
 東郷さんが小走りで追いかけて来た。
「あっ、ご、ごめん」
「どうしたの。急に出て行ったりして?」
「う、うん……その、目立つの苦手なんだよね」
 茶髪の人が後で怖いしな。
「目立つ?」
「ほらっ、さっき教室でクラスのみんなが注目してたでしょ」
「そうだったの? なぜかしら?」
 これは驚きの反応だ。
「東郷さんって凄く人気があるから、特定の男子と一緒に帰るってことになると、どうしても周りの人は興味を持ったりするじゃない」
「えっ、私のせいだったの?」
 どうやらこの天然メガネっ娘は、本当にその事実に気付いてなかったようだ。おそらく幼少の頃から注目されることに慣れているせいなのか、あれくらいでは気にもならないのだろう。
「いやっ、東郷さんのせいってわけじゃないんだけどね。ただ、周りの人達は色々と噂したりするからね」
「もしかして、迷惑だった?」
「ぜ、全然そんなことはないよ! 俺がちょっと慣れてないだけだから、東郷さんはなにも気にしないで」
「そう、よかった」
 東郷さんは、安心したように相好を崩した。
 ちくしょー……可愛いなー……。
「でも、そうね……そういうことなら。うん、わかったわ。私達の関係は、みんなには秘密にしておきましょう。これから学校では、乃木くんに迷惑をかけないようにできるだけ気をつけることにするわ」
「……」
 私達の関係というのは、いったいどのような関係のことを指すのだろうか? ちょうどいいタイミングだし、さっきほどの謎の告白の真意について詳しく聞いてみるか。なんか恐ろしく聞き辛いんだけどな……。
「東郷さん、えっと……ところでさっきの――」
「さぁ、それじゃあ行きましょう」
 俺の言葉を遮るようにして、東郷さんが元気よく出発の言葉を言い放った。
「えっ……どこに行くの?」
「もちろん乃木くんの家よ」
「…………どこに行くって?」
「乃木くんの家よ」
 これは予想をはるか斜め上に行く展開だぞ。
「な、なんで俺の家に行くの?」
「乃木くん、今は両親がいないって言ってたでしょう。妹さんと二人っきりだって。だから今日は、私が乃木くんの家に行って晩ご飯を作ることに決めました」
「そんな、き、決めましたって、ちょっと待ってよ。勝手に決められても困るというかなんというか……」
「あらっ、なにか問題でもあるのかしら?」
「いや、だって、その……うちには妹がいるから、ちょっと……」
「乃木くんの妹さんと会うのが楽しみだわ。私、ずっと妹が欲しかったのよ」
「そ、そうじゃなくて。うちの妹は、ちょっと特殊なんだよ」
 特質系の念能力の持ち主だからな。
「特殊?」
「うん。かなり変わってるから、もしかすると東郷さんに失礼なことを言ったりしたりするもしれないんだよね……」 
「私、変わってる子好きよ。それに乃木くんの妹さんなんですもの。そんなに心配しなくても女同士でちゃんと仲良くできると思うわ」
 今まで雫以外の女の子を家に連れて来たことなど一度もないので、果たして真帆奈がどんなリアクションをするのか想像がつかない。もしかすると刃物まで持ち出してくる恐れすら予想される。どう考えても危険すぎるミッションなのだ。
「ほ、本当に困るよ。できれば後日にしてもらうともの凄くありがたいんだけど……」
 後日にしたところで状況はなにも好転しないだろうが、とりあえず時間を稼がなければならない。苦肉の策だ。
 暫くの沈黙の後、東郷さんは静かに眼鏡を外し、
「……さっき私のパンツ見た癖に」
 と、ボソッと呟いた。
「み、見てないよ! いやっ、見たことは見たけど、あれは偶然に見えただけで、見たくて見たわけじゃないですからッ!」
「見たくなかっただなんて酷いわ! 人のパンツを覗き見しておいてそんな失礼なことを言うの! 乃木くんが授業中に私のパンツのことばっかり考えてたの知ってるんだからッ!」
 ちょっ、なんでそのことを知ってるのさ! 
「と、東郷さん、とりあえず声が大きすぎるからもう少しボリュームを抑えて……」
 ここは階段の踊場なので、図らずもこれから帰宅する生徒達の注目の的になってしまっている。
「人のパンツを覗き見しておいて声が大きすぎるとか意味がわからないわ!」
 『覗き』の部分をやたらと声高に強調する東郷さん。
 なんという恐ろしいイメージダウン作戦。このままでは俺の評判が地に落ちてしまう。しかもこの作戦だと東郷さんも多少はダメージを負ってしまうというのに、まさに肉を斬らせて骨を断つノーガード戦法だった。
「お、お願いだから冷静になって。そんなに騒いだら変に思われちゃうから……」
「……人の手帳を勝手に盗み読みした癖に」
 パンツを覗き見の次は手帳を盗み読みとか、もう最低男まっしぐらである。
「ちょ、ちょっと待ってよ。それはさっきちゃんと謝ったし、もう怒ってないって自分でも言ってたじゃない」
「人の手帳を勝手に盗み読みした癖にッ!」
「わかった! もうわかりましたからッ! ぜひうちにご飯を作りに来て下さいッ!」
 覗き見、盗み読み包囲網を前にして、俺にはもう無条件降伏の道しか残されていなかった。
 その言葉を聞くと東郷さんはさっと眼鏡をかけ、
「わかってくれてよかったわ。それじゃあ行きましょう」
 と、なにごともなかったかのようにしれっと微笑んだ。
 怖いよ! マジで女の子怖いよ! つーか、東郷さんってこんなキャラだったの!? やたらたち悪いじゃんか! ううっ……もう女性恐怖症になりそうだよ。
 なにか大切な約束を忘れているような気がしたが、こうして東郷さんが俺の家に来ることが決定した。


「ただいま……」
 無人の屋敷に俺の声が虚しく木霊した。
 やはり真帆奈は、まだ学校から帰ってないようだ。
 東郷さんと一緒に学校を出る直前に、真帆奈からこんなメールがあった。
『これから麗ちゃんの家に遊びに行くから帰るのが少し遅くなるよ。真帆奈がいなくても寂しがらないでね。愛してるよ、お兄ちゃん♡ はうー、愛してるって初めて言っちゃったよーっ。愛してるはだい好きよりもレベルがずーっと高いんだよ。でもこれくらいでは、真帆奈のお兄ちゃんへの気持ちを表現することはできないのだ。そういえば愛してるといえばね――』
 長文送ってきてもいちいち最後まで読まないんだけど、まぁいいだろう。
 真帆奈が学校の帰りに麗ちゃんの家に寄るのはちょくちょくあることだ。が、遅くとも六時までにはいつも腹を空かせて帰ってくる。とりあえず危険な鉢合わせの回避はできたのだが、結局はそれも一時的なものでしかない。奴は必ず帰ってくる。どうやって東郷さんのことを説明すればいいのか、今から頭が痛かった。
「東郷さん、どうぞ入って」
 東郷さんを我が家へと招き入れた。
「おじゃまします」
 東郷さんは礼儀正しく俺の靴と自分の靴を揃えてから、優雅な足取りで家の中へと入った。とりあえず一緒にキッチンへと向かう。両手に塞がった数々の食材が入った買い物袋を置くためだ。
 しかし、本当に驚いたよ。東郷さんは、ろくに値段も確認しないでバンバンと食材を買っていくのだから。こちらはいつも10円でも安い物を見つけて買い物をしているというのに。これも育ちの差なのだろうか。お金の方もこちらが半分出すと言ったのだが、彼女は全部自分が出すと言って聞き入れてもらえなかった。実に太っ腹なお嬢様だ。
「東郷さん、むこうの居間で待っててくれる。すぐに飲み物持って行くから。えっと、紅茶とコーヒーどっちがいい?」
「乃木くんと同じ物でいいわ」
 じゃあ紅茶で決まりだな。わざわざご飯を作りに来てくれたんだし、アールグレイじゃなくて特別にウバを使おう。乳母じゃないよ。ウバだから。世界三大銘茶と称される中の一つで、美味しいだけあって値段も非常にお高いのだ。俺もたまにしか飲まない。いやっ、飲めない。ちなみに俺は、ミルクティーにして飲むのが好みだったりする。
 急いで紅茶の用意をして居間に行くと、東郷さんはピンッと背筋を伸ばした美しい正座の姿勢で待っていた。まるで茶道の家元のようだ。
「紅茶ですけど、どうぞ」
 ティーポットからティーカップに透き通るような琥珀色の液体を注ぎ、東郷さんに差し出した。
「ありがとう。いい香りね」
 暫く香りを楽しんでから、彼女の形のいい唇がティーカップに触れた。
「美味しい……。これ凄く美味しいわ」
 どうやらお気に召してもらえたようだ。
「よかった。東郷さんだったらもっと美味しい紅茶を飲んでると思ってたから安心したよ」
「そんなことないわ。こんなに美味しい紅茶はそう簡単には飲めないわよ」
「そんなオーバーな」
「本当のことよ。これウバかしら。茶葉の香味が充分に引き出されているし、味も渋すぎないでとてもまろやか。ちゃんと茶葉のことを理解していないと、こんなに美味しくはならないわ」 
 ウバとすぐにわかるとは、流石、東郷さんだ。やはりわかる人にはわかるんだね。
「まだあるから、よかったら飲んでね」
「ありがとう。いただくわ」
 女の子が俺の家に遊びに来るなんて、雫以外では初めてなのだ。したがって、こんな女の子と部屋で二人っきりのシチュエーションもまた初めて。ヤバイ……なんか緊張してきたぞ。
「少し歩いたから暑くなっちゃって、乃木くん、上着を脱ぎたいのでハンガーを貸してもらってもいいかしら?」
「うん。いいよ」
「ありがとう」
 東郷さんは、学園指定のブレザーを脱いだ。
 ドッカーンと否応もなく強調されてしまう胸の膨らみ。
 サイズはどれくらいなのだろうか? 80台後半あたりか? いや、下手をすると90の大台に乗っているかもしれない。シャツなんかもぱつんぱつんになっており、中の二匹の物体Xが飛び出してしまわないか非常に心配だ。
「どうしたの、乃木くん?」
「な、なんでもないよ!」
 鎮まれ! 鎮まりたまえ! 俺の下半身よ! なぜそのように荒ぶるのか!?
「どうしたの、乃木くん? さっきからブツブツ言って?」
「俺のことは気にしないで。ちょっとした儀式みたいなものだから」
「そう……」
 ふー、少し落ち着いた。
 しかし、東郷さんはいったいなにを考えてるんだろうね? 今日一日、ずっと振り回されているような気がするよ。そういえば、昼休みのペットの件の真意も聞きそびれてたし、この辺りではっきりさせておいた方がいいかな。
「あの、東郷さん……ちょっといいかな?」
「なにかしら」
 東郷さんは、二杯目の紅茶をミルクティーにして楽しんでいた。
「えっと……ちょっと聞きたいというか、確認しておきたいことがあるんだけど……」
「処女よ」
「……はい?」
「私は処女よ。異性とセックスはおろかキスだってしたことはないわ。生まれたままの綺麗な身体よ(キリッ)」
「全然そんなこと聞いてないですからッ!」
 なんでそんな生々しいことをカミングアウトしちゃうのさ!
「えっ、違ったの? てっきり男性経験の有無についてのことかと思ってしまったわ。男の子ってこういうことを気にするって聞いたものだから、ちゃんと先に話しておいた方がいいと思ったのよ」
「そんなこと気になっても聞きないからッ!」
「そうなの? でも男の子って相手の女の子が初めてじゃなかったら、漫画を破いたりDVDを割ったりして郵送で送りつけたりするんでしょう? だから乃木くんもてっきりそうかと……」
「それは一部の過激な処女厨の仕業ですから! 一般の人間は絶対にそんなことはしないからッ!」
 まったく、とんでもない誤解があったもんだな。
「あっ!!」
「えっ!? な、なになに?」
 突然、東郷さんは鋭い叫び声をあげたかと思うと、鞄から手帳を取り出してなにかを書き始めた。
「キタキターッ! 降りて来たわ!」
 オマケにもの凄いハイテンションだ。
「えっと……い、いったいどうしたの?」
 まるでなにかに取り憑かれているみたいだ。
「ごめんなさい。ちょっと間だけ黙ってて」
「は、はい……」
 もしかすると……アレか? エロ小説の神が降りて来てしまったのだろうか?
 暫くの間、創作作業に没頭する東郷さん。
 なぜだかわからないけど一心不乱にエロ小説を書いている彼女は、輝いて見えた。 
「うーん。これがこうなって……そして、あれが……」
 急にペンの勢いがピタリと止まった。東郷さんは、なにやら唸りながら腕を組んで悩んでいる。どうやら行き詰ってしまったようだ。
 で、漸く俺が見ていることに気付くと、眼鏡の彼女はあちゃ〜とした顔をしてから、
「ご、ごめんなさい! 私ったら乃木くんを放ったらかしにして。本当にごめんなさい……」
 と、申し訳なさそうに身体を縮こまらせながら謝罪を繰り返した。
「それはいいんだけど。えっと、もしかして今のは……」
「う、うん。急に新作のネタを思い付いたから、忘れる前に早く書かなきゃと思ったら、もうそれしか考えられなくなってしまって、本当にお詫びのしようがないわ……」
 うーん、実に面白い人だ。
「新作なんだ」
「そうなのよ。えっと……まだ途中までだけど読んでみる?」
「そ、それは遠慮しておくよ」
 その新作にジャニー乃木さんが出演していたら、どんなリアクションを取ればいいのかわからなかったので丁重にお断りした。
「そうなんだ……」
 東郷さんは、なぜかとても残念そうだ。
「そういえば、シナリオライターをしてるって言ってたけど、どんな仕事をしてるの?」
「えっ、そ、その……言わないとダメかしら……?」
 かなり言い辛いご様子だ。
 そうだろうな。なんせエロゲーのシナリオだもんな。やっぱり聞いてあげない方がよかったのかな?
「べつに無理に言わなくてもいいよ。そっちにも色々と事情があるだろうから」
「……いえ、ダメよ。乃木くんに隠し事はできないわ」
 隠し事くらいしてくれても一向に構わないんだけどな。つーか、むしろこちらが対応に困ることならして欲しい。
「スタジオファビウスから発売している、『聖奴隷雌犬学園』や『レイプ!&レイプ!&レイプ!』が、私がメインシナリオを担当したゲームよ」
「サモ・ハン・きんもーっ☆さんだったのッ!?」
「あっ、それ私のベンネームよ。私のゲームをしてくれてたんだね……」
「う、うん……。つい最近色々あったからなし崩し的にちょっとだけだけど」
「は、恥ずかしいわ……。乃木くん、私のことをいやらしい女の子だって思ってるわよね?」
「そ、そんなこと思ってないよ。あれも立派な仕事なんだから。それに高校生なのにメインシナリオを任されているなんて凄いことだと思うよ」
 ゲームの内容の方も女子高生が書いたとは思えないほど凄かったからな。
「それにあのゲーム、なかなか面白かったよ。女の子が色んなところで乱暴されたりとか、未成年にしか見えない女の子がよってたかって陵辱されたりとか、その……ごにょごにょ」
 うわっ、めちゃくちゃ褒めるのが難しいぞ。
「本当に?」
「う、うん……。ある人は神ゲーだって絶賛してたからね」
「よかった。ユーザーにそう言ってもらえるのが一番嬉しいわ」
 ぱぁーと花が開くような天使の笑顔で歓ぶ東郷さん。
 この可愛い子があんな鬼畜シナリオを書いたとはとても思えない。いやっ、思いたくなかった。切実に。
「神ゲーなんて言われるのは初めてよ。そのある人って誰のことなのかしら?」
 うちの不肖の妹のことです。
「うっ、そ、それは、ちょっと誰かは言えないんだけど、結構身近にいる人物なわけでして……はい」
「その人に会って直接にお礼を言いたい気分だわ」
 その人とはこれからすぐに会えると思うよ。
「本人には東郷さんが書いたってばれないようにちゃんと伝えておくよ」
「そうしてくれるとありがたいわ。ところで乃木くん、さっきなにか私に聞きたいことがあるって言ってたわよね。いったいなんのことだったのかしら?」
「う、うん。そのことなんだけど……昼間のアレはどういう意味だったのかなー、と思ったりして……」
「昼間のアレって?」
「東郷さんが俺のペットになるとかなんとか……」
「言葉通りの意味だけど」
「……いやいや、それがちょっとよくわからないんだけど」
「もしかして……乃木くんは今までペットを飼ったことがないのかしら?」
「うん。ないけど」
 うちにはもの凄く手間のかかる生き物が約一名いるので、他にペットを飼う余裕などないのだ。
「それならよくわからないわよね。ごめんなさいね。なんだか私一人だけで勝手に舞い上がっていたみたいね」
「そんなことはないと思うんだけど、もっとわかりやすく説明してもらえるとありがたいかな」
「うーん、そうね。例えば乃木くんが一匹の子犬を飼うとするでしょう。ポメラニアンでもヨークシャーテリアでも好きな犬を想像して欲しいの」
「子犬を想像するの?」
 なんだろう。柴犬かな。
「乃木くんは、その子犬の世話をしてあげると思うの。ご飯を食べさせてあげたり、身体を洗ってあげたり、散歩に連れて行ってあげたり」
「子犬可愛いもんね。自分でも甘やかせてしまうと思うよ」
「わかるわ。乃木くんはそういう人だもの。でも、躾もちゃんとしないとダメよ。その子犬が悪さをすれば、時には叱ることだってとても大切なことなのよ。肝心なのは飼い主が犬のリーダーになることなの。毅然とした態度で躾を行い、いいことをすればその場でちゃんと褒めてあげるの。そうすれば自然に飼い主と犬との信頼関係が生まれることになるのよ」
「へー、そうなんだ」
 なぜ急に犬の躾教室になってしまったのかよくわからないが、とりあえず軽く頷いておいた。
「つまり私と乃木くんもそういう関係を目指すべきだと思うの。私を拾ったばかりの子犬だと思って、乃木くん好みの雌犬になるようにちゃんと躾てもらえれば嬉しいわ」
「できないよそんなこと! つーか、明らかにおかしなことを言ってるよね!?」
「べつにおかしなことは言ってないわ。時には厳しく躾をすることは飼い主の義務なのよ」
「躾の話だけの問題じゃないから! 人を犬扱いすること自体がおかしいんだってばよッ!」
「そっか……つまり乃木くんは猫派だったのね。だったらもっと早く言ってくれればよかったのに。例えば乃木くんが子猫を飼うとして――」
「犬も猫も一緒ですからッ!! つーか、なんで東郷さんはそんなにペットにこだわるのよ!?」
「乃木くん、女の子はいつも自分を調教してくれる素敵な飼い主を本能的に求めている生き物なのよ」
 とんでもない発言を真顔でおっしゃる東郷さん。 
 もう局地的なマイノリティーの意見が、ここに集約されているとしか思えない。
「それに、これは運命……そう、絶対運命黙示録」
 ちらほらとアニメネタが入るのは、いったいなんなのだろうか?
「ちょっ、ちょっと待って東郷さん。な、なんでメガネを外しちゃうのさ!?」
 なぜか素顔を晒した東郷さんは、四つん這いになってのしのしと近づいてくる。
「運命に逆らってはダメよ。人は流れに沿って生きていけばいい……」
 どこかで聞いたような台詞が続く。
「東郷さん、お、落ち着いて」
「乃木くんが飼い主としての責任を果たすつもりがないのなら、私は自分が思うままの行動をするだけよ。それとも乃木くんは、私を哀れな野良犬にしたいのかしら?」
 もうっ! さっぱり言ってる意味がわかんないよ!
 完全に動揺してしまった俺は、とりあえず迫ってくる東郷さんから逃げようとするが、どんくさいことに誤ってティーカップを倒してしまった。
「熱ッ!!」
 ズボンのちょうど股間の辺りに琥珀色の熱湯が飛び掛る。
「大変!」
 東郷さんは素早くポケットからハンカチを取り出し、俺の股間の辺りをゴシゴシとやり始めた。
「ああっ! 東郷さん、だ、大丈夫だからッ! そんなに強くしちゃったらアレがトンデモナイことになっちゃうからッ!」
「ダメよ。このままでは乃木くんの大切なところが大変なことになっちゃうわ。早くズボンを脱いで」
「ええっ! そ、そんな、脱ぐ必要はないよ!」
 ただでさえ女の子と二人っきりのシチュエーションに慣れていない俺の相棒は、僅かな刺激だけでもうすでに封印が解かれ始めているのだ。
「わかったわ。私が手伝ってあげるから」
 東郷さんは、有無を言わさぬ口調で俺のベルトを外し出した。
 ちょっ、この人、全然人の話を聞いてくれないよ!
 で、あれよあれよという間に、東郷さんにズボンを脱がされてしまった。
「ふふっ、可愛いパンツ。さぁ、最後の一枚よ。乃木くん、おとなしく観念して頂戴」
 ちょっと待ってよ! もう完全に趣旨が変わってるよ!
「ほ、本当にこれ以上はもうダメなんだからねッ!」
 俺はそのままなんとか立ち上がろうとするが、途中まで脱いでいるズボンのせいで足をもつれさせてしまい、そのまま東郷さんに覆い被さるようにして倒れこんでしまった。
「うわっ!」
「きゃぁっ!」
 ボヨーンと俺の顔面に、この世の物とは思えないほど柔らかなクッションが押し当たった。
 もちろん、おっぱいだった。
 あろうことか、俺は東郷さんの完熟に実った双子の果実の谷間に顔を埋めてしまっていたのだ。
「ああっ! ご、ごめんなさい!」
「乃木くんはてっきり奥手だと思っていたけど、意外に大胆なのね」 
 東郷さんは、ぽっと頬をピンク色に染めていた。
「いや、違います! 事故ですからッ!」
 と、その時であった。
 玄関のドアが開く音と、なにやら女の子の話し声が聞こえてくる。
「あー、やっぱりお兄ちゃん帰ってきてるよー」
 そして、トタトタトタと廊下を走る音が近づいてくる。
 マズい! 最悪のタイミングで真帆奈が帰って来てしまった!
 すぐに東郷さんの上からどかなければいけないのに、脱ぎかけのズボンが邪魔で思うように動けない。
 そうこうしている間に、
「ただいまー。お兄ちゃんが寂しがらないように愛しの真帆奈が帰ってきたよー」
 俺達は最悪の状況で対面を果たしてしまった。
「ぎゃああああっっ!!」
 真帆奈の絶叫が我が家に響く。
 現在の状況を簡単に説明しておこう。
 俺はズボンを脱ぎかけのパンツ姿で東郷さんの上に覆い被さっており、彼女も倒れた拍子かはたまたその巨乳のせいなのか、シャツのボタンが弾け飛んでパンツとお揃いのブラジャーが露出され、スカートもぺろんとめくれ上がってパンツが丸出しの状態になっていた。
「お、おかえりなさい、真帆奈。こ、これは違うからな。そういうんじゃないから決して誤解しないように」
 誰がどう見ても誤解しない方がおかしい状況だったりするわけだが、とりあえず言わずにはいられなかった。
 放心状態の真帆奈は、ウンともスンとも反応しない。
 そんな妹の後ろから、麗ちゃんがひょっこりと顔を出した。
「うわっ、すごく綺麗な人……。おにーさん、お取り込みの最中にお邪魔しちゃいましたか?」
「いや、本当に違いますからッ! まったくの誤解なんだよ。これは事故だから」
 東郷さんと密着しながら言っても、まったく説得力はなかった。
「お、お、お、お……」
 突然、壊れたラジオのごとく真帆奈が呻き出した。
「ま、真帆奈、大丈夫か?」
「お、お、お兄ちゃんっ!! なんで真帆奈にはそういうことをしないのーーっ!!」
 怒りで我を無くしたオームのようになった妹を宥めるのに、約半時間ほどかかることになった。


「えっと……こちらクラスメイトの東郷綾香さん」
「初めまして、東郷です」
 乱れた衣服を整えた東郷さんは、まるでなにごともなかったかのように礼儀正しく挨拶をした。
「で、こいつが妹の真帆奈」
「うー!」
 俺の妹――乃木真帆奈は、全身の産毛を逆立て対面の東郷さんを威嚇している。
 まぁ、べつになにも怖くないんだけどな。どう見ても子猫がフーフー言っているようにしか見えない。
 端正で愛らしい顔立ち、淡雪のように透き通った白い柔肌、腰まで伸びた黒絹のような髪。と、うちの妹は、いちおう見た目だけは深窓の美少女だ。その代わり中身は、実の兄が言うのもなんだけど重度の変態だがな。
「えっと……そ、それで、こっちが――」
「秋山です。秋山麗といいます。真帆奈の親友やってます」
 本日は私服で登場の自称真帆奈の親友こと――秋山麗ちゃん。
 まぁ、親友というか悪友というか黒幕というか、ようするに真帆奈の悪巧みの参謀長。
 ブラウンが混じったセミロングの黒髪、ニコニコと笑顔を絶やさぬ可憐で柔和な顔、チャームポイントの泣きぼくろが印象的で、一見すると真帆奈の同級生とは思えないほど大人びている。特に胸の辺りがすっごいすっごい。相方の真帆奈が小柄で華奢な体形をしているので、余計にそう見えてしまうのかもしれない。
 この美少女コンビが並んで町を歩くと非常に目立ので、町内はおろか市内にまでその名前を轟かせる有名コンビなのだ。 
「よろしくね。真帆奈ちゃんに麗ちゃん」
「いえいえ、こちらこそよろしくお願いします」
 麗ちゃんは如才なくペコリとお辞儀した。
 うちの妹はというと、相変わらず、うーっ! と唸り声を上げている。
 実によろしくない展開だ。
「えっと……それでなんだけど、実は今日は東郷さんが、うちで晩ご飯を作ってくれることになりました……はい」
「えええっ! お、お兄ちゃん、それはいったいどういうことなのっ!?」
「ど、どうといわれましても……今言ったとおりなんだけど……」
 真帆奈が、もの凄い剣幕で噛み付いてきた。
「なんでこんなどこの馬の骨ともわからない女が、真帆奈とお兄ちゃんの愛の巣――もががっ!!」
 おかしなことを口走る寸前で、真帆奈の口を塞いだ。
「あいのす?」
 東郷さんが真面目な顔で聞き返してくる。
「ア、アイリスの聞き間違いじゃないかな? ほらっ、韓流ドラマの。TBSでやってたんだけどね」
「ごめんなさい。韓流ドラマはあまり興味がないものだから」
 俺もまったく興味がない。
「んーっ! んーっ!」
 一緒に鼻の穴まで塞いでしまっていたので、真帆奈が真っ赤な顔で窒息しそうになっている。
「あっ、ごめん。大丈夫か?」
「ぷはーっ! はぁ、はぁ、はぁ……、お、お兄ちゃんは真帆奈を殺す気なのっ!」
「ご、ごめんな。ホントに悪かったよ」
 とりあえずご機嫌を取るためにナデナデしてやった。
「うにゃ〜」
 もう機嫌が直った。
 なんと単純な奴だ。
「しつも〜ん」
 麗ちゃんがビシッと挙手した。 
「はい、麗ちゃん……」
「おにーさんと東郷さんは、いったいどういう関係なんですか?」
「そ、そうだよ! いったいどういう関係なのっ!」
 また真帆奈の機嫌が悪くなった。
 忙しい奴だ。
「どういう関係と言われましても……友達だけど……」
 とりあえずペットだのなんだのの話は、決して公にするわけにはいかない。
「でも、ただのお友達だったら、普通、ご飯なんか作りにこないですよね?」
「そうだよ! わざわざ作りになんかこないよっ!」
「そ、そうかなー。意外によくあることだと思うんだけど。ご飯を作ってもらったり作りに行ったり。ほらっ、大勢でご飯食べると美味しいでしょ」
「ないですよ」
「ないよっ!」
 にべもなく中学生コンビに否定された。
「恋人くらいディープな関係になってないと、女の子が男の子の家にご飯なんか作りに来ないですよ」
「そうだよ! 恋人くらいディープに……って、こここ、恋人っっ!? お、お兄ちゃん! 真帆奈という愛すべき妹がいながら他所で女を作るなんて、そんなの許しがたい浮気――もががっ!」
「うわき?」
「い、いわきって言ったんだよ! ほらっ、ドガベンの。花は桜木、男は岩鬼って知らない?」
「私は殿馬くんが好きよ」
 東郷さんって結構アニオタだよな。
「んーっ! んーっ!」
「あっ、ごめんごめん」
「ぷはぁーーっ! はぁ、はぁ、はぁ……、お、お兄ちゃん、本当に真帆奈を殺す気なのっ!?」
 どうせ塞ぐんだったら唇で塞いで! と真帆奈が余計なことを言う。
「乃木くんと真帆奈ちゃんは、本当に仲がいいのね」
 兄妹でじゃれていると思ったのか、東郷さんは楽しげに頬を緩ませている。
 真帆奈はそれが気に入らないらしく、再び、うーっ! と唸り声を上げながら彼女を睨み付けた。
「真帆奈、いいかげんにしなさい。東郷さんに失礼だろ」 
 こうなるのがわかってたから嫌だったんだよな……。
「うー! なんで真帆奈が叱られなきゃいけないの! 失礼なのはこっちのめがね女の方だよ!」
「こらっ、真帆奈!」
「乃木くん、怒らないであげて。真帆奈ちゃんの言う通りよ。勝手に乃木くんの家に来てしまった私が悪いの。真帆奈ちゃんにちゃんと事情を説明するわ」
「えっ、ちょっ、東郷さん!?」
 説明してはいけないことまで説明してしまわないかドキドキだった。
「大丈夫よ。安心して」
 東郷さんは諭すような顔をこちらに向けると、
「実は先日、こういうことがあったの――」
 と、先日にあった出来事を詳細に語り始めた。
 その内容を簡単に説明するとこうだ。
 ある晴れた日の午後、東郷さんが複数のチンピラに絡まれていた。そいつらはえらくガラの悪い連中で、東郷さんはそのまま無理矢理車に乗せられ、どこかに連れて行かれそうになっていた。そんな彼女の絶体絶命のピンチに俺が颯爽と現れた。
「やい、そこのチンピラ! その汚い手をどけやがれッ!」
 俺は一喝すると、あっと言う間にそのチンピラ達をバッタバッタと薙ぎ倒したそうだ。で、東郷さんはもの凄く感謝し、今日はそのお礼のために俺の家にご飯を作りに来た、というまったくありもしない作り話だった。
「そんなことがあったんですか。女の子に乱暴しようとするなんて絶対に許せませんね。おにーさん、お手柄です」
「お兄ちゃん、すごいっ!」
 真帆奈と麗ちゃんは、そんな嘘話を聞いて素直に感嘆している。
 いつまでもこの純粋さを大切にして欲しい。
「いや、まぁ……たいしたことはないよ……ハハハ……」
 仮に俺が話すと誰も信用してくれない与太話だったが、東郷さんが話すと途端に信憑性が増してしまうから不思議だ。
「あの時の乃木くん、本当に格好よかったわ。チンピラは三人……いえ、五人はいたわね。まるで陸奥圓明流の継承者みたいに、あっという間にそのチンピラ供を全員倒してしまったのよ」
 よくもこれだけ簡単に話が作れるもんだな、とまったく舌を巻く思いだった。流石は新進気鋭のエロゲーシナリオライター。シナリオを作ることなどお手のものなのだ。
「だから真帆奈ちゃん、急に押しかけたりして本当にごめんなさいね。でも、どうしても乃木くんに助けてもらったお礼がしたかったのよ。もし乃木くんがいなかったら、今頃私はどこでどうなっていたのかわからないんですもの」
「うー……」
 真帆奈はどう反応していいのか少々困惑気味の様子だ。同じ女の子として東郷さんの気持ちが理解できるのだろう。この話がまったくのフィクションだとういうことは、一先ず置いておくことにして。
「で、でも……ご飯はお兄ちゃんが作るんだから、とーごーさんがわざわざ作りに来なくても……」
「真帆奈ちゃんのことは、いつも乃木くんから聞いているからよく知っているわ。俺には自分の命よりも大切な妹がいるんだって――乃木くん、本当に嬉しそうに真帆奈ちゃんのことを話すのよ」
「と、東郷さん、ちょと待ってよ」
 そんなこと一度も言った覚えはないんだけど……。
「ほ、ほんとっ!? も、もうっ、お兄ちゃんったら……」
 だったらもっと行動で示せばいいのに、と真帆奈がニコニコ顔で、俺の脇腹を肘でゲシゲシと突付いてくる。
「今日だって本当は、真帆奈ちゃんが中華が大好きだから俺の代わりに作ってあげて欲しい、って乃木くんが言ったのよ」
「そうだったのお兄ちゃんっ!? ぜ、全部真帆奈のためだったんだね……」
 もちろんこれも嘘だ。
「今日真帆奈ちゃんと初めて会って、乃木くんが真帆奈ちゃんのことを宝物のように大切にしている理由がよくわかったわ。だって真帆奈ちゃん、凄く可愛いんですもの。こんなに可愛い妹さんがいたら、お兄ちゃんはもうメロメロになっちゃうわよね」
「メ、メロメロっ!!」
「それに乃木くんと真帆奈ちゃんは、本当に信頼し合っている兄妹なんだなって思う。今日、二人を見ててそれを実感したわ」
「し、信頼し合っているっ!!」
 真帆奈は鼻息を荒らげ、必要以上に興奮していく。
「そう、信頼。乃木くんと真帆奈ちゃんからは、普通の兄妹以上の強い絆を感じることができるわ。もう愛し合っていると言っても過言ではないくらい」
「あ、愛し合っているっ!!」
「そう、眩しいくらいの兄妹愛。乃木くんと真帆奈ちゃんは、まさに理想的な兄妹の姿だと思うわ。私は一人っ子だから、二人の関係が本当に羨ましい」
「お、お兄ちゃん! とーごーさん、いい人だよっ!」
 あっさりと哀れな子羊の折伏が完了してしまった。
 根が単純な真帆奈など、百戦錬磨のメガネッ娘にかかれば、文字通り赤子の手を捻るようなものなのだ。
「ありがとう、真帆奈ちゃん。そう言ってもらえると嬉しいわ」
 東郷さんは、一仕事を終えたような涼しい顔で紅茶を啜った。
 まぁこのお二人さんは、結構気が合うんじゃないかと思ってたけどね。だって、『レイプ!&レイプ!&レイプ!』の原作者と信者ですから。本人たちは知らない事実だけど。
「さて、話がまとまったところで。今日の夕食は中華なんですよね? よかったら私もお手伝いさせてもらってもいいですか? 中華料理のコツとか色々と教えて欲しいです」
 中華と聞いて料理人の血が騒ぎ出したのか、麗ちゃんが瞳の奥をメラメラさせながら東郷さんにお願いした。
「俺も教えて欲しいな。中華ってほとんど作ったことないんだよ」
 家庭用のコンロでは、どうしても火力が足りないんだよね。
「いいわよ。一緒に作りましょう。家でも美味しく作れるコツがあるのよ」
 東郷さんは快く快諾してくれた。
「真帆奈もお手伝いするー」
「えー、お前はいいよ」
「なんで真帆奈だけ仲間はずれにするのー!」
「どうせお前は邪魔するだけだろ」
 戦えない者がリングに上がってはいけないのだ。
「邪魔なんかしないよー! そんなの一度だってしたことないよっ!」 
 よくそんな嘘がつけるもんだ。
「いいからお前はここでテレビでも見てなさい。テレビ面白いぞー。水戸黄門やってるぞー」
 東郷さんに迷惑をかけたくないからな。邪魔な人には、ここで地蔵のようにじっとしていてもらおう。
「水戸黄門なんか見ないよっ!」
「乃木くん、そんな意地悪したらダメよ。真帆奈ちゃんにも手伝ってもらえたら嬉しいわ」
「べつに意地悪してるわけじゃないんだけどな……」
「そうだよ! 意地悪だよ! 意地悪!」
「わかったわかった。じゃあ好きにすればいいよ。でも、おかしなことだけは絶対にしないように」
「最初からそう言えばいいんだよ。いっつもそうやって真帆奈を虐待して楽しむんだから」
 でも、お兄ちゃんのそんな歪んだ愛情表現にはもう慣れっこなんだけどね、と真帆奈は頬に手を当て身体をクネクネさせた。
「ふふっ、乃木くんと真帆奈ちゃんは面白いのね」
「そうなんですよ。おにーさんと真帆奈は本当に面白いんですから」
 微妙に同じ種族の匂いがする二人が、こちらを眺めながら微笑んでいた。
 さて、そんなこんなで四名の料理人の夕飯作りが開始された。
 東郷さんの料理の腕前は、お見事の一言だった。
 とにかく手捌きが早いのなんの。次々と料理を完成させては、さっさと洗い物まで済ませてしまう。それでいて麗ちゃんに、中華料理のコツを優しくレクチャーしてあげる余裕まであるのだ。結局のところ俺も麗ちゃんもほとんど手を出す必要がなく、ほとんど東郷さん一人で夕飯を完成させてしまうのであった。
 ちなみにうちの不肖の妹はというと、案の定早々に夕飯作りに飽き、「お兄ちゃん分の補給だー」と俺の背中にくっついたり、つまみ食いを繰り返す始末。やはり予想通り邪魔で仕方がなかった。
「東郷さんって料理が上手いんだね。鉄人陳建一みたいだったよ」
 ちなみにエビリチは、父親の陳建民が創作したらしい。
「本当です。私、尊敬しちゃいます」
「そんなことないわ。これくらい普通よ」
 これで普通とは謙遜も甚だしい。
 みなみに本日のメニューだが。
 大皿に大量に盛りつけられた鳥の唐揚げと海老のチリソース、カリカリに香ばしく揚げられた野菜たっぷりの春巻き、甘酢あんがたっぷりかかったカニ玉、見るからに食欲をそそらせる激辛麻婆豆腐、水餃子が入った特製中華スープ、黄金色に染まった特製焼き飯。そして冷蔵庫には、食後のデザートの杏仁豆腐が冷やされている豪華フルコースだった。
「うにゃー! 美味しそー! 食べていい食べていい!?」
 興奮のあまり目をグルグルさせている真帆奈が吠えた。
「いいわよ、真帆奈ちゃん。いっぱい食べてね」
「やったー! いただきまーす!」
 飢えた野獣のように、真帆奈が焼き飯にがっつく。
 まったく……。
 これではまるで俺がちゃんと餌を与えてないみたいじゃないか。
「ごめんね、東郷さん。はしたない妹で……」
「そんなことないわ。美味しそうに食べてくれると嬉しいわよ。やっぱり誰か食べてくれる人がいると作りがいがあるわね」
 確かにそれは言えてる。俺も真帆奈がいなかったら、わざわざ毎日手の込んだ料理を作ったりしないかもしれない。
「東郷さん、私もいただきますね」
「どうぞ、召し上がれ」
 麗ちゃんがおしとやかにエビチリを頬張った。
 はぁ……。せめて真帆奈もこういうところを見習ってくれればいいのに。おかしなところばかり影響を受けてるからな。
「美味しいです。特このソース、甘辛くて絶品ですね」
「ホントだよー! お兄ちゃんが作るご飯と同じくらいすっごく美味しいよーっ!」
「ふふっ、ありがとう。乃木くんも見てないで早く食べて」
 東郷さんが自然な仕草で、小皿におかずをよそってくれた。
「ありがとう」
 俺は恐縮しながら、鳥の唐揚げをいただくことにした。
「うん、本当だ。すごく美味しいよ」
 外はカラッと中身はジューシーで、まるで王将の宣伝みたいでなんだけどマジで美味い。程良くニンニクと生姜の味が利いているのがなんともいい。今度同じ物を作ることにしよう。
「乃木くんのお口に合って本当に嬉しいわ。沢山食べていっぱい精をつけてね。ふふっ」
「う、うん……」
 なにか意味ありげに聞こえてしまうのは、俺の気のせいなのだろうか?
 ピンポーン。
 インターホンが鳴った。
「あれっ、誰だろう? ちょっと出てくるね」
 美味しい中華に後ろ髪を引かれつつも、俺は玄関へと向かった。
 さて、いったい誰だろうか? こんな時間に人なんてあまり来ないんだけどね。
 ピンポーン。 
 またインターホンが鳴った。
「はいはーい。今開けますよー」
 どうやらお客様は、かなりのせっかちさんのようだ。
 鍵を外して玄関のドアを開けたら、一組の男女が立っていた。
 なんと児玉妹弟だった。
「涼介、来たわよ。これ肉じゃが、お母さんが持ってけって」
 茶髪の幼馴染が、肉じゃがが詰まったタッパをよこしてきた。
「ちゅーっす、涼介先輩。お久しぶりっす」 
 そして、日に焼けたスポーツマン風の男が雫の弟――児玉光だ。
 暫く見ない間にえらい身長が伸びている。ほぼ俺と同じくらいの身長だ。くそっ、中二の分際で生意気な。こいつは姉の雫と同じく昔からスポーツ万能で、現在はサッカー部のエースだそうだ。ちなみに彼は、物心が付いた頃から真帆奈に絶賛片想い中。
「お、お前ら!? なんで来たの?」
「はぁ? 今日、アンタんちに行くってメールで言っといたでしょ」
「あっ……」
 し、しまった! 五月会の行き先を決めるんだった。すっかり忘れてたぞ。ど、どうしよう……。ここで雫と東郷さんを会わせるのは、火の中にニトログリセリンを入れるようなもんだ。なぜだかわからんがこの茶髪の幼馴染は、東郷さんのことになるともの凄い勢いで不機嫌になるからな。
「え、えっと……実はまだ……その、ご、ご飯を食べてなくて……」
「じゃあ食べ終わるまで待つわよ」
「いや、待ってもらうのも悪いと言うかなんと言うか……」
「大丈夫っすよ、涼介先輩。自分らはちゃんと家で飯を食ってきましたから、たかったりしないんで安心してくださいっす」
「いやいや、そんな心配は誰もしてないんだけどな。と、とにかく一旦家に戻ってもらって、都合がよくなったらこちらから連絡するってことでどうでしょうか?」 
「いったいなんの都合が悪いのよ?」
 雫が即答する。
「べ、べつに都合は全然悪くないですよ。ハハハ……」
「たった今、自分で言ったじゃない」
「そ、そうですかね? 言いましたっけ? 言ったかなー? 覚えがないですねー」
 さて、なぜ俺は敬語で話しているのだろうか?
「……なんか怪しいわね」
「あ、怪しいだと! そんなことないだろ! 俺はいたって普通じゃないかッ!」
「アンタ、なんでいきなり逆上してんのよ?」
 雫は猫科の動物のように双眸を光らせ、怪訝な視線を惜しげもなく向けてくる。
 とても怖い。
「姉貴、涼介先輩もこう言ってんだし、また後で出直せばいいんじゃねーの」
 ナイスだ光。そのまま姉ちゃんを連れて帰ってくれ。東郷さんが帰ったらすぐに連絡するから。頼む。がんばれ。
「まぁ、べつにそれでもいいんだけど……ていうか、麗ちゃん、来てるんじゃないの? さっきアンタの家で面白いことが起きてるってメールがあったわよ?」
 麗ちゃんめっ! また余計なことをして! プンプン!
「お、面白いことなんかなにもないよ。ほらっ、きっと麗ちゃんお得意のフランスジョークかなんかじゃないかなー?」
「ふーん……まぁいいわ。本人に確かめてみるから」
 雫はポケットから携帯電話を取り出し、麗ちゃんに電話を掛け出した。
「そ、そんなことしちゃダメーッ!!」
 俺の悲鳴が虚しく町内に木霊した。
「あっ、もしもし麗ちゃん? 今、涼介の家の前にいるんだけど、なんか涼介が都合が悪いとか言ってんのよ。そっちでなんかあったの?」
 麗ちゃん、頼むから空気を読んで上手くごまかしてくれ!
「えっ、お客さん。誰? ……お、女の人!?」
 あわわわわ……。
「えええッ! と、東郷さんが来てるの!? ふーん、そうなんだ……あ、ありがとう、よーくわかったわ」
「雫さん、落ち着いてください。そ、そんなに携帯電話を強く握り締めたら潰れちゃいますから」
 哀れな雫の携帯電話君が、ミシミシと悲痛な声をあげていた。
「はぁ、なに言ってんの!? 私は落ち着いてるわよ……。いたってすっごく冷静よ。明鏡止水の心境だわ」
 八重歯剥き出しの鬼の形相でそんなことを言われても、まったく説得力がなかった。
「アンタ、まさか東郷さんは中に入れて、私達は追い返すなんてことはしないわよね? いくら温厚な私でも流石にそれだけは許せないわよ。絶対に……っ!」
「……はい。どうぞお入りください」
 俺は温厚な幼馴染とその弟を、家の中へと招き入れた。
「こんばんわー」
 で、つい先程までの鬼の形相とは打って変わり、雫は向日葵のような満面の笑顔でみんなに挨拶をした。
 身代わりの早さに心底驚くよ。
「あらっ、児玉さん。こんばんわ」
「雫さんと光くん、こんばんわ」
「しにゅくひゃんとひかにゅやん、ほんはんはー」
「食べながらしゃべるんじゃない」
 栗鼠のように頬を膨らませている真帆奈を注意した。
 栗鼠妹だ。
「真帆奈ちゃん、よかったらこれも食べてね」
「んにゃーーっ!!」
 東郷さんに焼き飯を分けてもらい、真帆奈は抱きつかんばかりに感激している。
「いやー、まさか東郷さんが涼介の家に来てるなんて、本当に驚いたわ」
 雫が東郷さんに向かってにこやかに言った。
「そうかしら。クラスメイトなんだから、べつに驚くようなことじゃないと思うけど。ところでお隣りの人は誰かしら?」
「雫さんの弟の光くんですよ」
 麗ちゃんが代わりに答えた。
「そうなんだ。初めまして、東郷です。乃木くんと児玉さんとは同じクラスなのよ」
「は、初めまして、光っす。ちゅ、中学ニ年っす」 
「アンタ、なに緊張してんのよ?」
「し、してねーよ!」
 そんな強がりを言いながらも、光は終始直立不動だった。
 光は可愛い女の子が苦手なのだ。結構イケメンなのにな。特に麗ちゃんは、昔からこいつの天敵。力関係をわかりやすく説明すると、
 麗ちゃん>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>決して超えられない壁>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>光。
 こんな感じだ。
「ふーん、まぁいいわ。ところで東郷さん、今日はどういったご要件で涼介の家に来てるのかな?」
「乃木くんのご両親がいなくて大変だって聞いたから、今日は二人のためにご飯を作りに来たのよ」
「ご飯……。も、もしかして、これ作ったの東郷さんなの……?」
 雫は、テーブルに並べられた中華料理の数々を見て唖然としている。 
「そうだよ。俺と麗ちゃんも少しは手伝ったけど、ほとんど東郷さん一人で作ったようなもんだな」
「一人で……」
 なぜだかわからないが、雫は唇を噛み締めて黙り込む。
「そうだ。よかったら二人も一緒に食べれば? まだ食べれるだろ。めちゃくちゃ美味しいんだから」
「マジでいいんっすか!」
 たかるつもりはないとか言ってくせに、光は食べる気満々の様子だ。
「食え食え。俺達だけじゃ多分食べきれないと思ってたんだよ。あっ、それと雫が肉じゃが持って来てくれから、これもみんなで食べてくれ」
「わーい! 雫ちゃんちの肉じゃがだー!」
 真帆奈は、雫のおばさんが作る肉じゃがが大好物なのだ。
 まぁ、俺も好きだけどな。
「俺の分も残しといてよね」
「あらっ、美味しそうな肉じゃがね。この肉じゃが、もしかして児玉さんが作ったのかしら?」
「うっ……」
「東郷さん、馬鹿なことを言っちゃーいけないよ。雫がこんな美味しい肉じゃがなんか作れるわけないよ。雫に作れる料理と言ったら、せいぜいカップラーメンくらいのもんなんだから」
 カッカッカと黄門様のように笑う。
 ギロリッ!!
「おわっ!」
 雫の双眸から、明らかに殺意が込められたレーザービームがこちらに向けて発射した。
まるでディオの目ビームみたいだ。
 なんでよ? 本当のことを言っただけなのに……。
「さ、さーて、食べよー食べよー」
 とりあえず無視して食べることにした。非常に食べづらい
「光くんもそんなところに突っ立ってないで、こっちに来て座って食べたら」
 そう言って麗ちゃんは、わざわざ自分と真帆奈の間に光を招く。
「あ、秋山……い、いや、でも……その……」
「どうしたの? 真帆奈だって待ってわよ。早く座ったら。ねっ、真帆奈」
「そうだよ、光ちゃん。早く座って食べなよー。美味しいよー」
「そ、それならお言葉に甘えて……」
 光はロボットのような足取りで、真帆奈と麗ちゃんの間に座った。
「そう言えば光ちゃんと会うの久しぶりだね。元気だったー?」
「おおお、俺か!? 俺はずっと元気だったぞ! の、乃木は元気だったかっ!?」
「真帆奈も元気だよー。お兄ちゃんがいれば真帆奈はいつだって元気百倍なのだ」
「そ、そうか! それはよかったな!」
「光くんだけクラスが違うから、学校でもあまり会わないわよね。でも、なぜかしらね? 
休み時間になると光くん、誰かさんに見つからないように私達のクラスの前まで来て教室の中を覗いてたりするわよね。あれはいったいなにが目的なのかしら?」
「秋山! ど、どうしてそのことを!?」
「そうなの? 光ちゃん、うちのクラスになにか用事でもあるの?」
「そ、そ、そ、それは、その……」
 光は、ガマの油が取れそうなほど汗だくになっている。
「来てるわよね。ほぼ毎日」
 麗ちゃんは、実にご機嫌の様子だ。いじめる相手が来て嬉しくて堪らないのだろう。
「アンタ、学校でそんなことしてんの? いいかげんにしときなさいよね……」
 呆れた顔で姉が弟を諭す。
「まぁまぁ、いいじゃないか。光にも人に言えない事情ってのがあるんだよ。あまり追求するのはやめてあげようよ」
 あまりにも哀れなので、光に助け舟を出してやった。
 が、麗ちゃんがその船をすかさず転覆させる。
「そうですね。光くんにも色々と事情があるんでしょうね。まぁそれはいいとしても、秋山や乃木なんて呼び方はなんだか寂しいわ。光くんには昔みたいに、真帆奈ちゃんや麗ちゃんって、もっとフレンドリーに呼んで欲しいわ。ねっ、真帆奈」 
「そうだよ、光ちゃん。もっと無礼講でいこうよー」
 児玉家の肉じゃがを頬張りながら真帆奈が言った。
「ぐはっ!!」
 光は悶絶した。
「あれれ? 光ちゃん、どうしたのー?」
 うちの妹には、思春期男子の微妙な心境の変化など想像すらできないのだろう。
「いいわね。若いって」
 色々な事情をすぐに悟ったらしく、東郷さんが羨ましそうに呟いた。
 いやいや、あなたも充分に若いですから。
「お、美味しい……」
 雫が鳥の唐揚げを一口摘み、なにやらショックを受けている。
「ありがとう。児玉さんが持ってきてくれた肉じゃがもとても美味しわよ」
 東郷さんは余裕の笑みだ。
「ク……ッ! と、ところで東郷さんは、いつから涼介なんかとこんなに仲良くなってたのかな? なんか今日の昼休みも二人でどこかに行ってたみたいだし。クラスメイトだからって、普通は男子の家にご飯なんか作りに来ないわよね?」
「それはですね。おにーさんのお手柄のおかげなんですよ」
「お手柄?」
「はい。実はですね――」
 麗ちゃんが身振り手振りを交え、先程東郷さんが披露した嘘話に更に大幅なアレンジを加えて説明した。
「えええッ! モヒカン頭の男が五人も!? 涼介が……まさか……?」
「麗ちゃんが今話した通りよ」
 東郷さんは自信満々で肯定する。
「いやっ、違うから! 少なくともモヒカン男が出てこないし、俺の左腕にサイコガンは仕込まれてないですからッ!」
 このまま話を放置しておくと、いずれ七万人の兵士に俺が一人で突撃したことになってしまうだろう。
「あらっ、そうだったからしら。ふふっ」
「えっ、そうでしたっけ。ふふっ」
 メガネッ娘と小悪魔は、この状況をかなり楽しんでいるようだ。実に嫌なコンビだ。絶対に勝ち目がないからな。
「じゃあ、それ以外は全部本当の話なわけ?」
 茶髪の幼馴染は、とてもじゃないが信じられない、といった表情だ。
 そうだろうな。これが普通の反応だと思うよ。
「う、うん……本当というかなんというか……むにゃむにゃ……」
「もちろん本当の話よ。そんなことで嘘をつく理由がないわ。今日はその時のお礼なのよ。これからも私は、乃木くんの家にご飯を作りに来させてもらうつもりよ」
「こ、これからも!」
「そうよ。しかも、かなり頻繁になるかもしれないわ」
「キッ!!」
「……なんで俺を睨むの?」
 しかし、東郷さんがこれからもご飯を作りに来るのは初耳だな。いつの間に決まったのだろうか?
「と、東郷さんがこんなこと言ってるけど、真帆奈ちゃんはそれでいいのかなー?」
「ほよ? 真帆奈はお兄ちゃんがいいならべつに構わないよ」
「えっ、いいんだ……」 
「とーごーさんは、兄妹の悠久の愛についての一定の理解があるよ。それにご飯も美味しいしねー」
「ありがとう、真帆奈ちゃん。ほらっ、まだ残ってるからいっぱい食べてね」
 東郷さんは、真帆奈の空になっていたお椀に水餃子入りの中華スープを注いだ。
「うにゃーっ!!」
 大喜びの真帆奈。
 どうやら東郷さんは、完全にうちの妹の餌付けに成功したようだ。
「キッ!!」
「……だからなんで俺を睨むのよ?」
「そんな、かなり頻繁にだなんて、そんなの絶対にありえないわよ……。だいたい助けてもらったからって、いちいちご飯なんか作りに来なくってもいいのに……」
 雫が小声でブツブツと言っているが、よく聞き取れない。
「なんだって?」
「な、なんでもないわよ、バカッ!」
 怒られた。なんで……?
「と、とにかく私は、こういうことは色々とまずいと思うのよね」
「あらっ、いったいなにがまずいのかしら?」
「だって今は涼介のおじさんとおばさんは留守なんだし、あんまり勝手にお邪魔したりするのはどうなのかしらね?」
「もちろんご両親が帰って来たら、きちんとご挨拶するつもりよ。いつも乃木くんにお世話になってますって」
「うちの親はそういうことは全然気にしないぞ。そんなの雫も知ってるだろ?」
「ちょっとアンタは黙ってなさいよッ!!」
 そんな横暴な。うちの家のことなのに……。
「と、とにかく。年頃の女の子が男の家に頻繁に出入りするなんて、そんなのよくないと思うのよ。そ、その……もしも、仮に万が一……ま、ま、間違いが起こらないとも限らないんだし。だいたい学校で変な噂が立ったりしたら東郷さんだって困るでしょ? 今日だってみんなに色々とおかしな噂をされてたんだから。まぁ、私はそんな噂は全然信じてないんだけどねッ!」
「私はなにを言われてもべつに問題はないんだけど、乃木くんは困るみたいだから、これから学校ではちゃんと気を付けるつもりよ。それに年頃の女の子といったら、児玉さんだってそうでしょう」
「わ、私はいいのよ! 幼馴染なんだし家もお向かいなんだから! む、昔はお泊りだってしたこともあるんだからねッ! それにおばさんからも、涼介と真帆奈ちゃんのことをくれぐれもよろしく頼むわね、ってお願いされてるのよね。真帆奈ちゃんはともかく涼介のことなんかべつに私はどうでもいいんだけど、誰かさんと違って私はお願いされちゃってるからなー。しょうがないわよね。あー、困った困った」
 勝ち誇ったドヤ顔で困ってみせる雫。
 東郷さんのメガネのレンズが、蛍光灯の光で反射してギラリと光った。
「児玉さんって部活が忙しいんでしょう? そのうえ乃木くんと真帆奈ちゃんの面倒を見るのは大変だと思うの。だから、これからは私に任せてもらって大丈夫よ。ご両親が帰ってくるまで、私ができるかぎり二人のフォローをさせてもらうわ。料理以外にも家事全般は人並みにこなせるつもりだから、誰かさんと違って色々と力になれると思うのよね」
 誰かさんと違ってね、ふふふ、ともう一度念を押してから、東郷さんは眼鏡をすちゃっと整えた
「なっ! ウギギギ……と、東郷さん、そんなに無理しないでいいんじゃないかな」
「なにも無理はしてわよ。これは私が好きでしてることなんですから」
 東郷さんも雫も終始にこやかだが、二人の間では、バチバチと見えない火花が桜のように散っていた。
「あの……なんでそんなに不穏な空気が流れてるの? 二人とももっと冷静に……」
「涼介は黙っててッ!」
「乃木くんは黙ってて頂戴!」
「はい……」
 これだもんな。どちらも人の話をまったく聞いてくれない人達だから。この家での俺の発言権は異様に低いのだ。
 助けを求めて周りを見渡してみたが、真帆奈は我関せず胃袋の中に中華料理を放り込んでいる真っ最中。光も隣の真帆奈を意識しつつヤケ食いの様子。で、麗ちゃんと視線が合った。パチクリとウインクされてしまった。
「まぁまぁ、雫さん。ご飯を作りに来るくらいだったらべつにいいじゃないですか」
 どうやら仲裁に乗り出してくれたようだ。
「ちょっと、麗ちゃんまでなにを言うのよ」
「真帆奈だっているんだし、私もできる限り邪魔――じゃなくてお手伝いするようにしますから、間違いなんて起こりようがないですよ」
「で、でも……一緒にいる時間が長くなると……」
 麗ちゃんが雫の耳元でゴニョゴニョやり始めた。
「いえいえ、家で会う方がまだましですよ。これでもしも、おにーさんと東郷さんが外で会うようになったら、それこそ間違いの一つや二つなんて簡単に起きてしまいますよ」
「一つや二つ!?」
「はい。下手したら三つも四つもあるかもしれません……」
 雫が随分と驚いているようだが、麗ちゃんがなにを言っているのかまではよく聞こえない。
「東郷さん、可愛い顔して結構やり手っぽいですし。ですから……で、……の方が…………いいと思うんですよ」
「そ、そ、そうね。そう言われると、その方がまだましよね……。わ、わかったわ」
 どうやら密談が終わったようだ。
「おほんっ。わかったわ。涼介と真帆奈ちゃんのおばさんから面倒を頼まれてる幼馴染として、ほんのたまーにならご飯を作りに来ることを許可します」
 そんな許可が必要だったのか。雫にそんな権限があったとは、今までまったく知らなかったよ。
「ただし、その時は私も同席するから。そうじゃなければ認めることはできないわ。ちゃんと麗ちゃんに報告してもらうんだから、私に内緒で来たって絶対に駄目なんだから。東郷さん、わかってもらえたかしら?」
「それは私が決めることじゃないわ。乃木くんが決めて」
「えっ、俺が?」
 なんか嫌な決定を振られちゃったな。でも、これで丸く収まるんならそれでいいかな。もし拒否したら後で茶髪の人が怖いしな。
「わかった。じゃあそういうことにしようか。つーか、雫はそれで大丈夫なのか。部活が忙しいんじゃないの?」
「大丈夫よそれくらい。どんなに忙しかっても必ず来るから」
「そうか……」
 凄い執念だな。いったいなにが彼女をここまで駆り立たせるのだろうか。
 というわけで難しい話はいちおう無事に解決し、後は賑やかな夕食会が進んだ。テーブルの上に並べられた大量の中華料理は、瞬く間に男女六人の胃袋の中へと収まり、俺達に残された物は、冷蔵庫の中の杏仁豆腐だけとなった。
「うにゃー、美味しかったー。お腹いっぱいでもう食べられないよー」
 一人で軽く三人前を平らげた真帆奈が、畳の上に大の字になりながら呻いた。
 まったく。行儀の悪い奴だ。
「なんだ。じゃあデザートはいいか?」
「なに言ってるの。デザートとお兄ちゃんはべつ腹だよー」
 意味がわからん。
「そんな食っちゃ寝ばっかりしてると、いずれ三段腹になるぞ」
「ならないよっ! なんてことを言うの!」
「本当に美味しかったですよ。ご馳走様でした、東郷さん」
「ま、まぁ、確かに美味しかったわね……」
「いや、マジで美味かったっす。これなら家で食わないで来ればよかったっす」
 光が真剣に悔やんでいる。
「どういたしまして。やっぱり大勢で食事するのは楽しいわね。杏仁豆腐も食べてね」
 東郷さんが、キッチンから杏仁豆腐を持って来た。
「やったー。デザートだー」
「これも東郷さんが作ったの? 買ってきたんじゃなくて?」
 雫は、小皿に入った杏仁豆腐をマジマジと見詰めている。
「そうだよ。器用なもんだろう」
 プルプルとした白乳の宝石と、色鮮やかな果物達との見事なコラボレーション。言われなければ、本当に市販の物かと間違えてしまうことだろう。
「いっただっきまーす。……んにゃっ! 美味しいー!」
「俺もいただきます。んっ、本当だ。凄く美味しいよ」
 舌の上でとろける食感と濃厚な甘さ。そして果物の風味。口内に残った中華料理の独特の油が、綺麗に灌がれていくようだ。
「本当に美味しいですよ」
「マジで美味いっす」
「う、うーん、美味しいわね……」
「ふふっ、ありがとう。みんなに歓んでもらえて嬉しいわ。今日は本当に乃木くんの家に来てよかった。次に来る時はなにがいいかしら? 乃木くんは、なにか食べたい物でもある?」
 次か……来るのはもう決まってるんだね。
「次も作ってもらうのはなんか悪いから、今度は俺が作って東郷さんにご馳走するよ」
「えっ、いいのかしら?」
「いいよ。遠慮しないで。大した物は作れないけどね。今日のお礼ということで」
「東郷さんのご飯も美味しかったですけど、おにーさんのご飯もそれと同じくらい美味しいですよ」
「そうだよー。お兄ちゃんのご飯は世界一だよ。なぜならば、お米の一粒一粒に真帆奈への愛情がたーっぷりと詰まってるんだから」
 えっへん、と真帆奈は僅かに隆起した胸を張る。
 そんな面倒くさいことをした覚えはない。
「それは楽しみね。男の子の手料理を食べるなんて、生まれて初めての経験よ」
「ウギギギ……私だってまだ食べたことないのに……」
 雫が隣で、キリギリスみたいに歯ぎしりしている。
「そ、そういえばもうこんな時間だけど、東郷さんは帰らなくても大丈夫なのかしら? そろそろご両親が心配してると思うんだけど」
「うちは放任主義だから大丈夫よ。それに二人とも仕事をしてるから、この時間だとまだ家には帰ってないわ」
「そうなんだ……」
「児玉さんは帰らなくても大丈夫なの?」
「私は向かいだからいつでも帰れるし……って、そうだ! そんなことよりも、五月会の行き先を決めないといけなかったんだわ。すっかりなにをしに来たのか忘れてたわよ」
「あれれー、温泉に決まったんじゃなかったのー?」
「それなんだけど、今からだと宿が取れなくて駄目っぽいんだわ。日帰りなら問題ないんだけどな」
「えー、せっかくお兄ちゃんとお泊りするの楽しみにしてたのに」
「それは残念ですね。せっかく光くんも真帆奈とお泊りするの楽しみにしてたのにね。温泉と言ったら覗きイベントがお約束だぜ! グヘヘヘ……ってね」
「そ、そんなこと言ってねーから!」
 麗ちゃんが、また光をチクチクやり始める。
「ところで五月会ってなんのことなのかしら?」
 なにも知らない東郷さんに説明してあげた。
 すると、意外な事実が発覚した。
「みんな五月生まれだなんて凄い偶然ね。実は私も五月生まれなのよ」
「マジで!? 何日なの?」
「五月十八日よ」
「一日違いだ。俺は十九日だよ」
「知ってるわよ」
「えっ、なんで知ってるの……?」
「ふふっ、それは企業秘密」
 なんか嫌な企業だな。
「私の方が一日だけお姉さんね」
 東郷さんって、お姉さんというよりもお姉さまって感じだよな。もしも彼女がリリアン女学院に入学していたら、ロサ・キネンシスと呼ばれて何人も妹をはべらしていたに違いない。
「チッ。アンタ、なに鼻の下伸ばしてんのよ! いやらしいッ! 私は五月十日生まれよ! アンタよりも九日もお姉さんなんだからねッ!」
 ガーッと噛み付いてくる雫さん。
「いや、知ってるから……」
 この人は、さしずめロサ・フェティダだな。場合によっては、東郷さんよりも人気者になれるかもしれない。進む道を間違えたな。
「真帆奈は子供の日だよー」
「だからいつまで経っても子供なんだな」
「お兄ちゃん、なにを言ってるの! 真帆奈はもうとっくに大人だよ! 赤ちゃんだっていつでも産めちゃうんだから!」
「ブゴォッッ!! ゴホッ! ゴホォッ!!」
 光が杏仁豆腐を気管に入れて往生している。
「ダメよ真帆奈、そんな過激なことを言ったら。光くんには刺激が強すぎるわ」
「ごめんね、光ちゃん。だいじょーぶ?」
「だ……大丈夫だ……ゴホッゴホッ!!」
「まったく。なにやってんだか」
 実のお姉さまもやや呆れモード。
「それで、温泉に行くつもりだったのかしら?」
 東郷さんが訊いてきた。
「思いつきで決めたから宿が取れなくてね。それで今日は、みんなでどうするか考えようかと思ってたんだよね」
「うー、真帆奈は温泉にお泊りがいいよー」
「だから宿が取れないんだって。またべつの機会にしてもらうしかないよ」
「麗ちゃん、どうしよう? せっかく考えてたお兄ちゃん補完計画が実行できなくなっちゃったよー」
「いったいなんの計画なのッ!?」
 旅先でおかしなことをするのは本当にやめて欲しい。
「それは今度、じっくりと教えてあげます。楽しみにしててくださいね、おにーさん。ふふっ」
 麗ちゃんは、とても中学生とは思えない蠱惑な笑みを零した。
「アンタ達、相変わらず仲いいわね」
 雫の白い眼差しが痛い。
「べ、べつにこれくらい普通だろ」
「あの、ちょっといいかしら。もし温泉に行きたいのだったら、私にいい考えがあるんだけれど」
「うにゅ、いい考え? とーごーさん、いい考えってなにー?」
 真帆奈が餌に食いついた。
「実は昔から私の家族が懇意にしている温泉旅館があるのだけれど、そこなら色々と融通が利くと思うから、今からでも部屋の予約が取れると思うのよ」
「えー、ホントにー!?」
「もちろん本当よ。私に任せてもらえれば大丈夫だと思うわ」
「やったー! お兄ちゃんと一緒に温泉だー!」
「よかったね、真帆奈」
 真帆奈と麗ちゃんがハイタッチしている。
 やっぱり若いっていいかも。
「でもいいのかな? そんなことお願いしちゃっても」
「いいのよ。乃木くん達のお役に立てるなら嬉しいわ」
 いや、旅館の手配だけやらせて、「はい、ありがとう」だけではまずいだろう。やはり東郷さんも温泉旅行に誘った方がいいと思うんだけど、なんかもの凄く危険な香りがするんだよな……。
「えっと……東郷さんもよかったら一緒に旅行こない? もちろん不都合がなければなんだけど……」
「な、なに言ってんのよ、アンタッ!」
 雫が荒々しく声を張り上げた。
「えっ、なにが?」
「なにがじゃないわよ! なにどさくさに紛れて東郷さんを旅行に誘ってんのよ! いやらしいッ!」
 二人だけで行くんじゃないんだから、べつにいやらしくはないだろ。
「そんなこと言ったって、東郷さんに旅館の手配だけしてもらうのはなんか悪いだろ」
「そ、それはそうだけど……でも、東郷さんは私達とは無関係なんだし……」
「児玉さんの言うとおりよ。無関係の私がお邪魔しちゃうのはなんだか悪いわ。だから、乃木くん達だけで楽しんできて」
 ほとんど脅迫的に俺の家にお邪魔しに来た人の台詞とは思えなかった。
「えー、とーごーさんも一緒に温泉に行こうよー」
「そうですよ。東郷さんもぜひ一緒に来て欲しいです。その方が色々と面白いことが――いえ、楽しそうですから」
「真帆奈ちゃんと麗ちゃん……、そう言ってくれると本当に嬉しいわ。でも、ごめんなさいね。同じ五月生まれなのに、無関係の私が一緒に旅行に行くのはダメだって児玉さんが言い張るから……」
 東郷さんは沈んだ表情で、ことさら無関係の部分を強調する。
「姉貴、意地悪すんなよ。東郷先輩がかわいそうじゃねーか」
「うっ……、な、なんなの、この私だけが悪者みたいな展開は……!?」
「ちょっと待って。なにも考えずにでしゃばってしまった私が全部悪いのよ。お願いだから児玉さんを責めないであげて」
 東郷さんの健気な一言で、全員の冷たい視線が雫に集中する。
「な、なによ!? 私はべつに悪意があって言ってるわけじゃないわよ! そ、その……と、東郷さんにだって色々と予定があるんじゃないかと思っただけなんだから!」
「予定は特にないわよ」
 あっさりと否定する東郷さん。
「……だ、だったら、東郷さんの好きにすればいいんじゃないかしら……」
「えっ、本当にいいの、児玉さん? 私なんかが一緒に旅行について行っても大丈夫なの?」
「だ、だから、好きにすればいいって言ってるじゃない!」
 雫は唇を尖らせ、納得できないがやもえないといったご様子だ。
「どうやら児玉さんにも納得してもらえたようだし、お言葉に甘えて私も一緒に温泉に行かせてもらうことにするわ。よろしくお願いね」
 東郷さんは艶やかな流し目をこちらに向けて微笑した。
「よ、よろしく……」
「よろしくー」
「よかったですね、東郷さん」
「こちらこそよろしくお願いしますっす」
 これで宿の件が片付いてしまった。
 ゴールデンウィークは、このメンバーで温泉旅行決定だ。
 でも、まさか東郷さんと一緒に旅行に行くことになるなんて、昨日まではまったく想像もできないことだよな。あのエロ手帳を偶然に拾わなければ、おそらくこんなことにはなってなかっただろう。人生ってエロゲーみたいに、一つの選択肢で変わってしまうもんなんだよね。しみじみと実感するよ。
「真帆奈ちゃん、よかったら私の杏仁豆腐も食べて」
「えっ! いいのー!?」
「いいわよ。遠慮しないでね」
「やったー! とーごーさん、好きー」
「東郷さん、あんまり甘やかさないで。こいつはバキュムカーみたいにあるだけ食べるからキリないよ」
「ごめなさいね。でも真帆奈ちゃん、美味しそうに食べてくれるからつい嬉しくなっちゃって」 
「食べる子は育つんだよ。真帆奈のおっぱいだって、もうすぐ麗ちゃんよりもおっきくなるんだからね。そしたらお兄ちゃんをギャフンと言わせてやるんだからー」
 なぜ妹の胸が大きくなったら、俺がギャフンと言わなければならないのか。そもそもそんな非現実的なことはありえないしな。なんせ麗ちゃんの胸部の最新兵器は、現時点で東郷さんが装備する最強兵器に僅差で迫りつつあるのだ。中学生なのに恐るべし技術革新だ。
「ゴホッ! ゴホッ! ゴホッ!」
 また光がむせている。
 もう放っておこう。
「それで、いつから旅行に行くのかしら?」
「ああ……決めてなかったな。何日から行こうか?」
「あっ、それなんだけど。私、部活の合宿が入っちゃってさ。できればゴールデンウィークの後半にしてもらえれば助かるんだけど」
「……じ、自分も練習試合があるんで後半の方が助かるっす。ゴホッ、ゴホッ……迷惑かけて申し訳ないっす」
 部活組は大変だな。
「真帆奈はいつでも行けるよー」
 お前が暇なのは知ってるから。
「んじゃ、そういうことで。それで大丈夫かな、東郷さん?」
「わかったわ。それで旅館の方に頼んでみるわね」
 頼りになるメガネさんだな。
「ところなんですけど、東郷さんが懇意にしている温泉旅館ってどんな所なんですか?」
 麗ちゃんが訊いた。
「老舗の温泉旅館でね。とてもいい所よ。きっとみんなも気に入ってくれると思うわ」
「露天風呂はあるのー? 混浴はできるー?」
「露天風呂はあるわよ。混浴は、水着を着たらたぶんできると思うわ」
「お兄ちゃん、聞いた!? Ko! Nn! Yo! Ku! だよ! 兄妹水入らずで裸の付き合いだよー!」
 なんでローマ字で言うんだ?
「お前、話を聞いてなかったのか? 水着を着たらって言ってるだろ」
「堅いことは言いっこなしなんだよ。はぁはぁ……」
 なにやらよからぬ妄想をしているのか、真帆奈の息使いがエロ荒々しい。
「こここ、混浴……っ! ブ、ブゴォッ!!」
 光が漫画みたいに鼻血を出して倒れ込んだ。
「あらら、光ちゃん、だいじょーぶ!?」
「まったく、光くんはしょうがないわね……」
 これを使って、と東郷さんがティッシュを差し出している。
 これではいつまで経っても光の恋が成就することはないな、とそんなことを思いながら一騒ぎを眺めていると、雫に太股をギューッと抓られてしまった。
「痛ッ! ……なんで抓るの?」
「知らないわよ、バカッ。フンッだ」
 麗しの幼馴染様がなぜこのように御機嫌ナナメなのか、さっぱり理解できない春の夜であった。


「送ってくれてありがとう、乃木くん」
「いや、女の子を送るのは当たり前のことだから」
 俺達は、もよりの八島駅まで来ていた。
 東郷さんが帰るというので、俺が駅まで送ることにしたのだ。
 で、道すがらにでもペットの件について色々と確認しておこうと思っていただが、
「児玉さんも、送ってくれてありがとう」
「いいのよ。気にしないで」
 と、なぜか雫まで一緒について来てしまったのであった。
「涼介一人だけだったらなんか頼りないでしょ。昔っからポケポケしてるから、やっぱり私が付いててあげないとダメッつーかなんっつーかねー」
「悪かったね。ポケポケしてて」
「悪いとは言ってないわよ。まぁ、そこがアンタのいい所でもあるわけなんだから、べつに気にしなくってもいいんじゃない。腐れ縁なんだし、これからも私が面倒みてあげるわよ。感謝しなさいよねっ」
 雫は気持ち悪くらいハイテンションだった。
「あっ、そういえばあの時のこと覚えてる? 小学校の遠足登山での遭難事件」
「ちょっ、なんでそんな話ばっかりするのよ!」
 まったく。忌まわしい過去ばっかり引っ張り出してきやがって。
「今、思い出しても傑作よね。あの時も私がいなかったら、いったいアンタはどうなってたことやら。アンタ、本当に私の家の方角に足を向けて寝れないわよ」
 バシバシ背中を叩いてくる茶髪の幼馴染。
 結構痛い。
 星座の話をしている時までは、借りてきた猫のように大人しかったのに、なにを思ったのか昔話をするようになってから急に元気になり出した。
「児玉さん、乃木くんの子供の頃の話、面白かったわ」
「そう? なんだったらまたいつでも話してあげるわよ。まぁ、付き合いが長いからこういう話には事欠かないしね。まだまだいっぱいあるわよ」
 クククといやらしく笑う茶髪の幼馴染。
 対する東郷さんは、いつもの優等生スマイルを崩さない。
 で、なぜか居心地がもの凄く悪い俺。
 まるでこの空間だけ気温が氷点下まで下がっているようだ。
「あ、あの、東郷さん。そろそろ電車が来ちゃうよ」
「そうね。それじゃあまた明日ね」
「うん。さよなら」
「あっ、そうだわ。大切なことを忘れてたわ。乃木……涼介くん、ちょっといいかしら」
「えっ、な、なに?」
 東郷さんが初めて俺のことをファーストネームを呼んだ。
 正直、かなりドキッとした。
「りょ、涼介くん!? ウ、ウギギギ……」
 で、また雫が隣でキリキリやり始めた。
 この人、いったいなんなんだろうね?
「今日の昼休みに言った私の告白は、ちゃんと覚えてるわよね」
 もちろん忘れるはずがない。
 俺は海賊王になる! 以上の衝撃の告白だったからな。
「こここ、告白ッ!?」
 しかし、隣の茶髪の人がいちいちうるさいな。
「う、うん……覚えてるけど……」
「そう。よかった」
 刹那、東郷さんは蝶が舞うようにひらりと接近して来、俺の上着のポケットに手を入れて耳元で囁いた。
「これから私は、あなただけの忠実な雌犬よ。だから、しっかりと可愛がってね」
「ちょっ、と、東郷さん!?」
「それじゃあ、おやすみなさい。いい夢を見てね。ふふっ」
 緩やかにエアウェーブした長い黒髪を翻すと、東郷さんはモデルのような足取りで駅に向かって歩いて行った。
 耳朶に残った彼女の吐息の微熱がくすぐったく、早鐘を打つ胸の鼓動が制御できない。
 俺の理解の範疇を超えていた。
 というか謎だ。
 あなたは、なぜそれほどまでに犬にこだわるのでしょうか……?
 そういえば、身近に奴隷になるとか言った人もいたっけな。その人に聞いてみれば、そのあたりの歪んだ女の子の願望が理解できるかもしれない。……怖くて聞けないけど。
 上着のポケットを確かめてみると、なにか入っていた。
 どうやら東郷さんが近づいて来た時に忍び込ませたようだ。なんだろう。プレゼントだろうか? 取り出して確認してみたらインド人も吃驚。
 それは、薔薇の絵柄とsweetのロゴが散りばめられた薄いピンク色をした布地。
 あれっ? これってどこかで見たような気が……えっ、ま、ま、まさかッ!!
 脳内ハードディスクに保管されている画像と完全に一致。
「と、東郷さんッ!!」
 あまりの衝撃的なプレゼント品に、思わず駅の改札を通り抜けようとしていた彼女を呼び止めてしまった。
 だってそうだろう。
 帰り際にまだほんのりと温もりが残ったパンツを手渡されたら、誰だった取り乱してしまうはずだ。いやいや、待てよ……。つーことは、もしかして今の東郷さんは、ノ、ノーパンなのでは!?
 東郷さんはこちらを向いて、優雅に手を振っていらっしゃる。
 その姿は、どこからどう見ても良家のお嬢様にしか見えず、こんな可憐な彼女が、実はエロゲーシナリオライターで雌犬でノーパンだと気付く人がいたとしたら、それは人知を超越した何者かだろう。
 そのまま東郷さんは、駅の中へと入って行った。
 ……このパンツをどうしたらいいのよ? そもそも目的がさっぱりわからないから。一言もパンツが欲しいとか言った覚えはないんだけどな。俺はそんな物欲しそうな顔をして、東郷さんのパンツを眺めてたのだろうか……?
「涼介ッ!!」
「のわっ!」
 雫が獣のように掴み掛かってきた。
「こ、こ、こ、告白っていったいなんのことなの!? 私はなにも聞いてないわよ! なにを告白されたのか全部話しなさい!」
「く、苦しい……ギブギブ……」
 襟元を締め上げられているので息ができない。
「なに黙ってんのよ! 私はアンタよりも九日もお姉さんなのよ! さっさと白状しろーッ!!」 
 死ぬ! 本当に死んじゃうよ!
 一瞬、頭の中にどこかの川のような風景が見えたが、最後の力を振り絞ってなんとか拘束から逃れることができた。
「はぁあああっ! お前は、バ、バカかッ!! そんなことしたらしゃべれないだろ!」
 つーか、マジでやばかったから!
「なによ! 全部、アンタが悪いんでしょ! だいたい……んっ!? ちょ、ちょっと待って……。アンタ、それ……いったい手になに持ってんのよ?」
 し、しまった! 俺の大切なお宝が、一番見つかってはいけない人に見つかってしまった!
「えっ、なんのこと? 俺はなにも持ってないけど……??」 
 咄嗟に東郷さんのパンツをポケットの中に隠した。
「はぁ!? 今、なにか布切れみたいなの持ってたでしょ。隠してないでさっさと見せなさいよ」
「いや、だから俺はなにも隠してないから……」
 幼馴染のこめかみにビシッと血管が浮き出したのと同時に、彼女の茶髪がゆらゆら揺られながらスーパサイヤ人のように逆立っていく。
「さっさと見せろって言ってんのよーッ!!」
 で、ついに大爆発した雫が、再び猛獣のように襲いかかってきた。
「ひいぃぃぃぃッ!」
 俺は紙一重でその攻撃を回避すると、そのまま脱兎のごとく明日に向かって逃亡した。
「ゴラァァーーッ!! 逃げるなーッ! 待たないと後で酷いわよ!」
 もちろん待つわけにはいかない。もしポケットの中の物が見つかってしまえば、俺は明日の太陽を拝むことができないのだから。もう28週後の冒頭の親父みたいな心境だ。
「お前は待っても必ず酷いことをするはず! つーか、暴力は反対ですからッ!!」
「うっっさいッ!! アンタは黙って私の言うとおりにしてればいいのよ!」
 なんというジャイアニズムだ。ううっ、なんで俺がこんな目に合わなきゃならないんだ。
 こうして命がけのミッドナイトランが始まった。
 脳筋体力馬鹿を相手にして、いったいどこまで逃げ切れるだろうか? 頭上を見上げると、北斗七星の傍らで輝く蒼い星が見えた。なんと不吉な……。
「待てって言ってんでしょうがッ! バカ涼介ーッ!!」
 怒鳴り声を森閑とする町内に轟かせながら、雫が後方から猛進してくる。
 なぜだかわからないが、俺はお守りのように東郷さんのパンツを握り締めていた。
「あばよー。とっつぁーん」
 天敵との距離は僅かニ馬身差。
 こんな軽口を叩けたのが自分でも不思議だった。
 多分、脱ぎたてのパンツを貰って、無意識の内にテンションが上がっていたのだろう。
 無数の星達に囲まれた下弦の月が地上に優しい光を湛えながら、騒々しい俺達のことを笑っているような気がした。

このページへのコメント

1Y0LkU I value the article.Thanks Again. Cool.

0
Posted by tips about seo 2013年12月21日(土) 08:09:32 返信

すごく面白いです。

0
Posted by チョコっとクッキー 2013年07月22日(月) 22:53:35 返信

ホントに面白かったです!!
スゴい文章力ですね!本にした方がいいと思います。

0
Posted by Q 2011年08月15日(月) 15:58:43 返信


すごい文章力ですね。続編も頑張って下さい、楽しみにして待ってます。

0
Posted by ナナシ 2011年01月27日(木) 12:47:21 返信



めっさめさおもろいっす!
次回にかなり期待させていただきます!

0
Posted by 通りすがる 2011年01月09日(日) 00:00:12 返信

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